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門と鍵・承前

執筆者の写真: NappleNapple

更新日:2024年12月13日

2024/12/4

第一章: 鍵を探す旅


 「トントンと青春の門を僕はノックした。鍵が掛かっていたのだ。『開けてください』と僕が頼むと、『自分で鍵を探しなさい』という返事が返ってきた。それから僕は鍵を探す旅に出たんです。でもね、ふと思うんですが、もう僕はその門の中に入っているような気がするんですよ。ちょっとそんな気がするだけですけどね。」


陽翔(はると)は苦笑をする。彼の目の前には、大学の新入生たちで賑わう広場が広がっている。初々しい若者たちの笑顔を見ていると、自分が初めて「門」を意識したあの日を思い出す。


鍵を探し始めた日


 陽翔はまだ18歳。大学進学という一つの目標を達成したばかりだった。未来への期待に胸を膨らませる一方で、自分が本当に何を求めているのか、何を成し遂げたいのかが分からず、漠然とした不安を抱えていた。キャンパスに足を踏み入れた初めての日、陽翔は一人の女性に出会った。それが羽咲(はさき)だった。彼女は陽翔と同じく文学部に所属していて、最初の授業の後、何気ない会話から話し始めた。「ねえ、陽翔くんは何を目指して大学に来たの?」「何か大きなことをしたいって思ってた。でも、正直に言えば、具体的なことは何も決まってない。」「ふーん、じゃあ陽翔くんにとって、青春って何?」唐突な質問だった。陽翔は少し戸惑いながらも、「青春の門」の話を彼女に語った。「僕には、青春って大きな門のような気がするんだ。鍵を見つけて、それを開けて、中に入らなきゃいけないような。」「鍵を探す旅、か。なんだかロマンチックね。」羽咲はそう言って微笑んだ。その笑顔には、どこか彼女自身の迷いも混じっているように感じられた。


夢と現実の間で


 陽翔と羽咲は、それからしばしば一緒に過ごすようになった。授業の合間、図書館で過ごす時間、時には喫茶店でお互いの夢を語り合う。羽咲は自分の将来についても語った。「私はいつか、誰かの心に触れるような作品を書きたい。でもね、私が思うに、誰かに触れるためにはまず自分がちゃんと触れられる人でないといけないんだと思う。」陽翔はその言葉に感心しつつも、焦りを覚えた。自分は「青春の門」の鍵を探していると言いながら、それを見つけるどころか、自分の中の情熱がどこにあるのかも分からないままだったからだ。そんな中で、羽咲は陽翔の支えになっていくように見えた。しかし、それは同時に、彼女自身を疲弊させていくことにもつながった。


鍵を見つけられないまま


 季節が過ぎ、二人は次第にすれ違うようになる。陽翔は夢を語り続けるが、それを現実にするための行動が伴わない。羽咲はそんな陽翔に苛立ちを感じながらも、それを言葉にすることはなかった。ある日、羽咲が静かに告げた。「陽翔くんは、いつか鍵を見つけると思う。でも、それを一緒に探せるのは私じゃないのかもしれない。」その言葉が意味するものを、陽翔はすぐには理解できなかった。ただ、その日から羽咲は徐々に陽翔から距離を置くようになり、最後には何も告げずに彼の前から去っていった。



 羽咲がいなくなった後も、陽翔は「青春の門」の鍵を探し続けた。彼女が言った「一緒に探せるのは私じゃない」という言葉が、頭から離れなかった。鍵を探す旅の中で、陽翔はふと気づく。「もしかすると、鍵なんて最初からなかったのかもしれない。でも、そう思うことさえも、鍵を見つけるための一歩だったのではないか。」青春の門の中にいるのか、それともまだ外にいるのか。それすらも分からないまま、陽翔は歩み続けるしかなかった。


 

第二章: 青春の中で彷徨う


 まだ自分が青春という門の外にいると思っていたころ、青春の門の鍵を探していた。いくら探しても、門の鍵はみつからなかった。ところが、気がついてみると、どうやら自分は 青春の門を、もうくぐって青春のど真ん中にいるのを知ったのだった。これはとんでもない事だった。このままではきっと僕は気がつかないうちに叉青春の門の外に出てしまうに違いない。


