異世界交差点
- Napple
- 2024年12月13日
- 読了時間: 15分
2024/12/13

第一章 1.9Lの魔法びん
夜の帳が降りる頃、街は静けさに包まれていた。喫茶店「1.9Lの魔法びん」の灯りが、闇に浮かぶように柔らかく光っている。店内には陽翔(はると)、蒼真(そうま)、彩音(あやね)、花乃(はなの)、そしてマスターが、それぞれに時間を過ごしていた。カウンターに座る無口な男は、いつものように何も語らない。ただ、その目だけが、店の空気を捉えている。外から騒がしい声が聞こえてきた。怒号、罵声、誰かの叫び。「外、なんだか騒がしいね」彩音がカーテンの隙間を覗き込む。蒼真が面倒くさそうに言った。「また若いやつらが揉めてんだろ。つまんねえな。」陽翔はカップを置き、ため息をつく。「止めてくるか……」扉が開き、冷たい空気が店に流れ込む。
外では、二人の男が掴み合い、周囲の人々は遠巻きに見守っている。そこへ、ふらりと現れた一人の男。黒い帽子、コートの裾が風に揺れている。誰もが彼に気づくが、なぜか声を掛けられない。彼はゆっくりと近づき、喧嘩をしている男たちの間に立った。そして、唐突に笑いながらこう言った。「あんたんたらあ、面白いねえ。雪を食べて水だと怒る子供みたいだ。」一瞬、空気が凍りついた。男たちは手を止め、彼を見つめる。周囲も沈黙に包まれる。「は?何言ってんだお前?」「いやいや、ほら」と怪人案単多裸亜(かいじんあんたんたらあ)は指で輪を作り、覗き込むように言った。「お前たちは覗いているんだよ。自分が作った氷の中を。」その言葉に、怒りの熱がふっと冷めた。男たちは顔を見合わせ、笑い出す。「なんだよそれ、くだらねえ!」「お前、頭おかしいんじゃねえの?」だが、その場にいた誰もが不思議なことに気づいた。先ほどまでの憤りや怒号は、いつの間にか消え去っていたのだ。陽翔は彼をじっと見つめた。「あんた、何者だ?」「わたしか?ただの覗き見好きさ」案単多裸亜は肩をすくめて笑う。マスターが店の扉を開け、静かに呼びかけた。「寒いだろう、中に入ったらどうだ?」案単多裸亜はふと立ち止まり、軽く頭を下げる。「お言葉に甘えるよ。」
喫茶店「1.9Lの魔法びん」に、静かな時間が流れる。コーヒーの香り、微かな音楽。怪人案単多裸亜はカウンターの一番端に座り、マスターと向き合う。「あなた、何者なんですか?」彩音が恐る恐る聞く。案単多裸亜はコーヒーカップを回しながら、ぽつりと言った。「わたしはね、アンタたちの感情が好きなんだよ。火花みたいに散って、でもすぐ消える。だから見ていたい。」無口な男がふと視線を上げる。彼が珍しく何か言いそうになった瞬間、案単多裸亜は笑い、指を立てた。「喋るな、君はそれでいいんだ。それが君の“役割”だろ?」店内がどっと笑いに包まれる。無口な男も少しだけ口元を緩めた。外の騒音はもう消え、静かな夜が戻っていた。案単多裸亜はコートを羽織り、立ち上がる。「もう行くのか?」陽翔が尋ねると、案単多裸亜は振り返り、微笑んだ。「また見に来るさ。アンタたちは面白いから。」彼はそのまま扉を開け、闇の中に消えた。
「なんなんだ、あいつ……」蒼真が呟く。マスターは静かにコーヒーを淹れながら言った。「いいんだよ、ああいう奴がたまに来るから、店が面白くなる。」誰もが納得したように頷き、日常に戻っていく。だが、それぞれの心の中には、案単多裸亜が残した“何か”が静かに揺れていた。その夜、無口な男がぽつりと呟いた。「雪を食べて、水だと怒る子供……か。」誰もその言葉を拾わなかったが、彼の目は少しだけ優しかった。
