あいつとおれの愛の物語
タイトルの”愛”の字は”心”を”恋”に置き換えた造字で、当初”愛とも恋とも言えない”と読んだ。今は”愛なのか恋なのかわからない”と読む。
作構成:怪人案単多裸亜
時間を止めて
ただ二人ため息ついて見つめ合う
心は静かに燃えてきて時間が動き出す
M.K.詩集より
ぷろろおぐう
昔々、陽の光を浴びて、にっこり笑いながら一つの芽が吹いた。その若葉は、すくすくと真っ直ぐに伸びた。十数年の歳月は瞬く間に過ぎ、その若葉は、さほど幹をくねらせることもなく、あまり大ぴらに枝を張ることもなく。まっすぐ伸びた。さらに10年が経ち、青年になった。太陽を見つめ、大きく背を伸ばし枝を張っていた。いろいろなものを見、いろいろなことを知り、北や南、東や西に思い切り枝を伸ばした。20年の歳月の間に、たくましく育った枝もあるけれど、風雨に晒されて、枯らしてしまった枝もあった。陽の当たるところもあれば、陽陰の所もある。いつの間にか幹をくねくねと畝らせ、ついには自分ですらその姿のわからないまでになっていた。
1978大阪俺
女なんかと思った。俺には山があると思うことにした。本当は心の底から女性を好きになることができないのじゃないかという、やりきれない気持ちがあったからに他ならない。だいたい、女性に会うということは、非常に疲れることだ。いや、人に会うこと自体疲れるのだ。一人で山にでも行っていた方が余程楽ではないか。しかし、やっぱり、一人というのは寂しいものだ。寂しいけど、仕方ないのだ、一人なのだから。
前書きに代えて
この物語は、同著者による「My Essay」の「俺の心」の続編となるもので。「俺の心 第2部続き」あるいは「俺の心 第3部」なるものである。
1980.1 著者
第1章
風のように去ってゆく人生
枯れ草のごとく
光のように去ってゆく時間の波
また津波のごとく
その中に青春の愛を見つけることが
できるだろうか
M.K.詩集より
蒜山(出会い)1978.8.28
もう合W(ごうどうわんでりんぐ)で彼女を見つけようなんて考えは、とっくの昔に捨てていたし、心底から好きになる女性との巡り合いなんてのもあてにならないと思っていた頃だった。山で知り合ったなんて言うと、なんとなくロマンチックだけど、ちっとも山なんか感じない蒜山高原で、あいつはKという後輩の一人に過ぎなかった。ちょうどその頃、俺の友人が一人の女の子に近づこうとしていた。あいつはその子の友人だった。俺とあいつは、いつの間にか、そんな二人の橋渡しになっていた。これが俺たちの出会いだった。米子の駅前でIに土産を買っていると、「お土産ですか?」あいつ「ああ」と俺。なんとも照れくさい会話だった。まだそんなに意識しなかった夏の終わりのことだった。
須磨(意識)1978.9.23
<ケンタッキーフライドチキンにてPM2:53>
「俺が今しなくてはいけないこと」これからどうやって生きて行くか、結局いつも、どうやって生きて行くか、なんて考えているわけだけど。今、俺の頭の中をぐるぐる駆け回っているものは、このまま大学をやって行くか、ということで、ちょっと頑張れば、このまま大学に安住することもできるだろうけれど、それでいいのかということだ。
高野悦子の「二十歳の原点」を読んだ。全てに同感ではないけれど、大いに感ずるところあり。「学生であるあなたへ!私のAgitationより…大学のキャンパスを通り過ぎてゆくみなさん!…以下略(P136〜138までのメモ1969.5.PM13:00シアンクレールにて)より。
学園紛争を経験しようがしまいが、同じ青春を生きる時、人は似たようなことを考えるものだろう。彼女にとってその答えが死であったのか、答えが見つかる前に世を儚んでしまったのか。結局、そのことも含めおれ自身が見つけ出すしかないことだ。と、こんなことをさももっともらしく考えつつ。
<穴倉喫茶アップリンにてPM7:45>
俺は一体何を考えているのだろう。今日という日は何のためにあったのか。俺は一体今日何をしようとしていたのか、ひとつひとつ確かめて明らかにしなくては。うやむやにしてはいけないと焦っていた。今日は六大学対抗ソフトボール大会があったのに、気が進まないまますっぽかして寝ていた。挙げ句の果てに、曇り空の下下宿でくすぶっている気がしなくなり、須磨くんだりまで、俺は何をしているのか。海を見にだって?少しは勉強しようと思って本を抱えてきたけれど、勉強とは程遠い本ばかりを読んでいる。大学の講義を否定する以上自分で独自の学習をと思っているけれど、どうしようもない空論に気持ちを奪われている。須磨まで来た本当の理由はわかっているくせに、ごまかすためにこんなことを考えているんだ。わかっているんだ。気持ちを整理したいんだ。そうしてからじゃなくちゃ、あいつと向き合っちゃいけないんだ。Iとの関係をはっきりさせなくちゃいけない。そう思えば思うほど、根本がなんだかめちゃくちゃに思えて、いろんなことが頭に浮かび、ついには自分のことがわからなくなる。どうしようもないくらい落ち着きをなくして、電話ボックスの前に立っていた。受話器を持ってコインを入れた途端、身動きできなくなる自分、辛い思いをさせるだろう相手のことが頭の中を駆け巡り、受話器を下ろした。ふらふらと、天気が悪いのにやけに人の多い須磨海岸を歩きながら、気がつくと、別の電話ボックスの前に来てしまう。いないでくれ、どうか家にいないでと本心とは裏腹な思いで、電話をかけてしまう。あいつはいなかった、ちっともホッとしない。いざ、あいつが出たらなんて言おうか戸惑っているくせに、いないとなるとがっかりしている。二種類の自分が同居している。お父さんらしい人に「大した用ではない」ことを告げながら、今晩電話がかかってくるだろうことを、漠然と思う。自分の白い心と黒い心、本当の俺を挟んでギュウギュウ締め上げる。「僕があなたから離れて行く」とオフコースが歌ってる。プロメテウスとエピメテウス。言葉にすると、全然思っていることと違っている。くだらない落書きだ。俺はプロメテウスにはなれないらしい。いつも人に迷惑ばかりかけている、自分では一生懸命のつもりのエピメテウスらしい。
剣初秋 1978.10.7
車中にて(剣へ行くための北国に乗り込む、Kもちくま1号で出発)Iは俺の湿った導火線を乾かしてくれた。Kは乾いた導火線に火をつけてくれた。(Kは上高地から蝶へ、俺は室堂から剣へ)(俺が剣へ行くことを話したら、Kは後で剣へくることになった)ビートルズのイエスタデイが聞こえる。
1978.10.9
(Kが訪れる剣山荘へメッセージを残した)その夜暴風雨となった。(Kは来ないかもしれない、メッセージが届かない)剣沢サイト場にて、Kに宛てたメッセージ。「炊き出しのコーヒーを飲みながら、口に溜まった豆粕を吐き出し、剣を見ながらパイプをくゆらす。空は青いし空気はうまい。何も言うことなし。いや一つ言うことがあった、K好きだ!」
伊吹秋思 1978.10.21
