美の物語1桜に美を感じる脳の仕組み
- Napple
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2025/4/5

「神経の春」より
春の終わりかけ、都会の片隅にある古びた精神神経研究所で、一人の老人が桜の花びらをスキャナーにかけていた。名を、橘博士という。かつては神経美学の第一人者と呼ばれたが、今は「桜に宿る意識」の研究に没頭していた。
ある日、若き研究員の葵が、博士に反発する形でこう問いかける。
「桜が美しいのは、ただの記憶でしょう?幼い頃から見ているから。文化的な刷り込みです。脳科学で説明できます」
博士は静かに答える。
では、なぜ“初めて見るはずの”外国人も涙ぐむのかね?文化も言葉も超えて、なぜ、桜に“静かな崇高さ”を感じるのか。説明してみたまえ」
葵は黙った。
その夜、研究所の奥の保管庫で、葵は一冊の手記を見つける。博士が若い頃に書き残した未発表論文。
そこにはこう記されていた。
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「桜を見て美しいと感じるとき、視覚野だけでなく、記憶領域、共感領域、さらには“自我の境界”を司る領域までが同時に活性化する。これは『自分』という意識がいったん薄まり、花と自分とのあいだに“境界のない場”が生まれることを意味する。美しさとは、孤立した心がほんの一瞬、世界と融け合う瞬間なのかもしれない」
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そして翌朝、葵は博士にこう言う。
「つまり、桜の美しさって…“自己が他者と繋がる錯覚”なんですね。脳が、自分という殻を手放すときに感じる快感」
博士はふっと笑う。
「錯覚ではない。あれは“真実”だよ。我々がずっと忘れていた、世界との繋がりの記憶だ」
その日、満開の桜の下で、葵は初めて、言葉を持たない「美しさ」に触れた。脳の活動がどうであれ、確かに、花と一緒に呼吸していた。
「桜に美を感じる脳の仕組み」了
あとがき
美しさとはなにか?
美しさは、古代から哲学のテーマだ。プラトンにとって美は「イデア」と呼ばれる普遍的な真理の一つだった、カントは「美とは利害を伴わない快」と定義した。現代では神経美学なども登場し、脳の特定の領域が美を感じたときに活動することも分かっている。でも、それらの説明を聞いても、「なぜ桜はこんなにも美しいのか」という、胸に迫るような感覚の核心には届かない。これは、美に迫る物語第一弾。
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