1.9Lの魔法びん 終わり
第二章 ワーランブールの石版
喫茶店「1.9Lの魔法びん」に、今日も常連たちが集っていた。陽翔、蒼真、彩音、花乃。そして、無口な男。マスターは静かにカウンター越しにコーヒーを淹れている。何気ない日常が流れる店内。だが、扉が開いた瞬間、空気が一変した。「あんたんたらあ、やあ、いいコーヒーの香りだ。」怪人案単多裸亜が、ふらりと姿を現す。黒い帽子、くたびれたコート、笑顔とも苦笑ともつかない表情。彼が席に座るや否や、皆の目が自然と引き寄せられる。蒼真が眉をひそめて言う。「また、お前か……。今度は何を見に来たんだよ。」案単多裸亜はニヤリと笑い、カウンターに小さな石片を放り出した。「ほら、これ。西の大地で拾ったんだが、見事だろう?なんたって“読めない”のがいい。人間は、読めないモノにやたらロマンを感じるからね。」陽翔が覗き込む。「何だよ、これ……?」石片には不思議な紋様と、まるで意味不明な文字が刻まれている。案単多裸亜は笑いながら、指を石片に向けた。「ワーランブールの石版だよ。次元の継ぎ目に落ちてた。まあ、たまにこういうモノが転がってくるんだ。落し物だろうな、誰かの。」「次元?継ぎ目?」彩音が首を傾げる。
案単多裸亜はコーヒーカップを手に取ると、わざとらしく一口すすり、言った。「お前たち、誰かがガムを噛んでるところを見たことがあるかい?“次元”ってのはアレに似ている。永遠に噛まれては捨てられる。口の中では味がするけど、吐き出されるとただのゴミだ。」蒼真が苦笑する。「意味がわからねえよ。」「意味なんて求めるな。ほら、人間だってそうだろ?何かを始めては途中で飽きて、そこらに投げ出す。“次元蟲”や“時空蟲”も同じさ。こっそり世界を噛んで、飽きたら放り出す。」花乃が不安げに尋ねた。「それって、危ないことなの?」案単多裸亜はカップを置き、真面目な顔をしたかと思うと、急にひょいと立ち上がり、無口な男の隣に座り込んだ。「危ないかどうかって?なあ、君はどう思う?」無口な男が僅かに顔を上げ、案単多裸亜を見つめた。周囲は息をのむ。「……触れるな。」低く、しわがれた声が店内に響く。案単多裸亜は満面の笑みを浮かべ、パチンと指を鳴らした。「ほら!今、彼が核心をついた!天才的だよ、無口な男くん!」
蒼真が苛立ち気味に言う。「お前、わざとふざけてるだろ。」「ふざけて?いや、僕はただ“覗き見て”いるだけさ。お前たちの驚いた顔、焦った顔、ちょっと真剣になる顔――どれも最高に面白い。」陽翔が真顔で尋ねる。「お前、結局なんなんだよ。」案単多裸亜は帽子をくるくる回し、楽しげに言う。「僕?僕はただの通りすがりの覗き見魔さ。君たちが“次元の継ぎ目”を見た時、どんな顔をするのか気になってね。」その時、電灯が一瞬、チカッと瞬いた。外の景色が、ほんの一瞬だが揺らいだように見える。「……今の、なんだ?」蒼真が警戒する。案単多裸亜は帽子を被り直し、ふわりと立ち上がった。「ほら、もう飽きた。継ぎ目に入り込むと、時間なんてあっという間だ。大丈夫、今はまだ噛まれていない。」「お前、ちゃんと説明しろよ!」蒼真が食い下がる。案単多裸亜は笑顔で手を振り、扉へ向かう。「説明を求めるのは子供のすることだ。大人は、黙って楽しめばいい。」彼は振り返らず、静かに去っていった。
