2018年5月17日
先輩が製作したタンノイ・オートグラフを拝聴できることになった。ジャズを聴くならJBL、クラッシックを聴くならタンノイと言われた時代があった。JBLのモダンなデザインに比べ、タンノイは格調高い。いずれも特徴的なデザインは、一見してそれとわかる。タンノイも見ればすぐにわかるのだが、実際の音はよく知らない。大学時代アキュフェーズとタンノイでプログレを聴く友人がいた。彼はVictorのコンポを私に譲ってタンノイに乗り換えたのだ。山登りに明け暮れていたために、彼との付き合いは疎遠になり、長くタンノイの音を聞くことはなかった。山に行きながらも続いた別の友人がジャズを教えてくれた。その結果スピーカーの好みはJBLに偏っていった。自分の中で幾ばくかの変遷を経て、改めてタンノイに触れる事ができるのを喜び、せっかく拝聴するのだから、予習をと思い、タンノイ・オートグラフについて調べた。オートグラフもまたオールホーンだった。
オートグラフのエンクロージャーは背面が三角形にカットされたコーナー型で、全帯域が3つの異なるホーンで動作するオールホーン構造となっている。低域はバックロードホーン、中域はスピーカー前面のショートホーン、高域はホーン型トゥイーターが受け持っている。さらにエンクロージャーを部屋のコーナーにつけて設置するよう設計されているため、壁面と床がイメージホーンを形成し、バックロードホーンの延長として低域を補強する。スピーカーユニットはデュアル・コンセントリックと呼ばれる同軸2ウェイのユニット(K3808)を使用している。1953年に発表され、現在のデザインになったのが1955年。1976年からTEACがエンクロージャーを製造した。HiFiAudioGuide'85-'86ではM.S.A.(マスダオーディオサプライ)がAutographを取り扱っている。複雑なエンクロージャー構造が先輩のハートに火をつけたのだろうか。オートグラフと一緒にアルティックA7らしき画像もあった。セルラホーンの乗っかったスピーカーだ。とても気になる。
さて、タンノイ・オートグラフを調べると五味康祐氏の名前が出てくる。タンノイをこよなく愛したオーディオの神様だった。練馬区役所が氏のオーディオを保管しメンテナンスを続けている。
プレーヤー:EMT930st
プリ・アンプ:McIntosh C22
パワー・アンプ:McIntosh MC275
スピーカー:タンノイオートグラフ
名前は知っていたが、未だ氏の書籍は読んだ事がなく、時代物が好きな父の蔵書にも見当たらない。愛読のSTEREO SOUNDに寄稿していたことも知らなかった。早速iBooksで氏の書籍を見つけ「五味康祐オーディオ遍歴」を読み始めた。
面白い。巨大なホーンを持ったオーディオルームの紹介記事を、1970年代に見たものだったが、氏はまさにそうしたコンクリートホーンを自宅に作った強者だった。私などが何か言えるごときものではない。違うと思うこともあるけれど、それは時代と共にあり方が変わったからだ。スピーカーとアンプの価値観等は共有できる。氏ほど入れ込んでいるわけではなく、そもそも次元が全く違うけれど、好きな事は変わらない。「家庭で聴く美しい音とは、その人の生活環境にふさわしい聴き方をしている時、自ずからにじみ出ている。そういう分をわきまえた人の良識が、家庭で聴くにふさわしい音を判別し、創り出す。」という氏の言葉に慰められ、「まるで関心が無くて買わないのか、欲しくても買えないのかでは雲泥のちがいである。しかし、私は断言する、欲しくても買えない人はかならず他のコンポーネントでそれらしい音を鳴らしている。こればかりは不思議に、聴けばわかるのである。そしてそれらしい音を家庭で創り出すところにコンポーネントの言いつくせぬ妙味があるとも言える。」という言葉にそのとおりと、独りごちるのだ。とにかく、一つ事にのめり込んだ人の話は面白い。
さて、先輩の作品を拝見
1976年の別冊FMfanの製作記事を元に、タンノイ・オートグラフを製作されていた。ウォルナット材を張り合わせた集積材をRolandDGのMDX-50を使用して精密加工している。とても美しい。アルティックA7のセルラホーンは図面なしで大雑把に切削したとのことだが、とても雰囲気が出ている。いずれも実機より小さいミニュチア盤でスピーカーユニットはFOSTEX。真空管アンプはサンオーディオ、実家に置いてあったものを持ってきてくださった。今日はこのアンプで音を聞かせてくれた。良いものを見せていただきありがとうございました。
趣味というものは、人のためにやるわけでもなく、どう思われようと関わりなきことなれど、人との繋がり侮りがたし。
趣味というものは、一人で熱くなり、盛り上がり、頂点に達する。少しほとぼりが冷めると第三者に話したくなり、第三者の意見が聞きたくなる。見たり聞いたり読んだりするうちに、独りよがりの自分に気がつき、落ち込んでゆく。しばらくすると、むくむくと頭をもたげ、又しても盛り上がってゆく。そんなことの繰り返し。