俺の心
「得恋は失恋より苦しい」
第1章
9月13日の手記
俺は、あいつが大きな声で声をかけてくれるのではないかと、期待して電車を降りた。人の接近を感じながら、ゆっくりと何気なく歩く、駅員は本当に俺の定期を見ているのだろうか、この駅なら乗車券なしで乗れてしまう呑気な駅だ。そんなことを思っているうちに、あいつは見事に俺を抜き去っていった。俺は急に空腹感を覚え、駅前の菓子店に入り、パンを二個買って食べずにポケットへ突っ込み、早足で学校への道を急いだ。こちらから話しかけようと思ったのだ。
数分後、あいつを見つけた。あいつは友人達と楽しそうに話をしている。俺にはまるで気がついていない。そんなふりをしているように思えた。俺はどうしようか迷う。今俺が抜いてきたばかりの人の群れが俺を抜いてゆく。あいつめ俺のことに気づいているだろうに、知らんふりしやがって。ちょっと腹が立ち、さっき買ったパンを一気に食べた。少しも美味くない、腹の足しにもならない。
あいつの前方に、友人がいた、そうだ友人のところへ行って、このやるせなさをなんとかしよう。しかし、あいつの横を知らん顔をして通り過ぎる訳にもいかない。といって、今更話しかける気も起こらない。人はなんて自然に歩けるんだろう、足は交互に動かされ、その複雑な動作を気にもせずに話さえしながら巧みに進んで行く。人ってやるせない時こんなことを考えるんだろうか。
あいつの友人の一人が、さも見てはいけないものを見たような顔で、俺の顔を見た。そしてあいつに「目が合っちゃった」と言った。あいつは白々しくも、さも今俺の存在を知ったような顔で「あっ、おはよう」と言った。俺は内心の嬉しさを隠しながら「オス」と返事をする。ところがあいつは、俺のことなど気にもせずに友人たちと話の続きを始めた。
俺は、あいつの顔を見ている阿保面が惨めで、立ち去りたかったけれど、慌てて駆け出してはかえって惨めだし、早足で歩くのも見え透いている、かといってコソコソあいつのそばを歩く気にもなれない。今や、自分の顔、体つき、その他すべてが惨めで不細工に思える。
さっき食べてしまったパンを、食べなければよかったと思う。
俺はしっかりしろと自分を鼓舞した、手をポケットに突っ込み、気取って歩こうとした。
しかし、気にすればするほど、歩き方がぎこちなくなり、歩き方がわからなくなってくる。妙に足を高くあげたり、つまづいたり、内股になったり、がに股になったり、めちゃくちゃだ。こんな時、周囲は俺のことなど見ているわけではないのだが、俺の動作の一から十まで見られているみたいで、みんなの視線が、俺の体を串刺しにする。
体は暑く、学生服の下は汗だくで、顔は真っ赤に違いない。涙が出てくる。目がかすむと思っているうちに学校の門が見えた。
10月10日の手記
俺とあいつの仲は今や友達とも恋人とも言えない妙な仲で、そのまま長い間過ごしてしまっていた。俺はこのままではいけないと思っていたし、俺の気持ちははっきりしていた。あいつに打ち明けようと思っていた。でも、あいつは軽い気持ちで俺と付き合っているのかもしれない、そんな思いからはっきりさせるのが怖かった。そんな、ぐずぐずしている自分に腹が立ち、振られてもともと、うまくいけばもうけもの、男らしく決着をつけようと思い始めていた。しかし、あいつに会うと何も言えないのだ。
今日は体育の日でお休みだ、一日勉強して、明日、あいつにあったら、その時勝負しようと思った。前日の夕方7時に寝て朝の9時に起きたから14時間寝たことになる。爽快な朝だ。朝陽が優しく俺を包む、ギターは弾くまいと鍵をかけていたが、鍵は机の上、雑作もなくギターの音が響きだす。30分弾こう、今日は指がよく動く、作曲家はこんな朝に素敵な曲を書くのだろうか。