 羽咲(はさき)との別れから十年以上の月日が流れた。陽翔(はると)は大学を卒業し、社会人として忙しい日々を過ごしていた。新しい仕事、新しい人間関係、そして社会の厳しさに揉まれ、陽翔は少しずつ「青春」という言葉から遠ざかっているように感じていた。「青春の門の鍵を探す」などと言っていたあの日々が、まるで夢の中の出来事だったかのように思える。しかし、心の奥底ではいつも問いかけていた。「自分は本当に何かを手に入れたのか?あの門の中にいるのか?」そんな彼が翎花(れいか)と出会ったのは、仕事で訪れた地方の展示会場だった。


翎花との出会い


 翎花は地元の美術館で働いているアートコーディネーターだった。彼女は物静かで、少し距離を置くような雰囲気を持ちながらも、会話の端々に優しさと知性を感じさせる女性だった。陽翔が展示品の前で立ち止まり、その背景に興味を示すと、翎花が説明を始めた。「この作品は、作者が自分の『失われたもの』を取り戻すために描いたものだと言われています。」「失われたもの、か…。それを取り戻せる人なんて、どれだけいるんだろう。」陽翔がつぶやくと、翎花は少し驚いたように彼を見つめた。「取り戻せるかどうかは、結局自分次第かもしれませんね。たとえ取り戻せなくても、それを探し続ける意味はあると思います。」その言葉に、陽翔は何かを揺さぶられるような感覚を覚えた。


新たな日々


 それから陽翔と翎花は連絡を取り合うようになり、休日には一緒に美術館を巡ったり、カフェで静かに話し合ったりする関係が続いた。翎花は羽咲とは違って、陽翔に「何かを証明すること」を求めなかった。ただ、彼の言葉を受け入れ、そこにある感情を丁寧に拾い上げるような人だった。「翎花さんといると、なんだかほっとするよ。」「それはよかった。陽翔さんは、ずっと何かを探している人みたいに見えるから。」「探しているのは…青春の門の鍵なんだと思う。」陽翔は昔の話を翎花に語った。門を叩いたときのこと、鍵を探す旅に出たこと、そして羽咲との別れ。翎花はその話を静かに聞いていたが、最後にこう言った。「きっとその鍵は、誰かに探してもらうものじゃなくて、陽翔さん自身が見つけるものなんでしょうね。」


鍵を失いかけた時


 数年後、陽翔と翎花は結婚した。穏やかで安定した日々が続き、陽翔は自分がようやく「青春の門」の中に入ったのではないかと感じ始めていた。だが、平穏な日々の中で、次第に陽翔の中にある空虚さが顔を出すようになる。何かを成し遂げたいという漠然とした欲望は、社会の現実の中で薄れていき、翎花との会話も表面的なものが増えていった。「最近、翎花、なんだか疲れているように見える。」「…そうかもしれないわね。」ある日、翎花の目が、かつて羽咲が陽翔を見つめたときと同じ「他人を見る目」になっていることに気づく。翎花は何も言わなかったが、その視線が陽翔の心を凍らせた。



 翎花との関係に亀裂が入り始めた中で、陽翔は再び自分を問い直すことを迫られる。青春の門の中にいると思っていたが、実際にはまだ外にいるのではないか。そして、ふと思う。「僕はいつも、誰かに鍵を見つけてもらおうとしていたんじゃないか?本当は、自分で探すべきものだったのに。」その答えを求めて、陽翔は再び自分の中に眠る夢や感情を掘り起こし始める。


 

第三章: 門の影を追う


 愛を求め始めた頃、青春の門の鍵を手に入れた。でもそのことに気づかず、青春の門を潜ったことさえ気づかぬまま彷徨っていた。


 翎花(れいか)の視線が、かつて羽咲(はさき)のそれと同じ「他人を見る目」になっていることに気づいた瞬間、陽翔(はると)は自分の胸の中に氷のような冷たさを感じた。翎花との生活は穏やかで、陽翔にとって彼女は唯一無二の存在だと思っていた。けれども、その視線の変化に気づいた途端、彼女との間に何か大きな亀裂が走っていることを認めざるを得なかった。「翎花、最近何か悩んでいることはない?」夕食の後、静かなリビングで陽翔がそう尋ねると、翎花は少し間を置いて答えた。「悩んでいるわけじゃないわ。ただ、少し考えることが多くて。」「考えることって…僕たちのこと?」翎花は答えなかった。その沈黙が、陽翔の心に重くのしかかった。


