2024/12/2
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父は刑務官だった。私が物心ついた頃には、家の前に刑務所の高い塀がそびえ、暮らしはその塀とともにあった。髪を切るのは刑務所の中で、というのが当たり前で、だから受刑者たちは私にとって近所のおじさんと大差ない存在だった。
刑務所の塀は四角く囲われ、その東西に官舎が並んでいた。塀の端から端が遊び場だった。父が泊まり勤務の日には、塀を半周ほど回って夕食の弁当を母と一緒に届けに行った。塀をぐるりと一周できるようになったのは、少し大きくなってからだ。
父は若い頃バイオリンを弾いていたらしいが、私の記憶には、その姿はない。けれども、家にはちゃんとバイオリンがあった。父が得意だったのはハーモニカで、唇をそっと動かしながら吹く音は軽やかで、何とも心地よかった。
父は趣味の多い人だった。切手集めや模型作り、写真撮影に木版画、油絵に水彩画、書道や陶芸まで、どれも一つ一つ凝る人だった。自分でスライドを作り、ナレーションを入れたりすることまでしていた。それを子供の私は尊敬の眼差しで見ていた。
新しい物好きな父は、まだ普及していない時代からテレビやステレオをいち早く手に入れた。その一方で、車の免許は頑なに取ろうとせず、電話も長い間引かなかった。父なりの基準があったのだろう。
両親との旅行は楽しい思い出だ。海や山、見知らぬ町で出会う風景や人々は、どれも私の中に新しい扉を開けた。父は勉強のことではほとんど何も言わなかったが、その代わり、たくさんの世界を見せてくれた。
母が話してくれたことがある。父は若い頃、天気が悪いとデートをすっぽかす人だった。母は待ちぼうけを食わされて、怒りのあまり一人で映画を観に行った。その映画が「アマゾンのギョルマン人」。その夜、父は母の家に謝りに行き、どうにか許してもらったらしい。
父から受け継いだものは数多い。切手やカメラ、オーディオといった道具たちや、旅行の楽しみ、そして何よりも、どんなことにも興味を持つという好奇心が、その中で最も大きなものかもしれない。
母は生き物を愛する人だ。ひよこやカナリヤ、雀の子など、小さな命を慈しむ姿が思い出される。子供の頃、拾ったり、縁日で買った小動物は、母のおかげで生き延びることができた。晩年、母が同居するようになると私が飼う犬を孫のように可愛がってくれた。
雪国の春は短い、しかし年中花があった記憶がある。母は庭にたくさんの花を咲かせた。四季折々の花に野菜、イチジクの木。割烹着を着て縁側に洗濯物を干したり、生き物の世話をする母の後ろ姿は、今でも鮮やかに記憶に残っている。
母もまた、絵を描くことが好きな人だった。私が絵を描く楽しみを知ったのは、間違いなく母のおかげだと思う。そして、何より母から受け継いだものは、その優しさだろう。
母は人付き合いを大切にする一方で、一人でいることを自由と感じる人でもあった。その感覚は、私にも不思議なくらいそのまま引き継がれている。
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