彼が去った後、無口な男が石片を見つめていた。そして、その手はかすかに震えている。マスターが静かに言った。「継ぎ目に触れるな――あれは、そういうことだろうな。」誰も、言葉を返せなかった。ただ、店内には妙な静けさだけが残っていた。
ワーランブールの石版 終わり
第三章 継ぎ目の揺らぎ
喫茶店「1.9Lの魔法びん」は、相変わらず穏やかな時間が流れている――はずだった。陽翔が新聞をめくりながらぼやく。「最近、時間が合わないんだよな。時計が止まったり、ズレたりしてるし。」蒼真が鼻で笑う。「電池が切れてんじゃねえのか?」すると、無口な男が僅かに動いた。彼の目が、まっすぐに壁時計を見つめている。時刻は――3時33分で止まっていた。「おい、マスター。壁の時計、動いてねえぞ。」マスターはちらりと時計を見て、答えた。「……そいつは、触らんほうがいい。」花乃が不安げに呟く。「何それ、怖い……。」
「あんたんたらあ、いやあ、いい雰囲気だね。」突然、案単多裸亜が姿を見せる。彼はいつものように帽子を深く被り、くたびれた笑みを浮かべながら、カウンターに腰掛けた。「時間が止まる?いや、時間なんて最初から“止まって”いるものだよ。」陽翔が苛立ち気味に聞く。「お前、また何を言ってんだよ。」案単多裸亜は石片を取り出し、机に置くと、指で軽くなぞった。「ワーランブールの継ぎ目は、君たちの時間を“噛んで”いるんだ。ほら、次元蟲の仕業さ。時間が動くのは、人間の錯覚だ。継ぎ目に引っ張られれば、止まって見えることもある。」蒼真が鋭く反論する。「そんな馬鹿な話があるかよ。」案単多裸亜は満面の笑みで答える。「馬鹿げているかどうかは、君が決めることじゃない。ほら、次元の向こう側で、時空蟲が蠢いている。」
その瞬間、店内の空気が揺れた。電球がまた一瞬、チカチカと瞬く。そして――窓の外の景色が、音もなく「ねじれた」。花乃が息を呑んだ。「……何、あれ?」外には、見たこともない光景が広がっている。黒く波打つ空、幾何学的な模様が浮かぶ大地。そして、無数の影が空を横切る。案単多裸亜は満足げに頷く。「素晴らしい!次元蟲が“向こう”に口を開けてるね。」陽翔が叫ぶ。「お前、どういうことだ!?」案単多裸亜はコーヒーをすすりながら答える。「これはほんの前菜さ。人間たちが“触れてはならないもの”に触れた時、世界は少しだけ反応する。まあ、次元蟲もお腹が空くんだろうね。」無口な男が立ち上がった。彼は、ゆっくりとカウンターに置かれた石版を見つめる。「……閉じろ。」案単多裸亜が拍手をした。「おお、無口な男くん!やはり君は分かっている!だが、いいのかい?人間はこういう危うい瞬間に、なぜか惹かれるものだ。」陽翔が無口な男を見つめる。「お前、何を知ってるんだ……?」無口な男は何も言わず、ゆっくりと石版を手に取った。瞬間、窓の外の景色がぶれ、揺らぎ、そして――日常が戻った。案単多裸亜は、名残惜しそうに言った。「つまらないな。でも、次はどうなるかな?」蒼真が息を吐き出した。「おい、もう帰れよ。」案単多裸亜はくるりと踵を返し、手を振った。「また来るよ。次元蟲と時空蟲は飽きっぽいからね。でも、君たち人間も大概だ。」そして、彼は扉の向こうへと消えた。
店内は再び静けさに包まれる。マスターが一言、「……触れるな。」と呟いた。無口な男は、何も言わず席に戻る。ただ、彼の手にはまだ、石版の小さな欠片(かけら)が握られていた。
継ぎ目の揺らぎ 終わり
第四章 欠片と覗き見の男