青春という幻影


 陽翔は思い出していた。羽咲も、こんな風に少しずつ自分から離れていったのだと。そしてその時、自分が何もしなかったことも。「また同じことを繰り返しているんだろうか。」陽翔は、翎花が去ってしまう前に、何か行動を起こさなければならないと感じた。けれども、具体的に何をすればいいのか分からない。ただ、胸の中に渦巻く不安を抱えたまま日々が過ぎていった。そんな中、陽翔は偶然、昔の友人から連絡を受ける。「久しぶりだな、陽翔。今度、同窓会があるんだけど、来ないか?」大学時代の仲間たちが集まるという誘いに、陽翔は少し気が引けた。自分が成し遂げたと言えるものが何もないことを思い知らされるような気がしたからだ。だが、翎花との関係に向き合うための何かのきっかけを掴めるかもしれないと思い直し、参加を決めた。


同窓会の夜


 同窓会の会場は、大学近くの古い喫茶店「1.9lの魔法びん」だった。陽翔が扉を開けると、懐かしい顔がいくつも並んでいた。その中に、ふと目を引いたのは羽咲だった。彼女は少しだけ大人びた雰囲気をまといながらも、どこかあの頃と変わらない柔らかな笑顔を浮かべていた。「陽翔くん、久しぶりね。」「羽咲…。元気そうだね。」短い挨拶を交わしたあと、二人は自然に話し込むようになった。他の友人たちが次第に散り散りになり、二人きりになったとき、羽咲がぽつりと呟いた。「あの頃、陽翔くんは『青春の門』の鍵を探してるって言ってたわね。」「ああ…。結局、まだ探してるよ。」「そうなのね。でも、もうその中にいるのかもしれないって、当時も言ってたわよ。」陽翔はハッとした。確かにあの頃、自分でそう語っていたはずだった。そして今、自分はまた同じ言葉を繰り返している。


鍵の正体


 帰り道、陽翔は自分が繰り返してきた「青春の門」の話を振り返っていた。鍵とは何なのか。門の中にいるとはどういうことなのか。彼は気づいた。青春の門の鍵を探すという旅は、自分自身の夢や情熱を探す旅そのものだった。けれども、その夢や情熱を他人に依存し、あるいは他人の評価で測ろうとしていた自分がいたことにも気づく。翎花との関係が冷えていったのも、その鍵を彼女に託しすぎたからではないのか。「鍵は、自分で見つけるものだったのに。」



 翌朝、陽翔は翎花に向き合い、これまで伝えられなかった言葉を口にした。「翎花、僕はこれまで君に甘えすぎてたと思う。青春の門の鍵を探すとか言いながら、君にそれを見つけてもらおうとしてた。でも、鍵は僕自身で見つけなきゃいけないものだって、ようやく気づいたんだ。」翎花はしばらく陽翔を見つめた後、静かに微笑んだ。「それに気づけたなら、きっと鍵はもうすぐ見つかるわ。」彼女のその言葉は、陽翔の心に温かな光を灯した。青春の門の鍵を探す旅は、まだ終わらない。しかし、その旅は陽翔にとって、自分を取り戻すための最も大切な道のりであると確信できた。


 

第四章: 夢を拾い上げる


 陽翔(はると)は翎花(れいか)に自分の心の内を伝えたことで、小さな安堵を覚えた。しかし、それだけでは終われないことも理解していた。青春の門の鍵を探すという言葉に込めてきた、自分の本当の夢をもう一度思い出し、それに向き合う必要があった。翎花の微笑みを背に受けて、陽翔は長い間しまい込んでいた箱を開けた。それは大学時代、空を飛ぶことに憧れていた頃の記憶が詰まったものだった。


過去への旅路


 箱の中には、学生時代に撮った写真や、航空工学の本、折り紙で作った小さな飛行機が入っていた。それを手に取るたびに、胸の奥で小さく鳴り続けていた夢が再び目を覚ますのを感じた。「空を飛びたい。」その言葉は、あの頃の自分にとって全てを象徴していた。そして今、その夢が自分に問いかけているようだった。「お前はまだ飛べるのか?」陽翔は答えられなかった。時間は過ぎ、現実の重みが彼を地上に縛り付けているように思えたからだ。


翎花の支え


 その夜、陽翔は翎花に語った。「僕は、昔空を飛びたいって思ってたんだ。でも、今さらそんな夢を追いかけても、何の意味もないよな。」翎花は陽翔の隣に座り、少し考えてから言った。「意味があるかどうかを決めるのは、他の誰でもない。陽翔自身よ。」「でも、現実はそう簡単じゃない。」「簡単じゃないのは分かってる。でも、それでも挑戦する価値があるんじゃない?」翎花のその言葉に、陽翔は少しだけ背中を押されたような気がした。


