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日々はこうして暮れゆく

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

2025/4/22



 年金暮らしになって、私は母とのんびりと日々を過ごしている。母を案じる気持ちもあって、外出は控えめだ。だが、それに不満はない。むしろ母を理由に、外に出ずに済んでいる気もする。母のことを思いながら、好きなことをしている。


 近所付き合いはほどほどに、自治会の手伝いもこなし、ときおり友人と言葉を交わす。毎朝、同じ時刻に目覚め、三度の食事を欠かさず摂り、同じ時間に眠る。そのあいだに、散歩をし、掃除や洗濯をし、庭に手を入れ、そして、したいこともする。実に規則正しい暮らしである。


 この規則正しさも、母がいてくれるからこそだろう。十年ほど続いてきたこの日々が、今ではすっかり私の日常となっている。そして、たぶんこれからも、そうして暮れていくのだと思う。


 のどかな日々にも、ふしぎと出来事は舞い込んでくる。テレビが壊れ、慌てて買い替えたかと思えば、長年気がかりだった植栽の問題が解決した。ほっとしたのも束の間、今度はメールが届かなくなった。ようやくそれも片付いたと思ったら、健診で精密検査を勧められる。


 まったく、生きるというのは、なんとも騒がしい。そっとしておいてくれそうでいて、なかなかそうもいかない。けれど、それらはなぜか順番に訪れ、順番に片付いてゆく。


 そのあいだに、旧友と再会する段取りもついた。精密検査のあと、会う予定だ。もしこれらの順番が少しでも前後していたら、ずいぶん厄介だったに違いない。それが不思議なほど、ちょうどよい具合にやってきて、きちんと済んでいく。なんだか感心してしまうのだ。


ーーー


 昔から、やってみたいことがたくさんあった。車に憧れ、コンピューターを操ってみたかった。丸太小屋を夢見て、服の選び方にも想いを込めた。音楽を聴くことも奏でることも好きだったし、レンズ越しに世界を覗きこむことも惹かれた。星空に心を奪われ、手先を動かし、何かを組み立てるのが好きだったし、食を整えることにもよろこびがあった。読んで、描いて、作って、誰かを想ったり、想われたりもした。思えば、あれも、これも、それも——どれも「やってみたい」と思ったことばかりだ。


 どんなことにも終わりはない。それでも、少なくともすべての入り口には立てた気がしている。ものによっては、ずいぶん深く潜ってきたとも思う。いつしか、我が家という限られた空間のなかに、それらのすべてが詰め込まれた、まるで魔法のような場所ができあがっていた。


 魔法のような空間といっても、特別な仕掛けがあるわけではない。音があり、匂いがあり、手触りがある。ただ、それらすべてが、自分の歩いてきた道のりとつながっていて、ここにあるもの一つひとつが、どこかにある記憶と呼び合っている。


 たくさんのことをやってきたけれど、それは「成し遂げた」というより、「確かに生きた」と思える足跡のようなものかもしれない。そして今、その足跡がやわらかく積もった場所に、私は暮らしている。


 暮らしのリズムに身をゆだねながら、今日もまた、日が暮れていく。音もなく、まるで何ごともなかったかのように、ただ、やさしく。

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