木枯らしの吹き抜ける薄野原を、緩やかに登りつめると、背の高い木々はなくなり、丈の短い雑草と露出した岩の山道になる。急に高度を感じるようになり、視界が開け、眼下の景色に思わずため息が出る。薄曇りの雲の下で、右手には近江盆地が開け、ぽつんぽつんと小さな小山が、濃い緑の隆起を見せている。その向こうには銀色に静かに光る琵琶湖が霧にかすんでいる。真正面には鈴鹿の山々がどっしりと構え、左手の岐阜の美濃平野と右手の近江盆地とを分けている。降ったりやんだりする雨の中で、カッパを脱いだり着たりしながら、黙々と歩く後輩たちの足元を見ながら、やけに素直な気持ちになっている自分を感じる。秋とは言ってもまだあまり色づいていない山肌の中で、薄の白くなびく穂が秋を感じさせてくれる。そこを抜けて、風に吹かれ身を寄せ合いながら険しい山の中へ入って行く。雲の流れが、まるでスピード撮影の映画のように流れてゆく。青空が見え隠れし、小雨が時折、額の汗に混じって流れる。ふと足元へ注意を向けると、草むらの中でガラガラヘビの尾っぽが震えるようなジャラジャラという音がしきりに聞こえる。初めは何の音か全くわからなかったが、よく注意して見ると、小さなバッタが後ろ足と羽をこすり合わせている。実際にこの目で見てこの耳で聞いても、本当にその草むらの住人達が出している音なのか判然としない奇妙な音だ。身体を火照らせ、汗びっしょりになって山頂にたどり着く。登りがなくなるためと、急に風が強くなったために身体はすぐ体温を奪われ震えだす。山頂に着くと、今までの心地よい感傷は、山頂まで来ているハイウエイからぞろぞろやって来るブーツ姿の女性たちに吹き飛ばされてしまう。ゆっくり景色を楽しむ気分になれず、そそくさと山頂を後に北尾根に向かう。しばらくの間ハイウエイを歩くため通りすぎる車から好奇の目が俺たちを捉える。俺たちは黙って風に耐えるように口を閉ざし、前かがみに北尾根の取付きへと急いだ。
南側とは打って変わって、太陽の位置のせいもあるのだろう、山の紅葉が綺麗になった。樹木が多くなり、相変わらず強い風に吹かれ、まるで荒海の波のようなザーザーという音が聞こえる。時には恐ろしくなるほど大きな音をさせ、山全体が鳴っている。遠くの山はゴーゴーと鳴り、山々へ響いてゆく。これが山鳴りというやつであろうか。小さな岩や、浮石の尾根道を登ったり降りたりして行くうちに視界は樹木に遮られ、風もいくらか和らぐ。枯れ草の敷き詰められた上を、サクサクと歩いて行くと、その音に驚いた山鳥が大きな音を立てて、木々の間から飛び立ってゆく。俺たちの方がそのは音に驚き立ち止まる。時折松ぼっくりや栗が落ちてきて驚くこともあった。小さなかすかな音まで全て聞き取ることができるような感じだった。少し見晴らしの良いところで後ろを振り向くと、俺たちが越してきた伊吹の山頂が青くシルエットで見ることができた。その右肩にちらりと琵琶湖が光、左肩には濃美平野が広がっていた。キラリと建物らしきものが日光に光っている、あとは名も知らぬ山ばかりである。日本という国は、それほど高い山はないけれど、山の多い国だ。山と山の間の小さな平たいところは、余すところがないほどに民家や田畑が埋め尽し、山の麓まで迫っている。人間というのは小さいんだなと独り言ちる。砂山を這い回る蟻みたいだ。でも、小さな蟻も少しずつ少しずつ山を越え、谷を越え、足跡を残して行く。俺たちも今朝はあの伊吹山の向こう側の麓にへばりつくようにサイトしていたのに、今はもう遠く反対側へ来ているのだ。そして、これからもどんどん歩いて行く。自分の足で、それでいいではないか、そんな気持ちになってくる。そんな自分を少しおかしいかなと口元を緩ませ、これから降りてゆく谷間の村を眺めると虹が見えた。
山の中を黙々と歩くとき、人は何を考えているだろう。周りの景色を眺め、思うままに考えを巡らせることもあれば、山と関係ないことが断片的に浮かんでは消えてゆく。木々のざわめきの中で、度々二人の女性の顔が浮かんできた。最近俺はこの二人のことが気になって仕方がない。バイト中、車の助手席に乗って秋の風に吹かれながら、ポカポカする日差しの中でうつらうつらしている時、一人の女性の笑顔がまぶたの裏に浮かんで来る。俺はニンマリしながらその笑顔を追い続ける。今もそうだった。そして、ふと、もう一人の女性の名前が頭の中をかすめてゆくのだ。I俺は彼女のことを一体どう思っているのだろう。大学に入った俺はワンゲルに入部して山に行くようになった。山で一人の女性と出会い、ちょくちょく会うようになった。とても綺麗な女性だった。でも彼女のことが好きだったかというとよくわからなかった。好きになろうとしていた。彼女に会うたびに思うことは、女は何を考えているかわからないということだった。俺は何をしているのだろう、何を求めているのだろう。デートらしいことも彼女とが初めてだった。なにより俺は若すぎて何もわかっていなかった。結局、会えば会うほど、彼女のことも自分のこともわからなくなっていった。女の子といる時の緊張感だけが残った。本来それも楽しみのうちのはずなのに、なんだか疲れてしまっていた。俺の導火線は引っ込んでしまっていた。いつしか彼女と合わなくなり、俺は彼女というもののない日々を過ごした。自分で「もう彼女なんていらない」と言いながら、寂しさを感じ、そうこうするうちに一年が過ぎた春、山仲間の女性から、俺に似た女の子がいるから合わないかと言われた。染色の勉強をしていて、アフガニスタンに行くのだという。相手の女性も、俺のことを聞かされていて興味を持っているということだった。まだあったことのない女性にずいぶん期待して、可愛いだろうかとか、グラマーだろうかと想像した。そんなこんなで出会ったのがIだった。会った途端に俺たちは、べらべらと話しを始めた、初対面という感じがしなかった。俺は自分の夢とか生き方を話し、彼女は共感したり反発したりしてくれた。手応えのある話し相手だった。俺はいつしか、心のどこかで、もちろん相手が女性であると認めていたが、そういったことを考えないでいられないかと思い始めていた。友人として付き合いたいと思った。思ったことはなんでも言える女友達。ともすれば「こんな彼女、彼氏ができたよ」と話すと「えー、おめでとう」と言い合えるような。そんな関係を望んでいた。Iと会うのは楽しかったし、話をするのが面白かった。気を使わずに話すことができた。一緒にいて疲れることもなかった。俺はますます、Iに俺の思うような女性になってほしいと望んだ。またそういう人だと思い込もうとした。
エゴイズムなんだろうと思う。Iのことが好きなのかどうかわからないままで付き合っているうちに、本当に好きになってしまったもう一人の女性に出会ってしまった。好きになるというのは、どういうことなんだろう。何度会っても好きなのかどうかピンとこないこともあれば、一度会っただけで好きだって感じることもある。嫌いという感覚は案外はっきりしているけれど、好きという感覚は考えてしまうとまるっきり分からなくなる。強弱でも大小でもない。心の中に何か気持ちのいい引っ掛かりができる、多くの異性に対してそういった引っ掛かりが生まれるけれど、ほとんど、自分の中の引っ掛かりをただぼんやりとなぜているだけでいつの間にか消えてしまう。そんな中で、妙に気になって仕方なくて、小さかった引っ掛かりがいつの間にか大きくなって、何を思ってもその引っ掛かりについ触れてしまうそんな人が現れる。それがKだった。
八ヶ岳秋想 1978.10.29
ありがとう温もりを、ありがとう愛を
代わりに俺の命を置いて行けたなら
男は誰も皆無口な兵士
笑って死ねる人生それさえあればいい
ああ 瞼を開くな、ああ 美しい女(ひと)よ
無理に向けるこの背中を見られたくはないから
生まれて初めてつらいこんなにも別れが
ああ 夢から覚めるな、ああ 美しい女よ
頬に落ちた熱い涙知られたくはないから
この世を去る時きっとその名前呼ぶだろう
戦士の休息より
最近口ずさむ歌は決まってしまった。いい歌だなあ”男は誰も皆無口な戦士 笑って死ねる人生、それさえあればいい”いい心境です。まあ俺は無口には見えないけれど。やっぱりこんな気分でいつもいたいなあ。さて今回は久しぶりに杉本と腹を割って話をした。なんとなくほっとしたような気分で、バスを降りる。しとしとと雨が降っていた。美濃戸口からの緩やかな登りは、広い両側が轍で凹んだ道だ。小雨降る紅葉の道をカッパの上着だけを着て黙って歩く。小雨にかすんだ山肌がうっすらと美しい。昨夜来の雨で水嵩のました川が轟々と流れ、時折山道まで川にしている。見慣れぬ鳥がしっとり濡れた木の枝に止まって木の実をついばんでいる。黄色く染まった落葉の絨毯のような道をサクサクと登っていくうちに、先程来の小雨の中にみぞれが混じり出し、ついに雪になった。サイト場である赤岳鉱泉に着く頃には、風も強くなり、周りは真っ白、ガスと雪に覆われ何も見えない。初めての経験で一年生の手際が悪い、テントがなかなか立たない。杉本と俺は何も言わず、しかめた顔を見合わせながら、刺すような寒さを振り払いキスリングに座っている。明日の行動が心配だ、天候が悪くては赤岳のキュレットは危ない。