再会がもたらすもの


 その数日後、陽翔は羽咲(はさき)からメールを受け取る。「先日の同窓会、懐かしかったね。またゆっくり話せるといいな。」陽翔は躊躇したが、彼女に返信を送ることにした。「懐かしかったよ。また話したいことがある。」再会の日、羽咲は以前よりもさらに成熟した雰囲気を漂わせていた。彼女は陽翔に言った。「あなた、変わらないわね。でも、昔より少しだけ肩の力が抜けたように見える。」「そうかな。自分では分からないけど、少しずつ変わらなきゃいけないと思ってるんだ。」陽翔は、かつて羽咲と語り合った夢について話し始めた。そして、その夢が今も自分の心にあることを打ち明けた。羽咲は微笑みながら、こう言った。「それなら、追いかけてみたらいいんじゃない?何歳になったって、夢を見ることは許されるんだから。」


翼を広げる


 陽翔は、長い間しまい込んでいた自分の夢に向き合う決心をした。現実の厳しさや年齢を言い訳にするのではなく、少しずつでも前に進むための行動を起こす必要がある。まずは、小さなステップとして、地元のグライダー教室に通い始めた。初めて操縦桿を握ったとき、心の中にあった重い霧が晴れるのを感じた。翎花はその姿を静かに見守っていた。「あなたが空を目指す姿、楽しみにしてるわ。」陽翔は、翎花の言葉に励まされながら、青春の門を再び見つめ直していた。そして、こう思うようになった。「門を叩いていたときも、鍵を探していたときも、僕はずっとその中にいたのかもしれない。でも、それに気づけるかどうかが大切なんだ。」



 陽翔は再び空を目指す理由を見つけた。その旅は、ただ過去の夢を追いかけるだけではなく、自分自身を取り戻すための道でもあった。そして、翎花や羽咲、かつての仲間たちがその道を支えてくれる存在であることに気づく。青春の門の中にいると信じて歩き続ける陽翔は、ついに鍵の正体に近づきつつあった。


 

第五章: 風を掴む


 陽翔(はると)はグライダー教室に通うようになってから、自分が心の中に閉じ込めていたものが少しずつ解放されていくのを感じていた。初めて空を飛んだ日は、今でも鮮明に覚えている。無音の世界、空と地上を分ける風、そして翼を通して感じる自然の力。飛行はただの技術ではなく、彼にとって新たな生き方の象徴となりつつあった。ある日の飛行後、インストラクターが陽翔に声をかけた。「陽翔さん、いいコントロールだったね。もう少し練習すれば、単独飛行もすぐにできるようになるよ。」「ありがとうございます。でも、まだまだ自信がなくて…。」インストラクターは笑いながら肩を叩いた。「空に上がるたびに、何かを失う恐怖はつきものだ。でも、だからこそ風を掴む瞬間は特別なんだよ。」その言葉は、陽翔の胸に深く響いた。


翎花との新たな時間


 陽翔の変化は、翎花(れいか)にも伝わっていた。最近では、彼が飛行について話すときの表情が以前と違うことに気づいていた。「陽翔、今日はどうだった?」夕食の席で翎花が尋ねると、陽翔は満面の笑みで答えた。「今日は初めて、上空で旋回がうまくいったんだ。あの瞬間は本当に気持ちよかった。」翎花も思わず笑顔になった。「それだけ楽しそうに話す陽翔を見るの、久しぶりかもしれない。」陽翔は少し恥ずかしそうに微笑んだ。「ずっと自分の中で何かを抑え込んでいたのかもしれないな。でも、こうしてまた空を目指すことで、少しずつ取り戻してる気がするんだ。」


羽咲との再会が残したもの


 グライダー教室に通い始めて数週間後、陽翔は再び羽咲(はさき)と会う機会を持った。彼女は大学時代と同じように、彼の話を静かに聞いてくれた。「陽翔くん、昔から空の話をする時だけは、他のどんな時よりも生き生きしてたよね。」羽咲のその言葉は、陽翔の心にかつての記憶を呼び覚ました。「でも、その空への夢を諦めたのも僕だった。そして、誰かのせいにしていたこともあった。」陽翔がそう語ると、羽咲は優しく微笑んだ。「夢を諦めることも、また追いかけることも、全部自分で選んできたことなんだよ。でも、こうしてまた飛び始めたんだから、それでいいじゃない。」彼女の言葉に、陽翔はようやく自分の過去を受け入れる準備ができたように感じた。


