自分の花押を作ってみたいと思い、佐藤進一著「花押を読む」を読んだ。
そもそも花王とはなにか、本書を読むまでちゃんとしたことを知らなかった。筆者の解説によれば「花押とは自署の代わりにに用いられる記号もしくは符号であって、その起源は自署の草書体にある。草書体の自署を草名と呼び、草名の筆順、形状が到底普通の文字とは見なしえない特殊性を帯びたものを花押という。」という。わかったようなわからんようなことだが、簡単に言うと「一種のサイン」である。
花押は中国で発生し、日本では933年の”右大史坂上經行”の花押が最も古く、以後連綿と使われてきたが「明治元年(1868年)11月、新政府は諸大名に対して、花押は必ず自筆を持ってしたたむべくことを令し、次いで同6年7月、来る10月以降は人民相互の諸証書に爪印・花押などを用いることを禁じ、実印を使用するべきこと、実印なき証書は裁判上の証拠とはならぬ旨の太政官布告を発した。」こんな布告を出したものだから、明治になって花押は一挙に使われなくなってゆく。ただ、その後「太政官布告は廃止となり花王を処した証書も裁判上の証拠力をある程度認められるようになった。」ということで、現在も大臣が文書に花押を記しているようだ。
本書は著名な人物の花押の成り立ちを軽快なテンポで捲し立てるように論じてゆく。有名どころでは”足利尊氏”、”織田信長”、”徳川家康”をはじめ近代の政治家”吉田茂”ら総勢363名もの花押を解説している。花押を読み解くということは、図形の中にどんな文字が隠されているかを見つけ出す謎解きのようなことでもある。また、本書が佐藤氏の卒業論文が元となっているというのに驚いてしまう。20代といえばまだ若造だと思うが、氏の文字や歴史に関する知識は並外れていて、両者を結びつけることで花押を読み解いてゆく。ちょっとした歴史推理ものを読んでいる趣があった。
「花押は自署する本人が他人に真似のできない本人独自の筆跡を持とうとする、はっきりとした目的意識から生まれたものである。」つまり花押には本人を証明する機能が備わってくるのだが、「このように実名を記さずに特別な記号、符号に類する花押だけを署して、諸者本人たることを証示するには、本来ならば、後世の判艦のような花押登録制度がなければならぬわけだが、そのような制度が存在した様子はない。」と仰るあたり面白い。確かに昔は印鑑証明のようなものはなかったわけで、花押を見て「うむ、確かにこれは信長様の花押・・・」とか言う感じで認識していたのだろう。サインは外国人のものと思いきや、古くから日本人もサインをしていた訳だ。しかもなかなか粋なサインだと思う。
読み進むうちに花押の構造がだんだんわかってくる。花押の作り方は、実名の一字、あるいは二字をもとに文字の一部を合わせたり回転させたり、裏表をひっくり返したり、鳥の形に模したりする場合や。実名、通称、苗字のいずれとも無関係の文字を選んで、作る場合もあった。”織田信長”は花押を頻繁に変えており、時に「麟」の字の草書体をもとに作った花押がある。これは筆者によれば「麒麟が至治の世にのみ出現すると信ぜられた想像上の動物であることを考えると、この一字を花押化することによって、至治の世、平和の代への願望を表現したのではないか」と言うことだ。花押には想いも込められている。
花押は形状が到底普通の文字とは見なしえない特殊性を帯びた形状に作られ、すでに文字ではなく、自分の名前や理想とする言葉が元となる図案、記号なのである。絵といってもまんざら間違いではないかもしれない。花押の作成は知識も必要だがデザインセンスが問われることなのだと感じる。
まずは自分の名前二文字から花押をデザインしてみた。
これは「行」と「宏」の文字を草書で書いて、回転させたり縮尺を変えて重ねることで作っている。分解すると下図のようになっている。
母の花押も作ってみた。
これは「喜」と「久」を草書にして組み合わせたもので、分解すると下図のようになっている。特に加工せずに重ねただけだが面白い形になったと思う。
父の花押も作ってみた。
これも「泰」と「典」を草書にして組み合わせたもので、分解すると下図のようになっている。今ひとつだがとりあえず第一弾ということで。
いずれも単純な作りの筆文字になっているが、万年筆で書いても様になるようにしたい。文字にアルファベットを用いて作っている人もおり、そうしたものを参考にしながら、誰にも似ていない、さらに色々な思いを盛り込んだ花押をデザインしてみたいと思っている。
ひとまず今回はこんな漢字。
あるいは。
2021/9/22
少しアレンジしたら面白い形になった。
ペンで描くと
こんなかんじ。