1978.10.30
翌朝「先輩!すごく綺麗です!」という後輩の声で目覚める。硬めの朝食を食べながら、外へ出たくて仕方がない。テントの中は冬天特有の匂いがする。ようやく外に出ると。天候の変わりように驚かされた。南八ヶ岳の全貌を見渡すことができる。あまりの凄さに武者震いしながらシャッターを切る。赤岳鉱泉小屋の中を通り抜け、樹林帯に入って行く。昨夜の雪は固く凍りつき、5cmもあるような霜柱がサクサクと小気味良い音を立てる。まだ日の差し込まない冷えた樹林帯の中ですら、歩くと汗ばんでくる。あれほど寒かったのに、一旦行動を開始すると、気分も変わりスカッとしてくる。次第に高度を稼ぐと、西に雪を頂いた御嶽が姿を現わす。その麓は俺たちがやってきた諏訪盆地だ。北を向くと乗鞍が見える。南側に見えるのは中央アルプスだろうか。こんな素敵な景色をあいつと見ることができたらなあと思いながら、顔を思い浮かべ青い空に移してにやける。きっと杉本も良のことばかり考えているに違いない。この山行に出かける前に、俺たちをイライラ、ハラハラさせながら、ようやく良に告白をしたばかりだから、ぼーっと惚けているに違いないのだ。硫黄岳は見た目えぐそうな山だったが、高度を増すにつれ、ゆったりとして、北側南側がえぐれているのに気をつければピークは広い、拍子抜けする山だった。雪も凍てついていて、深く踏み込まずに済む。稜線特有の海老の尾が至る所に見られる。ロープが氷で倍以上の太さになっている。指導標は海老の尾で膨らんで岩のようだ。 あっ、あの北の端に見える白い山はなんだろう、谷川岳だろうか。また登り始める。大同心、小同心が赤岳鉱泉から見上げた時とはぐっと違って迫ってくる。北アルプスから中央、南アルプスの一角まで一望に見渡せる。夏歩いた北アルプスの後立ては白い直線に見えた。東側はガスのためはっきり見えない。横岳の稜線は細く険しく、鎖場、雪、氷でスリル満点だ。一年生のことを気にかけながら、ワクワクする自分を抑えられない。思わず杉本と顔を見合わせニヤリとする。岩肌も海老の尾だらけだ。二年もよく一年のことを見ているようだし、このぶんだとキュレットも行けそうだ。ガスの切れ間から台形の山がかすかに見える。富士山だ。はっきり見えないが、水墨画のように霧の中に浮かんでいる。赤岳に着く頃には霧も晴れ、まだ雪は付いていない東側の山魂がはっきりと深く険しく続いている。奥秩父の山々に違いない。傾きかけた陽射しが、俺たちの影を赤岳の東側の霧のスクリーンに映し出す。ブロッケン現象だ。俺の影の周りに虹のようなハレーションが見える。初めて見るブロッケン現象に一・二年は興奮ぎみだ。しかし、陽はもう傾いている、時間が少ない。これからキュレットを越せるだろうか。幸い見通しは良く、今日のサイト目的地であるキュレット最下部のキュレット小屋まではっきり見える。 はじめ右側に大きく回り込みルートから離れて行くような錯覚を感じながら、また大きく左側に回り込み、はっきりしない足場を小さな岩のとっかかりを頼りに下りて行く。夕陽を浴び,富士やキュレットの岩肌が赤く染まる。そのうち陽も弱まり、青い世界が訪れる。空気が澄んできたのか、富士が一段と大きく浮かび上がり、今まで反射して見えなかった山襞までが美しい。まっすぐ南に、南アルプスが浮き上がってくる。北アルプスとは全く異なる山の広がりだ。いや、景色のことなど言っている場合ではない。まだ半分も下りていないのに、すでに陽は沈んでしまったのだ。あとどれぐらいこの薄明るい世界が続くかわからない。まだ危険なところは去っていないのだ。もうすっかり暗くなった岩場で、1年のことは二年と杉本に任せ、ヘッドライトの明かりを頼りに、俺はルートを探した。はっきりしたルートがなかなか見つからない。この暗闇の中を降りるのは無謀なことに類するだろう。しかし、岩に張り付いてビバーグも出来ない。戻るのも大変だ。行くしかないだろう。ようやくルートを見つけ出し、後輩たちのところへ戻った。比較的安全なところで一本入れて休ませ、元気付けるよう話しかける。一年はこの異常な山行をあまり異常だと思っていないようだ。俺たちを信頼してついてくる。鼻水をすすりながら大きな声で返事を返す後輩たち。ようやく無事にサイト場に着く、やけに皆元気がいい、12時間も重い荷物を背負って歩き続けたなんてウソのようだ。もう難所は越えた。明日は権現と編笠を超えて小淵沢に降りるだけだ。
1978.10.31
翌日もよく晴れ渡り、昨夜下りてきたキュレットが一望できる。昨日はあそこを降りてきたのだ、あの岩の塊の絶壁のような所を、しかも真っ暗闇の中を。風が相変わらず強かった。動かないと身体の芯まで凍りつきそうだ。俺たちは少し安心しすぎていた。昨日のキュレットを大きな山場としていたために、今日の行動をなめていた。その俺たちの気持ちがそのまま後輩たちの気分にもなってしまっている。一年は降りるだけだと思っていたところが案外な登りと、風の冷たさ、雪、梯子、氷のためにばて始めている。ガレ場で危うく谷底へ落ちそうになった。肝を冷やした俺たちがピリピリしだす。それは後輩たちにも伝わり、慎重になってくれるのはいいのだが、かえってビビってしまいかねない。そんなに時間のかかるはずのない日程のはずが、昨日の元気もなく、またして日が沈んでもなお歩かなくてはならない状況になった。編笠からの下りは、紅葉で綺麗なはずだった。しかし、もう周りは真っ暗、うっすらと樹木のシルエットがわかるのみ。紅葉など楽しむべくもない。星だけがさめざめと寒空に輝いていた。
第2章
大阪の空も狭かった。
紅茶の苦い日(別れ・始まり)あやいずないすがあるだった
1978.11.4 土曜日
本日は我が大学の学園祭最終日で、杉本も賢治も彼女を連れて構内をぶらぶらしている。
俺?南ヤツで汚した山の装備の手入れと、洗濯、部屋の掃除、今、Iのことをどうすればよいかわからなくて少々オロオロして何かしなくてはと思っている。もうすぐ、Iから電話があるかもしれない。今朝目を覚まして下に行くと、梅村のおっちゃんが「Iとかいうお嬢さんが置いていったで」と袋をくれた。中にはざっくりとした手編みのベストとソックスが入っていた。昨日俺はKに会っていたというのに。
1978.11.5 日曜日(友引)
一昨日は、Kに会い、三宮の異人館を歩いていた。初めてのデートだった。昨日Iが来て、手染めの毛糸で編んだベストとソックスを持って、Mと俺の下宿を探してやって来た。俺が寝ていることがわからなかった二人は、言付けをして帰って行った。昼過ぎにそのことを知らされ、紙包みを見て驚いた。貰っていいのかと。 昨日は仲野、竹内にあわせて、良とデートして帰ってきた杉本を交えて、洞魔麗(とまれ)に飲みに行って、金をすっからかんにして、まだゲームセンターに行って、明け方の5時頃まで遊びまわっていたから、相当目も腫れぼったくて、たるんだ顔をしているのが大失敗だ。おまけにせっかく待ち合わせた「茶の木」は日曜日は休みだった。でも、やっぱり電話しなければと、かけてみた。
「あっ、あのう中村と言います。Iさんはいますか?」
「あー、中村君、あなたから電話があるはずだと娘が申しましてね。待っておったんですよ。今お宅ですか?」
