top of page

美の物語4美の共振場モシカモシカと共鳴する森

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 8 時間前
  • 読了時間: 2分

2025/4/5



 この世界のどこかに、音のない森があるという。風もなく、小鳥も鳴かず、落ち葉すら音を立てない。それなのにそこを訪れた者は、決まってこう言う。


「何かが、聴こえた」


 ある日、道に迷った旅人がその森に辿り着く。名もなく、記憶もなく、言葉すら失った旅人。


 彼は森を歩きながら、音を探すように耳を澄ます。すると、不意に現れたのは、一匹の不思議な生き物――モシカモシカ。鴨の頭に鹿の角。声を持たず、ただ目を見つめてくる。


 モシカモシカは、旅人の前に座り、じっと動かない。すると、旅人の頭の奥から、言葉が湧きあがった。


「美しさって、何だろう…?」


 その瞬間、森の中で何かが微かに鳴った。



 旅人が歩を進めるたび、目にするすべてが語りかけてくる。


 倒木の割れ目が「誰かと手をつないだときの温度」に、苔むす石が「別れた人の声」に、

霧がかった光が「まだ名前のない涙」に。


「これは、私の心なのか?それとも、森の記憶なのか?」


 そして気づく。そこにあるのは、自分ひとりの感覚ではなかった。見ているもの、聴いているもの、感じているもの――それらは森と自分のあいだに浮かぶ“場”だった。


 それを、誰かがこう呼んだのだ。


「共鳴的主観」──主観が他者や世界と響き合い、互いの存在が“共に感じられる”空間。



 やがて旅人は、モシカモシカに導かれ、泉のほとりに立つ。


 そこでは、花が咲いていないのに香りがし、音を鳴らしていないのに調べが流れ、何も語っていないのに涙が溢れた。


 そのとき、旅人ははっきりと知る。


「美しさとは、私が私を忘れ、世界の声を聴いたときに生まれる」

「美の共振場とは、主観と主観が響き合い、個を越えて共に在る“間”だ」



 旅人が森を出たとき、言葉も記憶も名前も戻らなかった。けれど、その眼差しは、すべてのものを美しいと思える眼になっていた。


 モシカモシカは森の奥へと消えていく。けれど旅人は、それを心の奥でずっと見ている。



 美しさは、感じる“私”ではなく、“私と世界のあいだ”に生まれる。美とは、響き合うという行為そのもの。



「美の共振場 モシカモシカと共鳴する森」了

 

あとがき


 “他者と繋がっている”という感覚、その中には美しいものも、痛ましいものも、時に怒りや絶望もあるけれど、「言葉を交わす」という行為そのものが、すでに“美しさの源”かもしれない。美に迫る物語第四弾。

Comments


bottom of page