top of page

無遠慮の贅沢

執筆者の写真: NappleNapple

更新日:2024年12月13日

2024/11/19


 駄文を書くのが楽しい。他人に読ませるつもりもなく、誰に気を遣うでもない。ただ思いついたことをそのまま書き出す。


 浮かんでは消える思いを留めたい。自分にとって重要なことだと思うから。他人にどう映るかは考えていない。それゆえに真っ直ぐでいられる。その自由が、何より心地よい。


 若いころ、学生の発表会を眺めて「可愛い子はおらんね」と呟いた。傍らにいた彼女が、「身内の人が聞いているかもしれないよ」と小声でたしなめた。自分の無神経さに赤面し、以後言葉には気をつけるようになった。しかしどこか釈然としないものが残った。


 他人から思いやりのない態度を取られると、「もっとお互いを気遣うべきだ」と感じるものだ。とはいえ、だからといって特別な配慮を求めているわけではない。むしろ「そっとしておいてほしい」と思うことのほうが多い。思ったことをなんでも口に出すわけにはいかないが、気遣いばかりでは自分の本音が隠れてしまう。その間で揺れるのが、人と関わることの難しさであり、面白さでもあるのだろう。


 だからこそ、自分のためだけに書く文章がいかに贅沢なものかが分かる。誰かに読ませることを前提にした文章は、当然ながら相手への配慮が必要だ。しかし、自分のためだけに書く文章には、そうした縛りがない。だからといって乱雑ではない。推敲し、書き直し、何度も読み返す。それでも、自分の思いをそのまま吐き出せるという点で、これ以上に心が満たされることはない。それを「日記」と呼ぶのかもしれないが、それは些事だ。こうして自由に書けることが、何より楽しい。



閲覧数:28回0件のコメント

最新記事

すべて表示
節分

節分

奏でる

アプリ

アプリ

Comments


bottom of page