「はい、あの、下宿です」
「あー、それなら、そのうち娘から電話があるはずですから、そしたらあなたから電話があったかどうか娘に伝えることになっとるんです。そのあと娘からあなたに電話すると言っとりましたから、すみませんがお宅にいていただけますか?」
「はい、います」
「あー、そうですか。では、そう伝えておきますので。ハイ」
I同様気さくそうな、俺のことを認めているという話し方をされたもので、余計に悪いことをしているような気持ちになった。先日Iと京都に行った時のIの言葉を思い出す。
「父ったらね、どこへ行くのと聞くの。だから今日はデートよと言ってあげたら、ニコニコしながら、嬉しそうな顔をしているの。「ホウ、Iにもデートしてくれるような男性がいたのか」ですって。でも、そのあと少し寂しそうな顔してたわ。」
昼過ぎからずっと、Iからの電話を恐々と待ってたけど、なかなかかかってこなくて。挙げ句の果てに、後輩の仲野と竹内が遊びに来るもので、なけなしの金を叩いてビールとつまみを買って来させて飲んでいる時、ようやく電話が鳴った。もう今日は遅いから、明日の1時に会おうということになった。俺は一体どういう風に話をすればいいか少しもわからなくて、やたらに後輩たちの前でふざけてみせたりしていた。俺はIに甘えていて、時間通りに行ったことがない、10分くらい許してくれるだろうと思いながら1時間も待たせてしまったことがある。Iは怒りもせず、待っていてくれた。が、今日はそうもいかない。なんというか、負い目とでもいうか、気まずい話になり、Iに申し訳ないという気持ちのせいで、約束の時間より早くから待ち合わせの「茶の木」へ行った。ちょっとまだある時間を使って、顔の調子でも見に行くかなと、トイレに行って屈んだ時、胸ポケットに入れたサングラスが落ちた。パシッ今まで何回も落としたけれど割れなかったサングラスが、音を発して右側だけ割れた。「茶の木」が休みなので、Iの通りそうな通路に腰を下ろして待っていると、1時きっかりにIがやってきて、先に来ている俺を見て、ちゃんと時間通りに来ているくせに、しきりに「待ったごめんね」を連発する。俺は本当にすまないことをしている気がする。初めて入る茶店で、俺はいつもの態度で接しようとしながら、タバコばかり吸っていた。Iはいつも通りニコニコしながら、一言言った。「どうしたの今日は、私思ったのよ、あなたのことだから5分か10分ぐらい遅れてもいいんじゃないかなーって、それで私も遅れて行こうかなんて思ってきたのに来てるんですもの、それになんかきんちょうしちゃって、彼女でも出来たの?」実際一言どころかいっぱい言っているんだけれど、俺には一言に聞こえたわけで「彼女でも出来たの」と言ったIの言葉を嘘のように思いながら。「ああ、彼女ができたんだ」と答えていた。Iに言わせると、この前京都に行った時から感じていたという。なぜ早く言わないのかと思っていたようだった。俺のことをIは好きだという、でも恋人同士になるのは違う気がするという。自分の夢を話す俺が好きなのであって、現実的な俺じゃないとか、やっぱり友達だとか、気持ちを整理しようとしたけれど無理だった。Iは俺の考えていることが手に取るようにわかるそうだ。俺は誰の考えていることもわからない。
ジャックと豆の木
俺たちの待ち合わせは、梅田で会うときはいつも「紀伊国屋前」かここ「ジャックと豆の木」だ。
1978.11.29 水曜日
今日は、早起きをして、顔を洗って、歯もしっかり3分磨いて、シャキッとしてから、小綺麗な服をパリッときて紀伊国屋の前にいるつもりだった。ところがそれは夢の中の出来事だった。電話の呼び出しに驚いて起きると9時を30分近く回っていた。あいつが待っててくれてよかった。やっぱり内心怒っているだろう。「朝飯は食べた?」「俺まだなんだ」当然だね。「モーニングにしよう。」「今日は俺講義ないんだ。」あっフールオンザヒルが聞こえる。今日はゆっくりしたかったけど、そうもいかないらしい。今俺のエッセイを読んでいるあいつ、何を思っているのだろう。
追伸:コーヒーにお砂糖を入れてくれる奴がいるというのはいいことです。もちろん、お砂糖を入れてくれるだけのやつというわけではありません。
中之島公園
俺は、君を乗せて走る車もなければ免許もない。でも君が望むならどこまでも一緒に歩くことができる。俺には山で鍛えたこの脚がある。
1978.12.16 土曜日
思い切り早起きして電話したのです。もちろんあいつにです。午後に梅田に呼び出すことができました。俺は前あいつを30分も待たせてしまったから、今度は俺が30分待ってやろうと思って、約束の30分前に、紀伊国屋の前に行ったのです。もちろん30分待ったと言っても、これはあいつが俺を待たせたわけではなく、あいつは一向に気がつかないことだろうけど、そうすることで俺の気を少しでも済まそうと思ったのです。竹久夢二の詩を思い出す。
人を待つ身は辛いもの
待たれておる身はなお辛い
されど、待たれも待ちもせず
一人おる身はなんとしょう
俺は待つ人がいるということがこんなに楽しいなんて気持ちを初めて味わった。俺は待ちながら思うのです。あいつは目が悪いから、すぐには俺を見つけられないだろう。俺が一足早くあいつを見つけて、こっそりと隠れて、俺を待っている姿をそばによって知らんふふりをしながら眺めていたいなーなんて。そんなことを思いながらまだ待ち合わせに10分も早くに目の前にあいつが現れた。俺はいたずらする暇もなくあいつが現れて嬉いけど、いたずらできないのを残念に思いました。あいつは俺のことがすぐに分かったと言います。もうすぐクリスマスだし、今日は土曜日だから、人がとっても多い、その人だかりの中を手もつながず肩も組まず、俺とあいつは梅田の地下街を歩いた。もちろん俺は、手も繋ぎたかったし、肩も組みたかった。幾度も試みるのだけど、結局できない。俺がリードしなきゃ、「どこへ行きたい」「何がしたい」「どうしよう」なんて聞かずに、ボンボンやりたいと思うものの。相も変わらず「どうしよう」と聞きながらおきまりのコースを辿って茶店に行くのです。あとは映画でも見ようってことで切符を買ったんだけど、入れ替え制で、次の回まで待たなくちゃいけない。そいつを見てたらあいつ家に帰れなくなっちゃう。これはいかんということで、結局映画も入場券を見ただけでそのまま御堂筋へと向かった。すっかり枝だけになった街路樹の御堂筋を淀屋橋まで来ると、明治大正時代に迷い込んだような、日銀大阪支店や府立図書館、中央公会堂のある中之島公園へ出る。そこを天神橋まで、ただ歩きに歩いて突き抜け、天神橋筋商店街を抜けて、俺の下宿へやってきた。今日は1日歩いただけ。慣れてないな、もっと行くとこないのかね。あいつつまんないなあと思ってるんじゃないかと心配したのだが、あいつを見ると一向に構わないといった感じが伝わってきた。かつて女性と一緒にいることによる気疲だけのデートではないものを、今味わっていた。
クリスマスイブ(ふれあい)
1978.12.24 日曜日
クリスマスイブ