納豆ご飯を二杯かき込んで、10時から勉強を始めた。音楽を聴きながら問題を解く、曲が終わるたびに休憩を取る。机に向かい続け夜の2時、明日のことを思うと力が入る。
10月11日の手記
昨日頑張りすぎた、寝覚めが悪い。悪い予感が俺をトイレへ向かわせる。いつもになく髪の手入れをする。いつもと変わらぬ顔だ、今日は納豆ご飯はよしておこう。朝陽はいつもと変わらず俺を迎えてくれる。電車も、いつもと変わらず2分遅れてきた。電車の中で勉強をする。ただ格好をつけたい。頭の中では、数分後に口にする台詞を考えていた。あいつの街に着くと、ドアが開く。多くの人がなだれ込んでくる。この中にあいつがいるのだ。あいつと同じ空気を吸っているのだ。そんな思いで熱くなる。
電車が発車して、また止まった。静かだ、人の動きがまるで無声映画のように流れてゆく。俺はポケットに手を突っ込んで、ホームに立つ、なんと目の前にあいつがいた。今朝あんなに焦っていたのに、「おはよう」って、いつもと変わらない挨拶をした。あいつは今日も友人と一緒だ。その友人もなんとなく知らないうちにどこかへ行ってしまった。
「あのな」
「なに」
「あのな、好きなやついる?」
「いないわ」
沈黙が続く、俺は意気地なしだ、話題を変えてしまったのだ。
10月14日の手記
あれから三日経ってしまった。俺はぐるぐる回る頭を抱えて電車に乗った、あいつは電車に乗っていなかった。俺は体から骨が溶け出してふにゃふにゃになるような気がた。学校へ行く意味がなくなったみたいだ。1限目はReader、少しも手につかない。何より頭が働かない。そういう日に限って当てられてしまう。準備万端な時はちっとも当てられないのに。大恥をかきながら切り抜けた。もはや恥さえも、俺に恥ずかしさを感じさせてくれない、俺の心はどこへ行っちまったんだ。
友人がからかいに来る、言われるままの俺、言い返す事も出来ない。友人から逃げ出してパンを買いに一人で一階へ降りた。パンを買ってダラダラと登る階段、教室への道は長く険しい。俺の名を呼ぶ声がした。あいつだった、懐かしいような、憎らしいような、甘酸っぱい気持ちが溢れ、汗がどっと吹き出す。俺はこいつに言わなければならないことがある、周りの生徒は全て俺の視界から消え、あいつだけが見える。「手紙書いたの」あいつが口を開いた。俺はびっくりした、予期していなかったから、そして嬉しさで舞い上がってしまう。
あいつは手紙を取りに教室へ走って行く。あいつの後ろ姿へ「話したいことがあるから、弁当食ったら、生徒会室に来い」と言うと、俺もポケットに手を突っ込みながら、階段を3段飛びに駆け上がった。後ろから「うん」というあいつの声がした。俺は焦点が定まらないまま教室に駆け戻った。誰かにぶつかったかもしれないけれど、よく覚えていない。教室に戻ると一気にパンを食べ、まだ空腹が満たされない俺は、さっき俺をからかった友人の弁当を漁った。美味しい。腹がふくれるや、すぐさま生徒会室へ向かった。
生徒会室に飛び込んだ俺は、すでにきているあいつを見て驚いた。弁当食べなかったの?いやそんなことはどうでもいい、俺は今日伝えるべきことのほとんどがもう伝わっているのを感じた。あいつを校庭に誘った、芝生に静かに座るあいつに見とれている。自分を失いそうだ。心臓の鼓動が聞こえる。目がかすむ。舌がちじこまる。あいつは俯いていた。俺は言葉を口にしようとすると、ほっぺたの筋肉が引きつって笑ってしまう。あいつも笑う。じれったい時間が流れてゆく。
「あのな」
「俺な」
「君のこと好きなんだ」
あいつは俺を見てまた下を向いた。
「嫌いだったらここに来ないわ」
と言った。
The End
Comments