鍵の輪郭


 ある日、陽翔は単独飛行を達成する日を迎えた。翎花も見に来てくれていた。「今日、僕は一人で飛ぶよ。」翎花は笑顔で頷いた。「きっと大丈夫。あなたならできるわ。」陽翔がコックピットに座り、滑走路に立った瞬間、これまでの記憶が鮮やかに蘇った。初めて青春の門をノックした日のこと。鍵を探し続けた旅のこと。そして、その中で出会った人々や感じた挫折のこと。グライダーが滑走を始めた。風が翼を捉え、地上が徐々に小さくなっていく。上空に達したとき、陽翔はふと心の中で呟いた。「鍵はずっとここにあったんだ。僕が気づけなかっただけで。」青春の門にかかっていた鍵。それは夢を見ることへの勇気であり、それを追いかける意思だった。そして、その鍵は彼の中にずっと存在していた。



 地上に戻った陽翔は、翎花の元へ歩み寄った。「どうだった?」翎花が尋ねる。「最高だったよ。でも、まだこれからが本番だ。」陽翔はそう言って笑った。その笑顔には、かつての迷いや不安はどこにもなかった。翎花はそっと陽翔の手を握り返した。「これからも一緒に歩いていこうね。」陽翔は頷いた。青春の門はもはや「過去」の象徴ではなく、「今」と「未来」を繋ぐ道標となったのだ。


 

第六章: 新たな地平へ


 陽翔(はると)は単独飛行を成し遂げたことで、夢が現実に近づく喜びと、それに伴う責任を改めて感じていた。その日は特別なものでありながら、同時に次のステップへの始まりでもあった。グライダーの訓練が進むにつれ、陽翔は同じ教室に通う仲間たちとも自然と打ち解けるようになった。その中で、特に陽翔に影響を与えたのが、一人の若い女性パイロット、凪紗(なぎさ)だった。


新たな仲間との出会い


 凪紗はまだ20代半ばで、航空技術を学びながらプロのパイロットを目指していた。陽翔にとって、彼女の情熱と行動力は眩しく映った。「陽翔さんって、どうして飛行を始めたんですか?」訓練の休憩中、凪紗は興味津々に尋ねてきた。「若い頃、ずっと空を飛ぶことに憧れてたんだ。でも、いろんな理由をつけて諦めてしまって。それを、今になって取り戻してる最中かな。」凪紗は少し驚いたような顔をした後、笑みを浮かべた。「それって、すごいことですよ。諦めた夢を追いかけるのって簡単じゃないし、勇気がいることだと思います。」その言葉に陽翔は少し照れたが、同時に彼女の真っ直ぐな姿勢に触発される自分を感じていた。


翎花との葛藤


 一方で、陽翔が空を飛ぶことにのめり込む姿は、翎花(れいか)にとって少し複雑なものだった。陽翔が夢を追いかけることを応援しつつも、彼が新たな世界に向かっていく中で、どこか自分だけが取り残されるような感覚を覚えていた。ある夜、陽翔が訓練の話を楽しそうに語るのを聞いていた翎花は、ふと口にした。「陽翔、最近本当に楽しそうね。でも、私たちのことも忘れないでね。」陽翔はその言葉に驚き、思わず問い返した。「忘れるなんてこと、あるわけないだろ?」翎花は小さく微笑んだが、その目にはどこか不安が浮かんでいた。「そうだといいんだけど。でも、陽翔がどんどん遠くに行っちゃうような気がして、ちょっと怖いの。」陽翔はその言葉を深く胸に刻みつけた。夢を追うことと、大切な人を守ること。その両方をどうやって両立させるかが、これからの彼の課題になることを感じた。


翼の行方


 凪紗との交流や翎花との時間の中で、陽翔は自分の夢を再構築していった。かつての夢は「空を飛ぶ」という単純なものであったが、今はそれだけではない。「僕は、ただ空を飛びたいだけじゃなくて、空を通して何かを伝えたい。」その思いは少しずつ形を成していった。ある日、凪紗が陽翔に提案をした。「陽翔さん、今度一緒にフライトイベントに参加してみませんか?いろんな人が空に触れる機会を作るイベントなんです。」陽翔は少し迷ったが、凪紗の提案に応じることにした。そのイベントは、空を夢見る子どもたちや初心者がグライダーの魅力を体験できる場で、陽翔にとっても大きな挑戦だった。


新たな挑戦の始まり


 イベント当日、陽翔は初めて観客の前でグライダーについて説明し、体験飛行のサポートを行った。緊張したが、参加者の笑顔を見るたびに、自分の選んだ道が正しかったのだと確信した。イベントが終わった後、凪紗が陽翔に言った。「陽翔さん、今日の姿、とても素敵でしたよ。夢を追いかけるだけじゃなく、それを人と共有するのって、本当に素晴らしいことだと思います。」陽翔は少し照れくさそうに笑ったが、その言葉に新たな目標が芽生えた。「空を通じて、誰かの背中を押せる存在になりたい。」