カウンターに並ぶコーヒーカップの数が、なぜかさっきから増えたり減ったりしている。いつもは気のせいで済ませられる現象だが、今日の「1.9Lの魔法びん」ではそうもいかない。「なんで……?」花乃がカップを数え直す。「6つあるはずなのに、5つしかない。」陽翔は新聞をたたんでため息をついた。「またかよ。何かおかしいって……。」蒼真がソファに深く座り込んでぼやく。「次元がどうこうとか言うんじゃねぇだろうな?」
そこに――
「あんたんたらあ、おや、減ったり増えたり。面白いね。」唐突に現れたのは怪人案単多裸亜。彼の登場にはもはや驚かないが、不可解な存在感だけは毎度のことながら異様だ。「お前、また来やがったな。」陽翔が険しい目で睨む。「また?」案単多裸亜は帽子をくるくる回しながら首を傾げる。「ずっとここにいるのかもしれないのに、どうして“また”なんだろうね。」「……何の話だ?」案単多裸亜は陽翔の隣の席に腰掛け、テーブルにあったカップをひょいと持ち上げる。「増えたり減ったり――君たち、そんなことにいちいち驚くんだね。」「驚くわ!」花乃が不安げに声を張り上げる。「普通じゃないでしょ!」案単多裸亜は少し笑った。そしてテーブルの向こうに座る無口な男を、じっと見つめる。「ほら、君のせいだってさ。」無口な男は微動だにしない。陽翔が怒りに任せて言う。「おい、お前いい加減――」「いい加減?誰が?何に?」案単多裸亜は声を弾ませる。「人間はいつも面白いね。自分の理解の範囲外だと、すぐに何かを“いい加減”だと言う。」彼は無口な男を指さした。「君と彼――二人とも、ここでは“異物”だ。でも違うね。君は騒ぎを面白がるだけの覗き見だが、彼は何かを閉じ込めている。」
静けさが走る。蒼真が吐き捨てるように言う。「何を……閉じ込めてるってんだ。」案単多裸亜は答えない。ただ、窓の外を見つめながら、ひとりごとのように言葉を紡いだ。「ねぇ、覗き見したこと、ある?カーテンの隙間から、人の部屋を覗くみたいに。ほんの少しだけ“向こう”が見える。でも――」彼はふっと笑う。「――向こうも、君を見てるんだ。」その瞬間、カウンターの向こうから「カタン」と音がした。振り向くと、1つだけ増えていたカップが、床に落ちて割れている。「あのさ……お前、何が言いたいんだよ。」陽翔が苛立ち混じりに尋ねる。案単多裸亜はあえて無邪気に笑った。「意味なんて、ないよ。意味があるなんて誰が決めた?」「――じゃあ、お前は何者なんだ。」「わたし?」案単多裸亜は帽子を深くかぶり直す。「わたしは、ただの覗き見好きさ。お前たちみたいに、見たいものを見て騒ぐわけじゃない。ただ――そこに“ある”ものを眺めるだけ。」陽翔が声を荒げる。「じゃあ、向こう側とか、閉じ込めるとか――何なんだよ!」案単多裸亜は立ち上がり、無口な男にもう一度視線を向ける。「君、ちゃんと閉じておかないと――次元の虫は、食べ散らかすよ。」無口な男の手が、わずかに震えた。だが彼は何も言わない。ただ、懐から何かを取り出してテーブルに置く。
――それは、あの日の「欠片」。
「欠片……」花乃が息をのむ。案単多裸亜はそれを見つめ、満足げに頷いた。そして店の扉へ向かいながら、ひとこと付け加える。「君たちは騒ぎすぎるんだよ。“ちょっと覗いただけ”で大騒ぎだ。まぁ、それも面白いけどね。」扉が開き、案単多裸亜はふわりと消えるように去っていく。店内は再び静まり返った。だが、あの「欠片」だけが存在感を放ち、まるでそこに穴が開いているように感じられる。無口な男はそれを拾い、カウンターに戻る。彼の目に何かが宿っている――それは静かな決意のようにも、諦めのようにも見える。「……なんなんだ、あいつは。」蒼真がぼそっと呟く。マスターはいつものように言葉少なげに答えた。「知らないほうがいいこともある。」