雲が空を覆い、どんよりと灰色に見せている割にクリスマスっていう感じの昼下がり。俺たちの待ち合わせはいつも紀伊国屋前、どうもおきまりのようだ。あいつは日曜は家の手伝いで午前中は大忙し、いつも午後からしか会えない。今日俺は21日の関西合同ワンでリング2次回のクリスマスパーティで、皆に内緒でこっそりもらった、あいつの手編みのクルーネックフィッシャーマンセーターを着ている。前々から欲しいと思いつつ、ついに買えないままだった白いセーター。まさか彼女が編んでくれるなんて思っていなかったから、大いに驚き喜んでいる次第。あいつが編んだなんてまだ信用できない気分、こんなに器用だったのか。嬉しくて嬉しくて仕方ないくせに、彼女にはここが変だとか、だぶつくとか文句を言う。そして友人には見せびらかすのだ。前回見損ねた「ナイル殺人事件」を早くからOS劇場に行って3時上演を確保して、2時ちょっと前に紀伊国屋の上の階で身を潜めて待っていると、キョロキョロしながらあいつがやってきた。俺は人並みを利用しながらあいつの後ろへ行って、さりげなく近づき肩を抱くように「オス」と言った。案外ガッチリした身体が俺の右腕と右脇に収まった。もう少し柔らかいのを想像していた俺を慌てさせた。しばらく肩を抱いて歩くのだが、途中で恥ずかしくなって手を下してしまう。俺は今日こそ、キスをしようと決めていた。そんな自分を焦っているなーと感じる。表情もこわばっていはしないかと気になって仕方がない。劇場の席は一番後ろの隅で、後ろには誰もいない席だった。俺はやけにあいつに身を寄せて話しかけたりしたんだけれど、なんとなく口臭が気になりクールミントガムを噛む。結局劇場では顔を近づけただけで、肩に手も回せない。タイミングって難しい。せっかくのクリスマスイブだからロマンチックな思い出深い日にしようと思うのだが、なかなかムードが出ない。会話も接続詞ばかりだ。セーターのお礼に指輪をプレゼントした。気に入っただろうか。結構太い指だった。傷もたくさんあった。なんだかんだしているうちに時間がなくなって、古譚でワンタン麺を食べ、もう送らなければならない時間になってしまった。電車の中では何を話しただろう、今日も暗くなった鈴蘭台の街を星を見ながらてくてくと歩いた。前回送ってきた時、ここでキスしようか、アッコでしようかと悩んでるうちに、あいつの家に着いてしまって、キスしようかなと思ったら、あいつの親父さんが出てきちゃって、こりゃいかんとすぐ退散した。今日こそはと力んでいる。ままよ、なるようになるべし「俺は君が好きだ」と伝えた「嬉しい」と答えるあいつ。ここですべしとちびりそうなぐらい緊張して、あいつの顔をじっと見つめると、あいつがやけに神妙な顔で見つめ返すから、なんだかおかしくなっちゃって、顔をそらしてしまった。あっしまったと思って、やおらあいつの顔に飛びついてしまった。初めてのキスは軽く唇が触れるぐらいと思っていた俺は、あいつの舌が入って来てたじろいでしまった。そうして、しばらく二人は黙って歩いた。彼女の家の前で、「もう一度」と叫びながらキスをしていた。そしてひたすら後ろを振り返らず帰ってきたのだ。「わー」と喚きながら走り出したくなるのを必死でこらえていた。
追記
二人ともワンタン麺を食べたから、にんにく臭いんじゃないかなと思ったけれど(杉本の話が頭をよぎる)興奮していたからわからなかった。キスするとき思い切り体を抱きしめた、コートのせいかもしれないが、やっぱりゴツイ身体だなと思った。キスというのはなんだかお腹がスースーするものだった。寒くておしっこも我慢してたからかもしれない。これが俺のファーストキスだった。
第3章
駅から帰るとき、タクシーに乗ろうと思えば乗れるし、迎えに来てもらおうと思えば、来てもらえるんだけど。歩いて帰ります。先輩と二人で歩いた道を歩きたいから。
1979.1.8あいつからの手紙より
おさにおくる俺の作った 赤い薄っぺらな本
1979.1.29
あいつの二十歳の誕生日だった。俺は「Kおくる俺の作った赤いうすっぺらな本」と題した、俺のメッセージで綴った本を、28日の晩より徹夜で作り、29日バイトが終わってから、あわててクマのぬいぐるみと一緒にそれを持って夕方鈴蘭台まで行った。仕事着の汚れたジャージとトレーナーのまま、大きなプレゼントの包みを持って、阪急電車に乗ると、やけに周りの視線が照れ臭かった。あいつ二十歳、俺22歳の1979年の幕開けだった。
このパンの美味いこと
1978.3.10 土曜日PM9:00
ああ、なんて美味しんだろう。パンがこんなに美味しいなんて。この友人のオーブンは、目刺しを焼いたせいで、少々生臭いのだが、そのくらい我慢できる。なにせ、パンが焼けるのだ。あまり焦げ目がつかないように焼いて、たっぷり安物のマーガリンを塗って食う。
一口かじりながら、自分で作ったパチャパチャを思い出す。具なしのお好み焼きだ。なぜかこの具なしのパチャパチャは、食う時の気分で色々な味がする。今は本物のパンを食いながら、今度のパチャパチャはこのパンのように美味しく焼こうと思うのだ。きっとこのパンほど美味しくはないだろうと思いながら。
二口かじりながら、俺はもうマーガリンの味に慣れてしまって、バターの味は忘れてしまったなどと思う。
三口かじりながら、茶店のトーストはなぜあんなに不味いんだろうと不思議に思い。そういえば昔はトーストはあまり好きではなかったことを思い出す。トースト以外に美味しいものが沢山あった気もするし、俺の美味しいと思う食物は、そういえば昔は少なかったことに気がつく。最近は本当に美味しいものが増えた。パンにカビが生えるまで置いておくことなんて近頃はない。
四口かじりながら、もうないのだ、もう食えないのだと思うと、ものすごく悲しいような、貴重なものをなくした後悔と、食った満足感が入り混じって迫ってくる。なぜって、もうパンはないのだ。今食ったのが最後の一枚だったんだ。そして、もうパンを買う金もないのだ。
このころは本当に金がなかった。バイトの金が入ったら、思いっきり飯を食おうと思っていたし、何よりイチゴが食べたかった。日増しに安くなってゆくイチゴを毎日見ながらバイトに行くのだ。金が入ったら、ありったけ買って腹を壊すぐらいイチゴを食えたらと思っていた。そんなある日、仲野がデートしてきたはずなのに、冴えない顔でやってきた。なにやら真面目に「好きだ」と告白したらしい。そしたら彼女は困ったように下を向いて黙ってしまったという。慌てた仲野は「ゴメン、ゴメン」と言ってはぐらかしてしまったというのだ。それを聞いた俺と賢治は「それはお前が悪い」としきりに、仲野相手に恋愛論を繰り広げ、翌日「俺たちの交響曲」と「幸せの黄色いハンカチ」に仲野も連れて行くことにした。俺も賢治も金がないので、慌てて質屋へベースギターを持って行き5000円を作って出かけた。3人とも黙っていた、感動しているのだ。本当にいい映画だった。日本の映画もいいなー。その後仲野は思いつめた顔をしていたが「もう一度、彼女に会います」と言って帰って行った。仲野の彼女は短大生で、この春卒業して鹿児島に帰ることになっていた。これからという時に会えなくなってしまう。実らぬ恋なのだ。幸い仲野が出向く前に彼女が会いに来てくれた。今度はうまくいったらしい。わずかな間だけれども思い切り付き合うことになったようだ。数日後俺たちは春合宿に出発した。まだ大阪にいた仲野の彼女も見送りに来てくれた。もちろん仲野の見送りだったけれど、彼女は俺にもイチゴ味のチュッパチャプスの差し入れをくれた。仲野にイチゴを食いたい話をしていたのだった。
追記
春合宿が終わり、屋久島の帰り、鹿児島で再開するなんていうのはなかなか仲野にしては出来過ぎの恋だった。ちなみに、俺はこの春のバイトの金でイチゴを嫌という程食べたのは言うまでもない。
あいつに関する俺の考察
1979.5.14 月曜日
No1.
AM11:25 確率・統計の講義時間
先々週の土曜日、5月5日「あいつがとても可愛くて、愛しくて、こんなに好きな奴はいない」なんて気持ちでいっぱいになったものだ。日曜も月曜も木曜も電話して5月12日土曜にまた会って。俺の中であいつがどんどん大きくなって行く。そんな中で、おれは、付き合い方、話し方にある方向性をもたせていた。それはそれで良かったと思うのだが、あまりあいつがおとなしいので、俺は自分勝手にやりすぎたのではないかとふと思う。どういう風にやりすぎたかって?そんなことは想像してくれ。でも嫌われないだろうかと心配になる。
No2.
