2025/2/9
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商店街の和菓子屋「林檎堂」は、今日も賑わっている。店先には「節分限定・福豆大福」「恵方巻ロールケーキ」と書かれた札が立てられ、恵方巻ならぬロールケーキを手に取る客が楽しげに選んでいた。
店主の蒼真(そうま)は、季節ごとの行事に合わせた和菓子を作るのが何より好きだった。正月の花びら餅、春の桜餅、夏の水無月、秋の月見団子、冬の冬至南瓜まんじゅう……。行事のたびに、新作を考えては客の反応を楽しみにしている。
春菜(はるな)は、和菓子が大好きで、行事ごとのお菓子を楽しみにしていた。
「蒼真さん、今日は何ですか?」
「節分だな。福を呼び込む大福と、恵方巻ロールケーキがあるぞ」
「じゃあ、大福ひとつください」
春菜はにこにこしながら、包みを受け取ると、その場でかじった。
「うん、美味しい! やっぱり『何とかの日』は食べるのが一番ですね」
「そうだな。意味とかしきたりとかも大事だが、結局は楽しむのが一番だ」
蒼真はふと、幼い頃のことを思い出す。自分もまた、季節の行事が好きだった。母が作る七草粥や柏餅を食べながら、「今日はこんな意味があるんだよ」と話を聞くのが楽しかった。そしていつしか、「誰かの記憶に残る和菓子を作りたい」と思うようになった。
「蒼真さんって、どうしてこういう行事ごとのお菓子を作るんですか?」
春菜が尋ねると、にっこり笑いながら答えた。
「食べることは、覚えておくことだから」
「覚えておくこと?」
「たとえば、春菜ちゃんは去年の節分、何を食べたか覚えてるかい?」
「えっと……あ! ここで福豆大福を買いました!」
「だろ? そうやって、食べたものと一緒に、その日のことも思い出せる。それが楽しい記憶なら、なおさらいいだろ?」
春菜は微笑む。
「確かに、私、小さい頃のクリスマスに食べたケーキとか、十五夜のお団子とか、すごくよく覚えてます」
「だろ? だから、誰かが『何とかの日』を思い出すときに、一緒にうちの和菓子を思い出してくれたらいいな、と思ってるんだ」
春菜は手の中の福豆大福を見つめ、それからぱくりと食べた。
「うん、来年の節分も、ここに来ます!」
「待ってるよ」
商店街のざわめきの中、林檎堂の暖簾が静かに揺れていた。
あとがき
「何とかの日」と呼ばれるものが好きだ。それを理由に食べることが楽しみなのだ。
正月の雑煮、七草粥。節分の恵方巻き。バレンタインデーのチョコレート。ホワイトデーのクッキー。お彼岸の牡丹餅。ひな祭りの菱餅。子どもの日のちまき。母の日や父の日は、いつもと違う特別な料理。土用の丑の日には鰻、十五夜には月見団子。誕生日やクリスマスにはケーキ。冬至のかぼちゃ、年越し蕎麦。こうして振り返ると、日本の食文化と年中行事は、結びついている。
その日が近づくと、ニュースでは各地の様子が伝えられ、由来や作法、しきたりなどが語られる。本来の意味はさておき、「○○の日」にかこつけた商売人たちの策略に、まんまと乗せられる。それを承知のうえで、その流れに乗ることを選び、みんなで大騒ぎをする。そして、ちょっぴり無病息災を願いながら、ささやかな幸せを噛みしめる。
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