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気持 第5話

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 1 日前
  • 読了時間: 2分

2025/5/15



再会


 その日、喫茶店「1.9Lの魔法びん」の窓際の席には、冬の日差しが柔らかく射し込んでいた。葉月は、湯気の立つカップを両手で包むように持ち、しばらくじっと窓の外の明るさを見ていた。春の手前の、乾いた冷気。けれど、どこか人の暮らしの温もりが滲んでいる季節。


 向かいには春菜が座っていた。ふたりはときどき、言葉を交わしながら、静かな時間を共有していた。最近はよく会うようになった。葉月は、自分から誰かに声をかけることが得意ではなかったが、春菜には、最初から不思議と力まずにいられた。


 今日の春菜は、紺色のカーディガンを羽織り、落ち着いたベージュのスカートを履いていた。葉月はふと、その組み合わせに見覚えがあるような気がした。


 春菜が文庫本を閉じた時に栞が落ちた。葉月はそれをただ拾って春菜に手渡そうとした。その時、しおりに手書きされた言葉が目に入った。


冬日和 声にせずとも 灯るもの


「これは……」


「……もしかして」


「……あなた?」


 言葉は、ごく小さな声だった。けれど、それは、もう疑う余地のない確かさで、ふたりの間に降り立った。時間が、一瞬、止まる。


 葉月は、微笑んだ。驚きと、納得と、懐かしさと、少しの恥ずかしさを混ぜたような、やさしい笑みだった。


「ずっと、気になっていたの。あのときの人、あの言葉……」


「えっどういうこと?」春菜はまだ気が付いていない。


 葉月は、少しうつむいてから顔を上げ、ゆっくり言った。「ずっと、忘れてはいなかった。でも、こんなふうに再会するなんて……」


 窓の外では、冬の陽射しが、街路樹の枝に透けていた。人の出入りの少ない午後、喫茶店の時間は、ふたりのためだけに流れているように感じられた。


言葉は、あのときと変わらず、やさしくそっと寄り添っていた。


冬日和 声にせずとも 灯るもの


 かつて交わされたたったひとつの句が、今になってふたりの間を照らし出す。あのときは、灯りだとは思わなかった。


気にかけることの中には、言葉にならない明かりがあるのだ。


「気持 第5話」(了)

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