窓の外――何も変わらないはずの風景が、ほんの一瞬だけ揺れた。
欠片と覗き見の男 終わり
第五章 笑う穴と蠢く蟲
夜の「1.9Lの魔法びん」。カウンターに静かに座る無口な男。テーブルでは陽翔、蒼真、花乃が、テーブルの上に置かれた“石版の欠片”を囲んでいた。「これ、どこかで見た気がするんだよ。」陽翔がぽつりと呟く。突然、扉がガラリと開く。
――案単多裸亜だ。
「あんたんたらあ、ああ、また真面目な顔をして。人間はどうしてすぐに、知らないものを“解こう”とするんだろうね?」「……なんだよ、今度は。」蒼真が眉をひそめる。案単多裸亜はカウンターの無口な男に近寄り、ふいに肩を叩く。「ねえ、君は偉いよ。何も言わず、何もしない。でも――もう少しだけ“面白がったら”どうだい?」無口な男は動かない。ただ、その目だけが少し欠片を睨むように見た。案単多裸亜はひとり、ひょいとカウンターに座り、石版の欠片を指先でつつき始める。「ふむふむ。この欠片、穴の切れ端だね。……それも、“覗き穴”だ。」「覗き穴?」花乃が小首をかしげる。案単多裸亜はまるで何かを“説明しないように”言葉を続ける。「覗いた向こうに見えるものなんて、知りたくないだろう?だって――想像力って素敵じゃないか。」彼は欠片を指で回しながら、ふと陽翔の顔を見た。「君、例えば――雪を食べたことはあるか?」「は?」「雪を口に含んで、ほっと吐き出した瞬間、あれは雪じゃなくなる。“冷たい水”だ。君たちはそれを『がっかり』と言う。でも、私はね――そのがっかりする瞬間が、好きなんだ。」陽翔は言葉を失う。花乃が少し笑いながら言う。「……要するに、何が言いたいんですか?」案単多裸亜は、楽しそうに目を細めた。「要するに――“覗くな”ってことだよ。でも覗きたくなるだろう?人間って、そういうものだ。」
その時、欠片がふっとわずかに光った。店の外から、かすかな音――ザザッ……ザザッ……と、何かが這うような音がする。無口な男が立ち上がった。案単多裸亜は拍手をする。「おっと、動き出したね。さすが“対”だ。でも――遅いんじゃないかい?」無口な男は何も言わず、欠片を手に取り、静かに扉を開けて出ていった。陽翔たちが慌てて立ち上がろうとするが、案単多裸亜が両手を広げて引き止める。「ストップ、ストップ。見物料は高いよ?君たちはただ――ここで待ってればいい。」蒼真が怒りをにじませる。「お前、何がしたいんだよ!」案単多裸亜は首をかしげ、ひょいと笑った。「私? 私は――ただの“覗き見好き”さ。」外から、ザザッ……という音が止んだ。夜の静寂が戻る。案単多裸亜は満足げにコーヒーを啜る。「ほら、終わった。――さて、次はどこに“穴”が空くのかな。」陽翔は何も言えず、ただ案単多裸亜を見つめる。扉の向こうには、無口な男が欠片を抱え、静かに戻ってくる姿があった。案単多裸亜は立ち上がり、帽子を被り直す。「それじゃあ、私は次の“がっかり”を探しに行くよ。君たちは――まあ、頑張って。」そう言い残すと、案単多裸亜は夜の雑踏に消えた。
喫茶店には静寂が戻る。陽翔はふと窓の外を見つめ、呟いた。「……やっぱり、あいつが一番“異世界”だよ。」マスターが静かにコーヒーを淹れる音だけが、夜の喫茶店に響いていた――。
笑う穴と蠢く蟲 終わり
最終章 ぼくらの穴と案単多裸亜
