気持 第1話
- Napple
- 1 日前
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2025/5/15

葉月の部屋にさす午後の光
葉月の部屋には、午後の光が斜めに差し込む。白いレースのカーテンを透かして、木洩れ日みたいな模様が、床とテーブルに落ちている。まるで、まだ話しかけてはいけない静けさの中に、光だけが先に入り込んでしまったようだ。
炊飯器の保温ランプが小さく灯っている。湯気の立たない台所は、昼食を終えたあとの名残だけを残していた。葉月はソファに腰を下ろし、湯のみを両手で包むようにして持ち上げた。お茶の温度はもうぬるい。けれど、そのぬるさが、今の自分にはちょうどいい気もした。
葉月は人と話すのが苦手というわけではなかった。むしろ話したいことはたくさんある。けれど、話したあとに、「あれは、余計だったのかしら」「変に思われなかったかしら」と、ひとつひとつの会話が、後になって胸の内をざわつかせる。
だからといって、黙っているのも苦しいのだ。言わなければよかった、と思うことと、言えばよかった、と思うこととが、いつも綱引きをしている。
今日もスーパーでレジの人に、ふと「ありがとう」と言った。言わなきゃよかった、とは思っていない。でも、あの人が少し驚いた顔をしていたのが、なぜかずっと気になってしまう。
言葉は残る。けれど、その意味は、受け取られた側のものだ。葉月はそこが、ずっと怖かった。自分の言葉で、誰かが少しでも曇ることがあったら、それだけで一日が重くなる。
だから、気になってしまう。相手の気持ち、顔の向き、言葉の抑揚、声の調子「気にしすぎ」だと言われるけれど、彼女にとっては、気にかけることは、息をすることと変わらない。
そして、自分が気にかけるからこそ、人から気にかけられることがどんなに嬉しいことかを知っている。でも、気にかけられたいと願ってしまう自分には、どこか後ろめたさがある。だからより、気にかけられる者でいるより、気にかける者でいようと思うのだ。
「気持 第1話」(了)
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