最近あいつは本当に綺麗になってきました。初めて会った時は可愛いなと思いました。二度目にあった時綺麗だなと思いました。三度目になると、見慣れたのか、たいしたことないなんてちょっと思ったんですが。最近、本当に綺麗になってきたんです。きっと俺のせいだと思います。あばたもえくぼというやつでしょうか。先日(5月12日)は須磨に行って、防波堤であいつの膝枕で寝ていた。横顔が可愛い。触れてみたくなる。口付けしたくなる。海辺の潮風があいつの匂いを磯の香りと一緒に運んできて俺の鼻をくすぐる。よく晴れた太陽がまぶしい、眼を細める。本当はあいつを見つめるのがまぶしんだ。頭を膝の上でコロコロ転がすと、あいつの身体が感じられて熱くなる。いつもあいつに触れていたい。どうして?なんて考えてみてもわからない。自然にそうなってしまう。手を握って街を歩く時、腕を組んで歩くとき、肘が胸に触れる。肩に腰に手を回して歩く時、俺の心臓は早鐘を打って身体から飛び出しそうになる。あいつに気付かれてしまうのを恐れながら、一向に収まらないときめき。そんなに触れたいなら触れればいいのだ。
No3.
俺はあいつに一体何ができるのだろう。俺が望むのは、心と身体のふれあい。きっとあいつも同じものを求めているんだろうと思うけど。わからない。あいつを失いたくない。もっと深く繋がりたい。俺は頭を冷やす必要がありそうだ。当分の間俺もあいつも忙しいから会えない。今のうちに頭を冷やそう。初心に戻ろう。そして、今度会うときは、今まで以上に素直にあいつと接することができるだろう。言葉は不要かもしれない。時間さえ止まってしまうかもしれない。今まで、余計な言葉が多すぎた。連絡を取らないということは、隔たりを生む原因となる。会わずとも連絡は取らなくちゃ。俺、電話嫌いだ。話をしなければ何も通じないから。でも、あいつの声はいつも聞きたい。
須磨初夏
1979.5.12 土曜日
昨日は、連絡がつかなかった。せっかく細川が電話するときの会話文を作ってくれたのに。部屋の窓を開けて電話の呼び鈴んを聞き逃さないようにしていたけれど、かかってこなかった。明日朝一番に呼び出そう、そう思いながら、なかなか寝付けなくて三国志を読んでいると。細川が冴えない顔をして扉を開ける。細川も明日は早いのに寝付けないらしい。
「おう、中村、ビール飲まへんか?」
「なんや寝れんのか?」
「おう、寝れん」
顔をしかめている。
「飲もか」
「おう、ほなら買ってくるわ、お前何がいい?」
「何でもいいや」
階段を駆け下りるカンカンという乾いた音がしてすぐガラガラとシャッターを開け閉めする音が開け放たれた窓から遠く聞こえてくる。何をするともなく、本を開いて見ている、なんだか落ち着かなくて一向に進まない。今夜は満月だというのに元気が出ない変な夜だ。再びシャッターのけたたましい音に続いて、階段を駆け上がってくる音、廊下を足早に歩く音がして、部屋が揺れると戸が開いて、部屋の空気がすっと動く。賢治も加わり三人でビールを飲み始める。明日のことなんか考えない。プシュ、プシュ、アサヒビールを2缶開けて思い思いに口をつける。苦い。細川も賢治も俺の部屋でプンプンしている。先日あいつが誕生プレゼントに作ってくれたクッションに細川が噛みつき、賢治は裸のまま抱きしめようとする。俺は慌ててクッションを取り上げ、二人を睨みつけた。中島みゆきの曲を聴きながら、皆勝手に俺はこの曲が好きだ、俺はあの曲だと言い合っている。急に細川が
「中村、ブルージーンズを履かせてくれ」
と言うので履かせてやる。
「どうだ」
「おお、いいじゃん」
「細川はいつもラッパだけどストレートやスリムもいいぞ」
皆でワイワイ言っている。言いながら俺は髪にどライアーを当て始め、賢治も俺の頭にちょっかいを出しているうちに。
「写真撮ろか?」
と細川が言い出す。みんなの目の色が輝き始める。いつか撮ったみたいなおかしな写真をまた撮ろう。結局朝の5時頃まで、髪型を変えたり、サングラス(片方だけグラスの入ったサングラスや両方ともグラスの入っていないやつ、まともなやつ)を取っ替え引っ換え、モデルガンを構え、廊下のオリビアの看板と肩を組み騒ぎまくった。もうすぐ色々やらなあかんと思いながら、皆んな心の中ではそんなことどうでもよくなって、それでいてなんとなく満足して、各々の部屋に戻って行きいつしかぐっすり眠ってしまった。
「中村、電話や、あいつからや」
細川に叩き起こされ、時計を見ると8時半まだ3時間しか寝ていない。細川は元気がいい。
「おはよー」
「あふあよー」
「眠たそうね」
「ああ、ふぁー」
「ふふっ、昨日電話したのにいなかった?」
「いいや、いたぜ、ずーっと電話待ってたんだ」
「ウソ、10時頃と11時頃3回も電話したのに」
「ありゃあ、気が付かなかった」
「今日は?」
「ああ、須磨にでも行こうと思ってるんだけど、君は忙しくない?」
「いいけど、眠くない?」
「うん、眠たい、もうちょっと寝かせてくれる?10時頃電話するよ」
「うん、いいよ」
寝ぼけたまま会話は終わり。そばで細川がニヤニヤしている。「ああ、眠てえなあ、昼からはすぐに帰って寝よ」と言って学校へ出かける。俺はとても起きてられそうにない。部屋に戻るとすぐに寝てしまった。
「中村、電話や、あいつからや」
と今度は賢治に叩き起こされて時計を見ると、もう10時半だった。しまったと思って飛んで行くとあいつは怒りもせずに待ち合わせの場所と時間を聞いた。
「国鉄須磨の改札を出たところで1時」
顔を洗い、タクティクスを頭にふりかけ、ゴシゴシこすって顔と頭を現実世界へ引き戻すして下宿を出た。空が青くて、太陽がまぶしい。気分爽快だ。梅田でカレーを食べて国鉄に乗る。ああお金が千円しかないなあ、まあなんとかなるだろう。須磨か懐かしいなあ、まだあいつと付き合い始める前モンモンとしていたころ、ソフトボール大会をサボって一人できた須磨。この電話機であいつに電話して、あいつはいなかった。あの時親父さんが出てドキッとして、その日の夕方しょんぼりして下宿に帰るとあいつから電話があったんだ。なんて思い出にふけりながら、国鉄須磨駅の改札から青い空と海を見ていると、「わっ」と俺の背中を少々遠慮がちに抑えたあいつがいた。
追記
この日は本当にいいお天気で、2月に二人で行った淡路島も見えた。家に帰るとまだ200円残っていた。
無題
1979.5.28 月曜日PM1:15
真っ赤に泣きはらして俺を見つめていた赤ん坊が急ににっこりと笑って母親の肩越しに俺の方へ手を差し出している。俺は孤独を楽しんでいた。周りに誰も知っている人がいない、何も気にすることがない時間。俺が思っている孤独というのは、見知らぬ人にせよ多くの人波の中にあるらしい。きっと誰もいないところでは、こんなに安心していられないのだろう。人混みを避け、路地を歩きながら、本を読み続けている。午後の日差しが白い紙に反射してまぶしい。すれ違った大きなランドセルを背負った少女は口に葉っぱを当ててブーブー音を鳴らしている。周りの人のことなど気にかけず草笛を楽しんでいる。小学生時代を思い出し、うっとりするくらい気だるい陽射しの中で、小説の世界に引き込まれ、郷愁と哀愁を感じていた。この感じをあいつにも教えてあげたい。知らぬ間に構内に入っていた、目を上げると本館前のイチョウの葉が青々とまぶしい。肩の辺りまでこんもりと生い茂りかぶさってくる。いつもならヒョイと頭を下げて通るのだが、今日はわざとその生い茂った葉の中に顔を突っ込んで通り過ぎた。本館に入ると、今まで本当に明るかったんだと思い知らされるように目が一瞬見えなくなる。学食の安物の椅子に腰掛ける。食後の腹ごなしに本を読む。隣の学生の貧乏ゆすりが伝わってくる、いつもならイライラと腹をたてる振動に、今日はなんとなく許せる気分でいると、学食のおばちゃんが俺のノートを覗き込んで「細かいきれいな字を書くねえ」と一言言って通り過ぎた。窓から入ってくる風がやけに冷たくて、学生ホールに逃げ込む。寒いと思ったくせにアイスクリームを食いたく思う。軸に当たりが付いていて、いかにもあたり目当てというのも照れくさいから、気にしないふりをしてゆっくり食べながら、何気なく確認すると、当たっていなかった。隣に座っている奴も同じようなことをしていた。そろそろ授業も始まる頃だと学生ホールを立つと新入部員の朝倉がジャージを着てうろうろしている。おごってやろうと声をかけた。