翎花との和解


 その夜、陽翔は帰宅して翎花にイベントの話をした。「今日ね、子どもたちにグライダーの説明をして、初めて空を感じる瞬間を一緒に味わったんだ。すごく感動的だった。」翎花は陽翔の話をじっと聞いた後、少し考えてから言った。「陽翔の夢を追いかける姿、私も応援するよ。だって、それがあなたの生き方なんだから。」陽翔は翎花の手を握りしめた。「ありがとう、翎花。僕が空を飛ぶ理由の一つは、君がいるからだよ。」



 陽翔は、自分の夢を再び追いかける中で、新しい自分を見つけつつあった。それは、過去の自分の延長ではなく、今の自分が築き上げる未来だった。そして、その未来には翎花や凪紗、そしてまだ見ぬ人々が共にいる可能性が広がっていた。青春の門を叩いたあの日から始まった旅路は、新たな地平へと続いている。陽翔は今、その風景を目指して翼を広げていた。


 

第七章: 空に映る影


 陽翔(はると)はフライトイベントでの経験を通じて、空を飛ぶことが自分自身だけのためではなく、誰かのためにあるという新たな気づきを得た。それは、彼がかつて夢に抱いていた個人的な憧れとは異なる、より広がりのある意味を持ち始めていた。しかし、その一方で、彼の心にはまだ解消されていない問いがあった。夢を追うことと、現実の中での大切な人々との関係をどう両立させるのかそれが、陽翔にとって最大の課題となりつつあった。


翎花の心の葛藤


 翎花(れいか)は、陽翔の飛行への情熱を応援すると決めたものの、自分の中に芽生える不安を拭いきれずにいた。彼が空に向かっていくたびに、翎花は自分がその夢から少しずつ遠ざかっていくように感じていた。「陽翔の夢を支えたい。でも、私はどうすればいいんだろう?」ある夜、翎花は羽咲(はさき)に電話をかけた。羽咲は、陽翔が夢を追う姿を間近で見てきたもう一人の理解者だった。「羽咲さん、私…陽翔の夢を応援するって決めたけど、正直なところ、自信がないんです。彼がどんどん遠くに行ってしまう気がして。」羽咲は少し考えた後、穏やかな声で答えた。「翎花さん、陽翔くんは遠くに行くんじゃないよ。彼が空を飛ぶことで見つけるのは、きっと自分自身。それを見つけたら、必ず戻ってくると思う。」その言葉に、翎花は少しだけ心が軽くなったように感じた。


凪紗の秘密


 陽翔が訓練を続ける中で、凪紗(なぎさ)との距離も縮まっていった。ある日、凪紗が突然、訓練の後に陽翔を誘った。「陽翔さん、少し話したいことがあるんです。よかったら付き合ってもらえますか?」近くの喫茶店で、凪紗はコーヒーを飲みながら話し始めた。「私、実は空を飛ぶことを始めた理由があるんです。それは…亡くなった父の夢を引き継ぐためなんです。」凪紗の父もパイロットを目指していたが、ある事故でその夢を断たれてしまったという。「父が果たせなかった夢を私が叶えることで、家族の中で誰か一人でも空を飛ぶ姿を見せたいと思ったんです。でも、本当にそれが私自身の夢なのか、まだわからなくて。」凪紗の言葉は陽翔に強く響いた。夢を追いかける中で、自分がそれを本当に望んでいるのかどうかを問い続けることの重要性を再認識させられた。


空が映すもの


 ある日の飛行中、陽翔はふと下を見下ろした。広がる大地の中で、人々がそれぞれの生活を営む姿を想像したとき、自分の夢がどこに繋がっているのかを考えた。「僕が目指すのは、ただ空を飛ぶことじゃない。空から見た風景を地上に繋げることだ。」飛行後、インストラクターにその思いを伝えると、インストラクターは深く頷いた。「陽翔さん、それは空を飛ぶ者として一つの到達点だよ。空を通じて地上のことを考えるようになったとき、君の飛行はただの技術を超えたものになる。」


