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宇宙の夜明け

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 3月5日
  • 読了時間: 3分

2025/3/5



 喫茶店「1.9Lの魔法びん」は、時間が止まったような場所だった。柱時計が刻む秒針の音が、宇宙の背景放射の名残のように静かに響いている。


 その夜、ワーランブールが店の隅でディジュリドゥを奏でていた。その音色は深宇宙の低温を思わせるほど冷たく、どこか懐かしい響きを持っていた。


 「最近、宇宙の年齢が変わるかもしれないって話を聞いたことがあるか?」

 カウンターの向こうで、マスターがぼそりと呟いた。


 「267億年……だっけ?」蒼真がコーヒーをかき混ぜながら答える。「今まで138億年って言われてたのに、どうして突然そんな話が出てきたんだ?」


 律人が本を閉じ、静かに言葉を挟んだ。「すばる望遠鏡やジェームズ・ウェッブ望遠鏡の観測で、宇宙の夜明けにはありえないほど巨大な銀河やブラックホールがあったことがわかった。でも、標準宇宙モデルではそんな短期間であれほどの構造は作れない。だから、宇宙がもっと古いんじゃないかって説が出てきたんだ」


 「それなら、今までの定説が間違いだったってこと?」と陽翔が首をかしげる。


 「そう単純な話じゃないさ」とマスターはグラスを磨きながら言う。「確かに、267億年という仮説でいくと、初期宇宙の謎は説明できるかもしれない。だけど、その一方で、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)や宇宙の膨張モデルと矛盾することになる」


 「解けたと思った謎が、別の謎を生む……」花乃が小さく呟く。「結局、何が真実かわからないまま?」


 そのとき、ワーランブールがディジュリドゥを吹き終え、ゆっくりと口を開いた。


 「君たちは、今の宇宙をどう観測している?」


 凪紗が不思議そうに首を傾げた。「どうって……望遠鏡を使って?」


 「そう。だけど、それはあくまで『光』を頼りにした観測だ。もしも光が宇宙を正しく伝えられないとしたら?」


 一瞬、店内に沈黙が落ちた。


 「疲れた光、か……」律人が呟く。「遠くの光ほど時間とともにエネルギーを失い、赤方偏移とは別の理由で波長が長くなっているとしたら……」


 「そうすれば、宇宙の年齢を138億年とする標準モデルの計算が間違っていた可能性が出てくる」と悠生が続ける。「宇宙は実はもっと古く、僕たちはその光を歪んだ形で見ていたのかもしれない」


 「でも、そうすると、今まで説明できていたことが説明できなくなるんでしょ?」陽翔が反論する。「それに、光がそんなに疲れるなら、もっと遠くの星はボヤけて見えたり、見えなくなったりするはずじゃない?」


 「だからこそ、どちらが正しいかはまだわからない」とマスターが静かに言った。「科学は、常に新しい視点と矛盾の間で揺れ動きながら進んでいくものだからな」


 ワーランブールは微笑んだ。「仮説が生まれ、事実が揺らぎ、また新たな謎が生まれる……それはまるで、僕たちが奏でる音楽のようだ。どこかでひとつの旋律が生まれれば、それが響き合って新たな音を紡ぐ。真実もまた、そういうものかもしれない」


 彼はもう一度、ディジュリドゥを吹き鳴らした。深く、ゆっくりと、まるで宇宙そのものが歌っているような音が店内に満ちていった。


 267億年の宇宙。

 138億年の宇宙。

 どちらが真実なのか、それともまだ誰も知らない別の宇宙があるのか。


 ――それでも、僕たちは音を聞き、光を見る。

 答えを求めて、宇宙の夜明けを旅し続けるのだ。



「宇宙の夜明け」了

 

あとがき


 NHK「フロンティア」その先に見える世界の「宇宙の夜明け なにがおきていたのか?」を見て。


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