「1.9Lの魔法びん」は静かだった。外では小雨が降り、喧騒はいつもより遠い。陽翔、花乃、蒼真、そしてマスター。全員が無言で石版の欠片を囲んでいた。その中心に、怪人案単多裸亜が座っている。彼は例によって、まるで関係のない話を始める。「あんたんたらあ、ねえ、知ってるかい?水たまりってさ、覗くと向こう側が見えるだろう?でも、足を突っ込んだ瞬間、ただの冷たい泥になるんだ。」「またわけのわからないことを……」蒼真がため息をつく。案単多裸亜は、欠片を指先でトンッと弾いた。「人間って、どうして覗きたがるんだろうね?何かを解き明かした途端、つまらなくなるのに。」
――その瞬間、欠片がかすかに震えた。
「……おい、今動かなかったか?」陽翔が目を見張る。無口な男が静かに立ち上がり、欠片を見つめた。その眼差しは、何かを“超えている”ような、不思議な光を湛えている。案単多裸亜は笑う。「さあて。これで最後の“覗き穴”だ。――君たちは覗くのかい?それとも、何も見ずに帰るかい?」蒼真が苛立ちを隠せない。「もういい加減、何なんだよお前は!」案単多裸亜は、目を細め、口元をひょいと歪めた。「何だろうね。何者だと思う?――天使かな、悪魔かな?それとも、ただの通りすがり。」花乃が恐る恐る言った。「あなたは……何を面白がっているんですか?」彼は嬉しそうに、ぽんっと手を叩いた。「それだよ、それ。君たちが“なぜ”と問うこと。解きたいけど、解けないものに苛立つ、その顔がね――最高だ。」その言葉に、静けさが一瞬満ちる。
だが、次の瞬間、欠片から低い音が響いた。――ザザッ、ザザッ……次元蟲の気配だ。扉の向こうから何かが這い寄る音が近づく。マスターが小さな声で言った。「何かが来るな。」無口な男が欠片を手に取る。案単多裸亜は、満足げに立ち上がり、店の扉を指差す。「さあ、幕引きだ。最後の“穴”は――閉じるのかな、開けたままにするのかな?」無口な男は扉へ向かう。ゆっくりと扉を開けると、そこには闇のような空間が広がっていた。そこに、何か――蠢く影が見え隠れする。案単多裸亜が言葉を落とす。「見たいか?――見ない方が、いいこともあるんだよ。」陽翔が無意識に呟いた。「……じゃあ、なんでお前は面白がるんだ。」案単多裸亜は振り返り、いつものように笑う。「だって、ぼくらは覗き見好きだからさ。」その瞬間、無口な男が欠片を闇に向かって放り投げた。欠片は音もなく闇へと消え、店の外の音がピタリと止まった。
――雨音だけが戻る。
案単多裸亜は帽子を脱ぎ、陽翔たちに向かってひらひらと振る。「さあ、日常に戻った。面白い“がっかり”は見つけたかい?」「……何もわからないままじゃないか。」蒼真がぼやく。案単多裸亜は目を細め、微笑んだ。「それでいいんだよ。わからないから、人間は今日も“覗き続ける”んだ。」彼は扉を出て、夜の雑踏に消えていく。喫茶店には静けさが戻り、マスターがゆっくりとコーヒーを淹れ始めた。花乃がポツリと呟く。「……あの人、結局なんだったんでしょうね。」陽翔がふと笑う。「さあな。ただ――何かが面白かったんだろ。」蒼真は首を振りながら言った。「……なんだよ、最後まで意味がわからない。」
扉の外には雨が降り続き、まるで何もなかったかのように夜は更けていく。
最終章 ぼくらの穴と案単多裸亜 終わり
あとがき
1.9lの魔法びんと怪人案単多裸亜と次元蟲が異世界交差点で出会ってしまった。
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