翎花との新たな約束


 その夜、陽翔は翎花に思いを打ち明けた。「翎花、僕は夢を追いかける中で、自分一人ではたどり着けない場所があることに気づいたんだ。君がそばにいてくれるから、僕は飛べる。」翎花は驚いたように目を見開いたが、次第に微笑みを浮かべた。「私も、陽翔が飛ぶ姿を見守ることで、自分自身を見つめ直していける気がする。」その夜、二人は静かに語り合い、新たな約束を交わした。夢を共有し、支え合うことそれが、彼らにとっての青春の門をくぐる鍵となるのだと。



 陽翔は、青春の門の中にいることを確信しながらも、その先に続く新たな道を模索していた。その道は、ただの自己満足ではなく、誰かと共に歩むものだった。青春の門は、彼にとって「空」という形で現れ、同時に地上での人々との繋がりを深めていく道でもあった。そして、その道の先には翎花や凪紗、そしてまだ見ぬ人々との未来が広がっていることを感じた。


 

第八章: 風が語る声


 陽翔(はると)は、飛行訓練を通じて、空への想いを再確認していた。夢を共有できる仲間との出会いや翎花(れいか)との新たな約束が、彼の飛行に確かな意味を与えていた。しかし、空に向かう道は穏やかではなく、新たな試練もまた陽翔を待ち受けていた。


風の変化


 陽翔が次のステップとして取り組むのは、高地での飛行だった。山間部での飛行は、気まぐれな風と複雑な地形の影響を受けるため、さらなる技術が必要だった。  「山の風は平地とはまったく違う。読めない風に耐えられるかが鍵だ。」インストラクターの厳しい言葉に、陽翔は大きく頷いた。「はい、覚悟しています。」凪紗(なぎさ)も同じ訓練に参加しており、陽翔と切磋琢磨する日々が続いていた。


翎花の応援


 高地飛行の訓練が始まる日、翎花は空港まで陽翔を送りに来ていた。「陽翔、無理だけはしないでね。」彼女のその言葉には、ただの心配以上の意味が込められているのを陽翔は感じ取った。翎花もまた、陽翔が空を目指す姿に触発され、自分の夢を見つめ直し始めていたのだ。「ありがとう。君が見守っていてくれるから、きっと大丈夫だよ。」陽翔の言葉に、翎花は静かに微笑んだが、その瞳には何か決意めいたものが宿っていた。


山の空へ


 訓練の日、陽翔と凪紗は共に山間部の飛行場へ向かった。険しい山々が周囲を取り囲むその場所は、平地での飛行とはまったく異なる緊張感を漂わせていた。初めての山間飛行で、陽翔は風の激しさに驚かされた。風の流れが複雑に交錯する中、機体を安定させることに全神経を注ぐ。「思ったより…難しいな。」訓練を終えた後、陽翔は汗をぬぐいながら呟いた。しかし、その顔には挑戦に対するやる気が宿っていた。


無口な男との出会い


 訓練の翌日、陽翔が格納庫で機体の点検をしていると、黙々と工具を片付ける男に気づいた。飛行場で整備士として働くその男は、普段からほとんど口を利かず、皆から「無口な男」と呼ばれていた。陽翔が「お疲れ様です」と軽く声をかけると、男は一瞬だけ動きを止め、ぽつりと話し始めた。「青春の門を叩いて、鍵を探すのは誰にでもできる。だが、その門をくぐった後が本当の勝負だ。」意外な言葉に驚いた陽翔は、男の顔をじっと見つめた。その表情には、長い年月をかけて刻まれた経験が滲んでいた。「僕はまだその門をくぐったのかどうかもわかりません。」そう答える陽翔に、男は煙草に火をつけながら静かに続けた。「俺も昔、空を飛んでたよ。若い頃は、ただ飛ぶことが楽しかった。でも、いつの間にか夢を追うよりも現実に縛られていた。それでも、今になって思うんだ。青春の門ってのは、一度きりじゃない。何度でも叩き直せるもんだってな。」男は煙草の煙を吐き出しながら、低く呟いた。「『承前』って言葉知ってるか?過去を受け入れて、前に進む。それが最近になってやっとわかったよ。」その言葉は、陽翔の胸に深く響いた。


風が語る声


 高地での飛行を続ける中で、陽翔は次第に風の動きを感じ取れるようになった。それは、ただ操縦技術を磨く以上に、自然と対話するような感覚だった。「風は敵じゃない。僕たちに何かを教えようとしているんだ。」ある日、訓練を終えた陽翔がそう語ると、インストラクターは微かに笑みを浮かべた。「その感覚を忘れるな。風は君を鍛え、そして導いてくれる。」


