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執筆者の写真Napple

青春の門 承前

更新日:5月25日

2023/3/23


 かつて青春の門を前にして鍵がなくて入れないと嘆いた時代があった。


 

ダイアリーより


1974年1月20日


 青春の門をトントンと叩いたら「自分で開けてください」という返事が返ってきた。私は、素直に「はい」と言って門を押した。でも開かない、引いても開かない。なぜなら門には鍵がかかっていたのだ。私は「ひどいじゃないですか鍵なんかかけて、すぐに開けてください」というと、「自分で開けてください」という返事しか戻ってこない。私はその時から門の鍵を探して旅に出たのです。


 今思うのですが、あの門は、本当は鍵なんて掛かってなかったんではないでしょうか。私はまだ鍵が見つからないんですよ。でも、もう門の中にいるような気がするんです。いえ、そんな気がちょっとしただけですけどね。


 When I knocked the gate of youth, a reply "Please open myself" came back.So I pushed and pulled the gate, but the gate would not open.The gate was locked.When I say "Please open the key".A reply "Please open yourself" from the gate will come back.From that time, I went on a journey to find the gate key.

 I am now,I think that there was no key in the gate.Because I have not been able to find the key yet.However, I feel that I am already inside the gate.No, I think a bit.


1986年12月14日


 もうどのくらい前の事だろう。何もできないくせに、何でもできると思っていた時代の事。一人の青年が、いつかするであろう何かに憧れながら、何もできない今を不思議そうに見つめていた。美しい娘に出会い、自分の夢物語を話した。娘は、夢物語にうっとりとした。この人と一緒にいれば、素敵な何かが起こりそうな、そんな予感がした。いろいろなところへ一緒に行き、たくさん一緒の時間を過ごした。一年、二年、三年と 月日が立つうちに少しずつ、何かが違っているような気がしてきた。そう、青年はなかなか夢を叶えられそうもなっかた。もう、子供のように、何もかもが叶うなどとは思わなかったけれども、少なくとも、一つくらいは叶うだろうと思っていたし叶うべきだった。四年、五年、六年が過ぎた。何かとっても素敵な夢があったはずなのに、それが何であったかわからない自分に気がついた。自分は本当に素敵な夢を持っていたのだろうか。もしかすると・・・。ふと気がつくと、いつもそばにいた娘が他人を見る目で青年を見つめていた。


1986年12月16日


 まだ自分が青春という門の外にいると思っていたころ、青春の門の鍵を探していた。いくら探しても、門の鍵はみつからなかった。ところが、気がついてみると、どうやら自分は 青春の門を、もうくぐって青春のど真ん中にいるのを知ったのだった。これはとんでもない事だった。このままではきっと僕は気がつかないうちに叉青春の門の外に出てしまうに違いない。

 

2023年3月23日


 愛を求め始めた頃、青春の門の鍵を手に入れた。でもそのことに気づかず、青春の門を潜ったことさえ気づかぬまま彷徨っていた。


 ふと気がつくと青春の門の中にいる自分を知るが、いつ鍵を手に入れいつ門を潜ったのかわからない。こんなことでは気がつかないうちに外に出てしまうと恐れた。


 時間はあっという間に過ぎてしまう。愛を失い片割れを求めることを辞めた時、夢が叶うという現実に目が眩む。今私はどこにいるのだろう。


 

承前とは


 「前の文章を受けて続いていること。また、続きものの文章の初めなどに書く語。」

デジタル大辞泉(小学館)より


 

2023年5月25日


 「いつもそばにいた娘が他人を見る目で青年を見つめていた。」その心を凍りつかせる視線は二度繰り返された。一度目は婚約を誓った女(ひと)だった。ある日彼女は他人を見る目を残して去って行った。そんなことがあったから、妻と出会った時、この女(ひと)が他人を見る目で見つめる日が来たらどうしようと不安がよぎった。そんなことも忘れそうになった10年後に現実になった。彼女たちが他人を見る目で見つめるようになったのには訳がある。でもその訳が何なのか実はわからない。思い当たることはある。でも真実はわからない。教えてくれなかったから。


 村上春樹の「街と不確かなその壁」を読み進むうちにフト湧き上がった思いがある。それは衝撃的な思いだった。まさかと思いつつ、もしかするとそうだったのではないか。もしかすると、僕があの女(ひと)を他人を見る目で見たのかもしれない。


 何か気がついたことがあったとする。しばらくはその思いつきに満足して、これこそ真実だと思う。でもちょっと時が経ち、少し心を落ち着けた時、横から、裏から、別の角度から見ることができた時、別の真実が見えてくる。答えは一つとは限らない。 全てのことに言えることなのだろう。



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