「なんだおまえ、だれだ」
と無愛想な返事が返ってきた、俺のことがわからないらしい、四回生になり、あまり部室に顔を出さないから忘れられていた。礼儀知らずで無礼な返事でかえって腹をたてることも忘れて、ただ、可笑しいやらあっけにとられるやらどうでもいいやらで、何も言わずに彼の前を立ち去った。俺も四年クラブをやってきたが、さっきのやり取りはやっぱり寂しかった。33号館で便所に行くと、清掃していたおばちゃんが当て付けがましくブツブツ汚れを嘆いている。大学をきれいにしてくれるおばちゃん達の存在はなくてはならない、ありがたいものなのに、場違いで異分子的で俺たちと対立する雰囲気を醸していて、やりきれない。どういう態度をとればよいのかわからない。時々
「ご苦労様」
と言ってみるけど、その言葉も的外れで妙に白々しい。
岡崎帰郷(混沌)
1979.6.1 金曜日
もうかれこれ、あいつの顔を一月ほど見ていない。悶々としてくる。今日も朝から講義がぎっしりあって、終わるとバイトが始まる。
「もう少し早く来いな」
大木さんに怒られながら、弁解する気になれず。
「済みません」
と答える。どだい5時15分過ぎまで講義が長引いたら6時までに梅田に着くことなんかできない。焦って汗を流して走っても、遅れればそれでチョン、謝るしかない。今日はちかちゃんが来ないからマスターと大木さんと俺の3人。どえらく混んでヒーヒー言う。ここ数日続いているせわしない生活で、ぐったり疲れた身体を引きずって下宿に帰る。11時半だ。クラブの後輩の仲野から、山行の参加不参加を訪ねる電話がある、以前から二次錬成には行く気だったから
「土曜は無理だが、日曜朝一番で行く」
と答える。布団の中に潜り込んで、やっと眠れると身体を伸ばしながら、もう少ししたらあいつから電話があるかもしれないと思っていた。リーン、リリーン電話の呼び出し音が響いてくる。あいつからだった。
「お帰り 今バイトから帰ってきたんでしょ、あら、眠そう」
「ああ、さっき帰ってきて今寝ようとしたところなんだ」
「ごめんね、あしたさ、1時だったよね、紀伊国屋」
「うん、1時だ、今どこからかけているの、車の音がするけど」
「家の前の公衆電話 パジャマのままでてきたから通りの車から見つからないように隠れて電話してるの」
そんなあいつの姿を想像して悶々としてくる。でも明日になれば久しぶりに会えるんだ。あと12時間と50分。ここ1ヶ月ほどお互いに都合が付かず、会えずにいる俺たち。また明日会ったら、しばらく会えない。明日だって本当は休みなのだが、休暇前の補講がある。おかげで午後からしか会えない。それでも会えればいい、ただそれだけを楽しみに眠りについた。
1979.6.2 土曜日
朝の目覚めはいつも悪いけど、なんとか決めた時間に起きられるようになってきた。9時から12時まで電気回路論の詰め込み講義、腕がだるくなるほどノートする。腕時計を見つめ、秒読みしている俺。頭の中では待っているあいつに走って行って抱きついてキスする一コマをひたすら追い続けている。ようやく講義が終わり、飯を食いに学食へ行く途中後輩を見つけ、おごらされるなと、計画変更、あいつを待たせるのはかわいそうだ。こんな人混みの中でキスするのはなんだな、あいつもびっくりしちゃうなと思いながら、次々とあいつに合ういろいろな場面を想像していた。3時40分さすがの俺もよく待ったなと思う。3時間も待つかなと、帰ろうとしたときあいつが現れた。
「ごめーん」
泣きそうな顔で下を向く、あんまりしょんぼりしているあいつを見かねて元気付ける俺。とは言っても俺も滅入ってしまって、元気が出ない。あいつに会えればただそれだけでいい、というわけにはいかなかった。キスもしたい。触れたい。あんなにもたくさん出会いのシーンを思い描いたのに、どこかへ飛んで行ってしまった。あいつの肩でも抱いて歩ければよかったのだけど、それもできずに街をふらふらしていた。別れ際に阪急東通商店がの人混みの中で
「バカやろう」
と言って、抱きしめ頬にキスをした。すぐに踵を返して立ち去った。またしんどいバイトが始まる。
1979.6.3 日曜日 AM6:30
昨日あいつにあったけれどしっくりしなかった。午後3時バイトに行ったけれど滅入ってしまった。午後6時下宿に帰っても眠れそうになかった。午前1時深夜映画を見に行こう。
「俺たちに墓はいらない」
「その後の仁義なき戦い」
すべてのことにやる気が失せ、あんなに無駄遣いを諌めてきたのにそれも無意味に思えて、やたら虚しくて、逃げ出したくて。突っ張った気分で映画館の外へ出た。もう夜は明けていた。梅新の街がいつもと違い廃墟に見える。周りの景色が、てんでおかしい。家に帰ろう。もうどうでもいいや、到底山に行く気にはなれない。家に帰ろう。9時に岡崎についた。親父達はいなかった、一寝入りして、1.9lの魔法びんへ行く。やっと落ち着いてきた。大阪の街から逃げ出してきたという気持ちが強い、でも逃げて来れる故郷があるっていうのはいいものだ。夕刻、1.9lの魔法びんから、あいつに電話した。「今日あなたが六甲へ行くと思って、朝早くから六甲の駅で待ってたけれど山へは行かなかったのね」とあいつは言った。
1979.6.5 水曜日
殺伐とした気分だった俺は、下手をするとそのままへたっていたかもしれない。それでもなんとか立ち直ろうと、朝早くから起きて洗濯をして、掃除をして、花を買ってきた。部屋が温かみのある風景になった。でもまだ落ち着きが戻ってこない、何かしていないとたまらない。学校へ行くと休講だった。下宿へ帰還、いろいろアレヤコレヤしようと帰ってきても、イライラしてただタバコをふかして本を読むばかり。懐かしい友人が訪ねてきたけど、愛想のない俺。友達付き合いも悪くなった自分に嫌気がさす。そろそろバイトに行かなくちゃ、今日は酒をかっくらって大いに憂さ晴らししたい気分だ。こんな日に限ってお客が少ない。一組の若いカップルがおとなしく飲んでいるだけ。爽やかなムードのカップルだ、じろじろ見ては失礼だとわかっていても、つい目がいってしまう。殺伐としてイラついていた自分も二人を見ているとなんとなく微笑みが戻ってきて、うっとり見とれている。夜が深けてゆくに従って、団体客が入り騒がしくなる。カップルは静かなムードが失われてしょげ気味に見えたけれど、騒がしい中でひっそりと肩を寄せ合い口付けをした。いつもの俺はこんなふうに思いもしなかったろう。今日の俺はうっとりとその二人を眺めていた。しばらくしてカップルは帰って行ったが、俺の心の中には余韻が残り、いつまでも二人の口付けが脳裏から離れない。かわいい女性だった。あいつのことを心の隅に押しやっていた俺は、心の中の俺が隅っちょにいたあいつの手を引いて真ん中に連れ出していた。今日あいつは暇だったことを俺は知っていた。俺も講義が休講になって暇になったから会おうとすれば会えないこともなかったのに、会う気がしなかった。当分会いたくなかったのに、いつの間にか、俺ん中にはあいつでいっぱいで、会いたくて仕方がない、下宿へ急いだ。今日は一銭も持ち合わせがないので、洞魔麗の前を素通りしたけど、ビールを飲みに来ていた賢治に呼び止められビールをおごってもらった。あいつから電話がありそうな気がして仕方ない。会いたくて仕方がない。明日朝一番であいつに会いに行こうと思い始めていた。午前10時40分から講義があるから、それまでには戻らなければならないけれど、短い時間でも朝のしじまの中であいつと会えたらと思うと、矢も楯もたまらなくなった。11時を過ぎていた、俺から電話はできない時間帯に入っていた。電話してきてほしいと願い、きっと電話してくるに違いないと思い始めた。ビールを飲み干し、下宿に帰る、しきりに賢治は最近の俺の生活を褒め、羨ましがる。俺たいしたことしてない。やたらに褒めてくれる賢治になんて言っていいかわからないまま、部屋に入ると電話の呼び鈴が鳴った。嘘みたいだと思いながら、やっぱりと飛んで行く。誰からかかってきたかなんてわからないのに、あいつからだって思ってた。絶対そうだと思って、そうでなくてはならないと思って受話器を取った。「もしもし」あいつの声がした6月6日になった。
