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執筆者の写真Napple

フィリップ・K・ディック

更新日:5月23日


2021/11/25


 彼との出会いは映画「ブレードランナー」だった。

 この映画は原作が良かったというより、監督リドリー・スコットの手腕とヴァン・ゲリスの音楽、そしてシド・ミードの描いた未来世界が素晴らしかった。そもそも原作に「ブレードランナー」とか「レプリカント」という言葉が出てこない。よくもまあリドリー・スコットはこんな原作からあんな素敵な映画を生みさせたものだと感心する。とにかく映画のインパクトに圧倒されて原作を読んでがっかりしたのだ。


 だからディックの作品はあまり読んでいない

  1. 1962年:高い城の男

  2. 1968年:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

  3. 1974年:流れよわが涙、と警官は言った


 それでも1冊では分からないからと次に読んだ「高い城の男」も面白くなかった。ところが諦めかけていた時にタイトルに惹かれて読んだ「流れよわが涙、と警官は言った」は痛く感激してしまった。日記にその時の思いが克明に綴られていた。


1995年5月30日(火曜日)

 「恐怖というものはね、憎悪や嫉妬よりももっと始末が悪いものなんだ。怖がっていたら人生に完全に打ち込めないよ。恐れがあると、何かをやろうとするとき、いつだって尻込みしてしまうものだ」(P.K.ディック「流れよわが涙、と警官は言った」より)

 「男が泣くのはなぜか?女とは違う。あんなことでは泣かない。感傷ではない。男は何かが、生きている何かが失われたときに泣くのだ。」(P.K.ディック「流れよわが涙、と警官は言った」より)

 表現のしようのない悲しさに捕われた一人の男が、街角の見ず知らずの黒人を抱きしめる。そのシーンを描きたいが為に100ページにも及ぶ複雑なストーリーを書くってのもいいじゃないか。P.K.ディック「流れよわが涙、と警官は言った」を読んで。

 そしてP.K.ディックは欝病だった。「そこで私は書く。私の愛する人達のことを書き、彼らを現実の世界ではなく、私の頭から紡ぎだされた架空の世界に住まわせようとする。現実の世界は私の規準に合わないからだ。分かっている、自分の規準を修正すべきなんだろうさ。私は足並みを乱している。私は現実と折れあうべきだ。だが、一度も折れあったことはない。」(P.K.ディックの言葉より)

 ″共感″という言葉の意味を説明するために僕はP.K.ディックの「流れよわが涙、と警官は言った」を話して聞かせる事だろう。でも彼の語る悲しみがどれだけの人に分かるだろうか、僕だからこそ分かる、そんなふうに感じる。


 ずいぶん感動したのだが「高い城の男」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 」の読み疲れた記憶のせいだろうか、あるいは鬱期だったから読めたのかもしれない。その後ディックの作品を読んでいない。


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