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司馬遼太郎

更新日:5月23日

2023/1/25


 司馬遼太郎との出会いは「竜馬がゆく」だった。

私が出会った司馬遼太郎の作品。

  1. 1963年:竜磨がゆく 1-8

  2. 1965年:国盗り物語 1-4

  3. 1968年:峠 上下


 

日記に綴られた司馬遼太郎にまつわる思い。


1995/8/22

 午後4時:ようやく目覚め本の続きを読む。司馬遼太郎「峠(下)」読み終える:おやじの進めで読み始めた、上下巻読み終えるのにほぼ一週間かかってしまった。どうにも時間がかかってしまう。信念・見通す力・美意識・矛盾・日本人、色々なものを感ずる、父は継之助の生き方に共感を得たという。高校時代に使った日本史年表を見ても継之助の名は出てこない。最近買った大日本史に数行記載があるのみだった。僕自身この本を読むまで河井継之助という人のことは知らなかった。こんな人が明治維新の時にいたのだ。彼のものの考え方、生き様は色々と共感を得るものがある。でも小説としてみた場合僕の書けそうなスタイルではない。

 

 坂本竜馬には幼い頃からなんとなく憧れがあった。一番古い記憶は「巨人の星」の中で、星飛雄馬が「たとえ溝の中でも坂本竜馬のように前のめりになって死にたい」的なことを言った時。そしてNHKの大河ドラマで「竜馬がゆく」を見てさらに好きになった1960年台だった。時を経て1970年代になり吉川英治の「宮本武蔵」を読んだことで、司馬遼太郎の作品が読みたくなった。そこでまず選んだのが「竜馬がゆく」だった。幕末という激動の時代を竜馬と一緒に駆け抜け、若者らしい希望と夢を抱き、ことあるごとに、竜馬ならどうすると考えたものだった。


 次に選んだのは、やはりNHKの大河ドラマで見た「国盗り物語」だった。斎藤道三の成り上がってゆく姿に魅了され、さて次は何を読もうかと探したが、その後久しく司馬遼太郎を読んでいない。その頃読みたい本がいっぱいあったから、そちらに行ってしまったのだ。また時代劇でも大仏次郎の「鞍馬天狗」や中里介山の「大菩薩峠」に興味が移って行った。とにかく聞いたことがあって、ちょっとでも興味が湧けば読み始めた。そして面白くないと辞めてしまった。「鞍馬天狗」や「大菩薩峠」は今一歩あわなかったのだろう、最後まで読んでいない。


 再び司馬遼太郎に出会ったのは、1990年代になってから読んだ「峠」であった。父の推薦だった。こうして振り返ると、3作しか読んでいないのにがっかりしている。もっと司馬遼太郎が好きで読み込んでいる気持ちだったのだ。思っていたほどではなかったようだ。




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