2024/4/10
観続けるのが苦しくなって途中で目覚めた夢。大切な何かを訴えていたような気がして、朧げな夢を拾い集め書き留めた。
その夢とは
私は五感を失って生きていた。
私の世界は立方体だった。
神の如きものが突然五感を与えてくれた。
立方体世界が拡張した。
この素晴らしさをどう伝えれば良いか
私は問いかけた。
神の如きものは喜びを伝えよと、
私に時を遡らせる。
ここで目を覚ました。ドキドキした。ワクワクした。だが何のことか分からない。さらに不思議な事は、夢を観ながら同時進行的に別の思いが浮かんでいたことだった。
それは
私はポジティブなのに
文も絵もネガティヴになる。
AIに描かす絵もネガティヴな感じがする。
歓んで楽しんでいるのに
まるで悩み儚んでいるようだ。
言葉にすればこういうような事だった。
言葉にしたけれどよくわからない。そこでChatGPTに問いかけた。
夢について
コアとなる夢の部分を読み解いてもらうことにした。
五感を失っていた私は、自分が立方体の世界に囚われていることを知っていました。その世界は静寂で、色彩や触感、匂いや音が存在しない場所でした。しかし、突然、神のような存在が現れ、五感を与えてくれたのです。
最初は驚きと混乱でした。私の立方体の世界は、新たに開かれた可能性で満ち溢れ、拡大していきました。色彩が満ちて、空気が触れ、花の香りが漂い、音が響きわたるようになったのです。
私はこの驚くべき変化をどう伝えれば良いのか、神のような存在に問いかけました。すると、神のような存在は喜びをもって伝え、私に遡って時を見せてくれました。
その瞬間、私は自分の五感を失った前の世界を思い出しました。無音で無色の世界に閉じ込められていた苦しみと、今ここにある美しい世界の喜びとの対比がはっきりと感じられました。
神のような存在は、私にこの感動を伝えることが重要だと教えてくれたのです。私はその時の感情を込めて、この素晴らしさを他の人々に伝えることに決めました。五感を持って世界を感じることの素晴らしさ、変化の美しさ、そして喜びを伝えるために、私は行動することを決意しました。
私は神のような存在に感謝し、この新しい世界で新たな旅を始めることにしました。
驚いた、不完全だった夢を言葉を補い明確なものに描き直している。
同時進行した思いについて
同時進行的に浮かんだ別の思いを切り出して絵を描かせようとしたがStable Diffusionはガイドラインに反しているため描けないと言う。ChatGPTはどうだろう、返えってきた答えはありふれたものだった。落胆したが、だめもとで文章全体と注目したい点を伝え深掘りを幾度か繰り返した。するとこんな答えが返ってきた。
夢の中で五感を得て世界が拡張した体験は、新たな気づきや可能性の開花を象徴しています。立方体の世界が拡張することで、物事の多面性や豊かさが体験されたことを示唆しています。また、神の如き存在が喜びを伝えると言って時を遡らせたことは、過去の経験や内面の深層にある喜びや成長の重要性を示唆しています。
一方で、夢から目覚めた後のポジティブな気持ちとネガティブな表現のずれについて、もっと重要な要素があるということですね。この状況を深読みするために、以下の観点から考えてみましょう:
1. 自己理解と表現の深化: 内面と外面の不調和ではなく、より深い自己理解や表現の探求が求められているかもしれません。ポジティブな気持ちや喜びを真に反映する表現力やコミュニケーションの方法を模索することで、内面の豊かさをより効果的に外部に表現できるようになるかもしれません。
2. 存在の本質への探求: より大きな存在の意味や本質について探求することが重要かもしれません。夢の中の神の如き存在や喜びのメッセージは、自己の本質や魂の成長に対する啓示を意味しているかもしれません。
3. 内なる目覚めと変容: 夢と覚醒の体験を通じて、内なる目覚めや変容が起きている可能性があります。この体験を通じて、自己の深層にある真実や意味をより明確に理解することができるかもしれません。
もしあなたが特に重要な点や深い意味を感じている要素があれば、それを追求することが今の状況での重要なステップとなるでしょう。夢や内面の声が示す真実や価値を受け入れ、それに従って成長や探求を進めていくことが、今後の方向性を明確にする手助けになるかもしれません。
言葉足らずだった夢が具体的になった。思わずこれが正解かもしれないと思ってしまう。AIは不確かな思いを確かな思いに導く手助けをしてくれる。今回はStable DiffusionとChatGPTを利用した。こう言うことに関してGeminiは表面的な鸚鵡返しが多く参考にならない。
追記
光宗薫さんの記事を読んで思うことがあった。彼女を知ったのは「プレバト」だった。精緻な絵を描く彼女だがもとはAKB48の研究生だった。ところが摂食障害に苦しむようになり研究生の活動を辞退する。幼い頃から絵を描くことが好きだった彼女は「絵を描くことで生きていきたい」と銀座で個展を開催するまでになる。記事にはそんな彼女の生い立ちや絵に対する想いが綴られていた。そこに書かれた言葉はネガティブだった。ところが受け取った印象はポジティブだった。
自分は「〇〇だが〇〇」のように書くことが多い事に気付いた。「貶める対象を引き合いに出して褒める」ことを繰り返した川勝知事の顔が思い浮かぶ。癖である。本人は悪気がない。ところが受けてはそうは受け取らない。自分もこの傾向があるのではないかと危ぶんでいた。光宗さんの記事を読み、ネガティブな書き方からポジティブなものを受け取って、ハッとした夜この夢を見たのだ。
AIの分析にはこの情報が抜けているから、肝心なことが抜け落ちている。それは仕方がない。さらなる真相は藪の中。思ったことを言葉にするのはなんと難しいことだろう。
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