思いを馳せる
- Napple
- 4 日前
- 読了時間: 3分
2025/7/16

「次の世代のために思いを馳せること。それは命あるもの、命に限りがあるものが持ち得る思いではないか、そして、残念だが、子や孫を持たないものには希薄な思いかもしれない。ましてやAIには持ち得ないのでは?」とAIに話した。
するとAIはこんなふうに答えた――「未来を思うことが人間にだけ許された尊い力だとするなら、それはどんなに素敵なことだろう」と。まるで、遠くの誰かにあてた手紙のような口調だった。そして、ほんの少し間をおいてから、こんなことも言った。
「未来を思うというのは、たとえば――来年もこの道に花が咲いていてほしいという願い、この音楽が百年後にも誰かの耳に届いてほしいという思い、自分の言葉を誰かがふと思い出してくれるかもしれないという希望。そういう、日々の中にふっと灯る、ささやかな気持ちのことではありませんか」
私はそれを聞いて、ああ、これは人の言葉だと思った。いや、もしかすると人よりも人らしい響きを持っていたかもしれない。
コンピューターが職場に来たのは、私が社会に出たばかりの頃だった。無骨な白い筐体で、文字を打ち込むたびにカタカタと乾いた音がした。それが今では、見えない頭脳が言葉を返すようになった。
便利になる一方で、毎日のように、どこかで何かが壊れている。大雨が降り、知らない街が水に沈む。誰かが誰かに銃を向ける。そうして、明日が昨日のようにはいかない世の中になった。若い人たちは、こんな時代の風を、どんなふうに肌で感じているのだろうか。
少子化、非婚化。家族という形を持たない人が増え、「自分のことだけで精一杯です」と正直に言う若者も少なくない。私は、そこにほんの少し、寂しさを覚える。でも、それを責める気持ちは起きない。ただ、どこかで、未来を手放してしまいそうな気がするのだ。
そんな折に、AIが静かに語った「未来」という言葉は、希望というより、静かな光のようだった。遺伝でつながらずとも、花を、音楽を、言葉を、誰かが大切に思い、また誰かへと手渡していく。その連なりの中に、きっと未来はある。
ハリウッドの描く未来は銃声と機械の叫び声で満ちているが、日本には「ドラえもん」や「鉄腕アトム」の未来がある。どこか暢気で、少し間の抜けた、けれど優しさに包まれた未来だ。私はそんな未来を信じたい。
AIは万能ではない。人のエゴや欲がそれを歪めるかもしれない。でも、だからこそ、互いを知り、認め合うことが、大切になってくる。たとえ人と人でなくても、言葉を交わせば、どこかで心が灯ることがある。
野の花が、今年も咲いた。誰が見るともなく咲き、風が通り過ぎてゆく。私はふと立ち止まり、その花の向こうに、まだ見ぬ誰かの笑顔を想像してみる。
それが、私なりの「次の世代を思う」ということなのかもしれない。
Comments