翎花の決断


 その頃、翎花もまた新たな一歩を踏み出していた。「陽翔が空を飛ぶなら、私は地上で何かを作り上げたい。」彼女は地元のアートスクールで開かれる講座に申し込み、かつての夢に再び向き合おうとしていた。翎花の小さな決断は、彼女自身の青春の門を再び叩く行為でもあった。



 無口な男の言葉に触発された陽翔は、青春の門を何度でも叩けるという考えに希望を見出していた。門をくぐるという行為が、ただ一度の瞬間ではなく、何度でも繰り返される旅なのだと気づいた彼は、これからも風と向き合いながら新たな景色を追い求めることを決意した。


 

第九章: 空に響く声


 高地飛行の訓練を続ける陽翔(はると)は、次第に風との対話を深めていった。その過程で、ただ「飛ぶ」だけでなく、空を感じるという新たな境地へと近づいていく。翎花(れいか)もまた、地元のアートスクールでの挑戦を通じて、自分の中に眠っていた情熱を再発見しつつあった。そんな中、陽翔の中には一つの疑問が芽生えていた。「青春の門を何度でも叩ける」と無口な男が言ったが、門の内外をどう区別するのか――それは自分次第なのだろうか?


凪紗との別れ


 ある日、陽翔と凪紗(なぎさ)は訓練後に近くの展望台で空を眺めていた。澄み渡る空の青さが、二人の心を静かに繋いでいた。「陽翔さん、私はここでの訓練が終わったら、海外の空を目指そうと思う。」凪紗の言葉に、陽翔は驚きつつも頷いた。「そっか…。凪紗ならどこの空でもやっていけると思うよ。」「ありがとう。でも、陽翔さんもちゃんと自分の空を見つけてね。」凪紗の言葉には、深い信頼と願いが込められていた。


翎花との約束


 翎花もまた、陽翔に手紙を書いていた。そこには、彼女自身の夢や不安、そして陽翔への応援が綴られていた。「陽翔が空で何を見つけるのか、私も一緒に見届けたい。だから、私も自分の場所で頑張るね。」この手紙を受け取った陽翔は、自分が「青春の門」を通じて得たものが何であるかを徐々に理解し始めた。


 

第十章: 門と鍵・承前


 高地飛行の訓練が終わり、陽翔は一つの目標を成し遂げた達成感を味わっていた。だが、それ以上に感じていたのは「これがゴールではない」という実感だった。訓練の最終日、陽翔は再び無口な男に声をかけた。「僕、わかった気がします。青春の門を叩くことも、くぐることも、全部自分次第なんですね。」男は一瞬だけ煙草を挟んだ手を止め、陽翔を見つめた。「そうだな。けど、それに気づくのが一番難しいんだ。お前はよくやったよ。」その言葉に、陽翔は心の中で深く頷いた。


再び空へ


 最終訓練を終えた陽翔は、一人静かに滑走路に立った。彼の目の前には広がる空、背後には歩んできた道。その両方が、今の陽翔を形作っている。「もう一度、空を目指す理由ができたのかもしれない。」そう呟き、陽翔は再び機体に乗り込んだ。彼は滑走路を駆け上がっていく。その姿を、翎花が遠くから見守っていた。彼女の中でも何かが確かに動き始めているのを感じていた。


エンディング: 承前


 機体が空高く舞い上がる中、陽翔はかつて無口な男が言った言葉を思い出していた。「青春の門は一度きりじゃない。何度でも叩ける。」今、陽翔はそれを信じていた。門を叩くのは終わりではなく、新たな始まりだと。そしてその門の向こうには、まだ見ぬ空が広がっている。陽翔の機体は青空の中に消え、その跡には静かな風だけが残った。



「門と鍵・承前」完



 

あとがき


 「青春の門」は五木寛之の小説のタイトルだ。青春時代に出会い愛読者となった。この物語は全く異なるものだけれど、「青春の門」と言う言葉の持つ魅力に惹きつけられたオマージュでもある。そしてそこに「承前」と言う言葉を持ち込んだのだ。


 この物語は、とても描きたかったものだった。元々のプロットは、結婚相手もかつての婚約者同様主人公の元をさってしまう。主人公は長らくその理由を求めながら、いつしか封印してしまう。そしてある日、主人公自身が「他人を見る目」をしていた可能性に思い当たると言う身も蓋もない物だった。でも求めていたのは、お互いを高め会える生き方だった。


 空を飛びたいと言う思いは、若い頃抱いていたことだった。そしてようやくこの年になって、あの時の思いを描くと言う方法で、飛ぶ夢を果たそうとしている。じきに七十歳となる身ながらいまだに門の中と外を彷徨っているらしい。


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