淀川夏
1979.6.25 月曜日 PM11:55
今日も無事終わろうとしている。俺あいつの置いて行ってくれた、いささかしおれ気味のキュウリとレタスに塩をふりかけ、ウヲッカのあてにバリバリかじりながら、なんとなく落ち着いた気分でいた。昨日、あいつが俺の下宿へ飯を作りに来てくれた。帰りに一緒に歩いた夕暮れの淀川はよかったなあ。3年間住んでいながら、一度も歩いたことがない中崎町以北の街中をぶらぶらしながら、ごみごみした中にやけに大きな神社があって、お賽銭をあげながら
「手を叩くんだったかな、叩かないんだったかな」
「神社だから叩くんでしょう」
なって言って、あいつの財布から10円をもらって手をパンパンと打ち、黙ってお祈りをする。
「神社に来るまで、祈ることなんて考えもしなかったのに、いざ神社を見つけると、人は無理矢理にでも願い事を考え出してお祈りをするんだよな、しかも10円で」
「ふふっ」
「何をお願いしたの?」
「なんでしょう?」
「俺何をお願いしたかわかる?」
「何?」
「はは、お前がもっと美人になりますようにってさ」
「わーあ、ひどい!」
本当は全然違うことをお祈りしていた俺、本当にあいつのことが好きなんだろうかとちらっと思いながら、そんなこと考えまいとしている自分がいた。今まで気づかずにいた自分、最近見えてきたちょっと怖いと思っている自分。そうこう思っているうちにゴタゴタした街並みが開け、広々とした堤防が見えた。沈みかけた太陽がまぶしい。白みがかった大空が薄いかけらのような雲を浮かべて、広く広がっている。壊れた柵をくぐり、草むらを通って堤防に出ると、河面に太陽の光が輝いて、二人で立ち止まった。大阪の街にもこんなに広々としたところがあったんだなって、二人で少し霞んで見える大阪の下町を見渡した。まるで映画のワンシーンのよう、現実の世界と受け取っていないみたいな俺。河辺は葦が青く茂り、ぽつんぽつんと二人ずれが佇んでいる。堤防の砂利道を小学生が子犬を連れて走り過ぎる。バットで川に向かって小石を打つ人、ジョギング姿の老人。あいつも俺もパーっと晴れ渡った気持ちで歩いているようだった。やっぱり、いい若いもんが一日陽の当たらない狭い下宿の穴倉にとじこもていちゃダメだな、ゆっくり河辺に沿って歩き、阪急電車の鉄橋あたりで、広々とした開放感を味わいながらキスをした。周りに人もいたし、鉄橋を渡る電車から見えてしまうかもしれないけれど、キスは俺たちにとって一番自然だった。河辺から一羽の白い鳥が飛び立ってゆくのを見た。本当はすごく焦っている俺。でも何に焦っているのかわかっていない。仕方ないから自分を励まして、一生懸命その日その日を生きている。
追記
明日は電気回路論Bの試験がある。徹夜だ。
南アルプス夏の思い
アルバイトから解放され、7月20日から8月4日まで南アルプスを茶臼→聖→赤石→荒川→塩見→間ノ→農鳥→北岳と縦走することができた。4年目の夏合宿。
1979.7.29 日曜日
三伏小屋露営地にて PM2:45 雲が空を覆い、谷間を埋めている。風は少なく、時々陽が当たり青空が覗く。本日は沈殿日なり。今回の山行は何も心配することなく、1年2年3年共に頑張っている。天候は良い日ばかりではないが、行動するにはかえって涼しくて良い具合だ。雲のために視界が悪くなることもなく、十分に南の山々を見せてくれる。俺は後輩たちの後ろをアタックを担いでついてゆく快適な山行を楽しんでいる。出番がないのを物足りなく感じないでもないが、出番がくるようでは事だし、最後までニコニコとただついて行けることを願っている。しかし、やることがないとつい思いはあいつのことばかりになる、今も会いたい気持ちをなだめるのに苦労している。女性登山者も多く皆可愛い、そんな女性たちが一時の安らぎをあたえてくれるのだが、かえってあいつへの思いを呼び覚まされてしまう。そんな女性たちが困っていると、山男たちは親切にしたくて仕方がない。俺が南アルプスで親切にしたように、北アルプスにいるあいつに、周りの登山者たちが優しく力を貸してくれることを祈る。
1979.8.1 水曜日
北岳稜線小屋露営地にて 4時というとまだ空は仄暗く、空一面に星がキラキラと見える。富士の左肩上空にオリオン星座が輝いている。富士の裾左側の麓に明かりが見える、あれはなんの明かりだろう。冷えた雲達はずっと下の方に淀むように溜まっていて海のようだ。俺たちは雲上界にいるのだ。田中が「もう下界へは帰れえへんみたいなところだなあ」とぽつりと言う。後輩たちがテントをたたみ終える頃、ご来光が見えた。
K膝枕
1979.8.25 土曜日
俺は、朝4時15分に起きて、梅田へ出た。ジョギングパンツとランニング姿だった。背中にデイパックを背負って走っていた。寝たのがバイトから帰ってからだから、午前2時頃だった。眠れなかった。4時半の梅田は人がいなくて、おっちゃんがビルの谷間で寝ていておっかない。5時ちょうどの阪神電車で新開地へ、6時ちょっと過ぎに鈴蘭台について、電話したらあいつはまだ寝ていた。途中まで迎えに行って待っていると、あっさり見つけ損ねて通り過ぎて行ってしまう。あとを走って追いかけたら、あいつも走り出して汗をかいた。一生懸命急いでいるあいつは可愛い。三ノ宮に出ると、まだ人通りも少なく、ひっそりとした地下街でキスをした。朝一番で「銀河鉄道999」を見る。よかった。メリケン波止場に行き、公園に行き、眠くなった俺は、あいつの膝枕で寝てしまう。いつしか2時間寝てしまっていた。しんどかったろう。
あなたと呼ばれる日
あなたと過ごした二日間の旅行楽しかった。
お揃いのオーバーオール
おかえりのキス
サーフィンの映画
二人だけのお酒
帰る時間のない夜
あなたの腕枕
あなたと迎える朝
天王寺動物園のマントヒヒ
心斎橋のパルコ
ずっと一緒だった土曜日曜、
もっと、もっと、こんな日が続けばいいのにと思った。
楽しかった、二人だけの旅行ありがとう。
9月5日付のあいつの手紙より
1979.9.1
山帰りのあいつは大阪に寄った。家には別の口実を伝えていた。俺たちはお揃いのオーバーオルを買って、遠くへ旅することができないから、大阪の街を旅行することにした。駅前丸ビル大阪第一ホテルに泊まり、初めての二人だけの夜を過ごした。俺のことを先輩と呼んでいたあいつが、この日以来「あなた」と呼ぶようになった。
第4章
我が部屋は穴倉にて陽の入りたるためしなし。
5畳の狭苦しきところにガラクタ多し。
きたなきところなれど我が城なり。
エキスポ秋晴
1979.10.20 土曜日
朝9時ジャックと豆の木で待ち合わせ、モーニングコーヒー。地下鉄に乗ってエキスポランドへ。天気の良い日で、寝ていない俺には眩しい。ダイダラザウルスに乗って手を振り、スペースザラマンダーにのってワーワーキャーキャー。大観覧車でキスをして、へんてこな光の館に入ったり、ちっとも怖くないお化け屋敷に入った。かつて万博会場だった太陽の塔周辺も緑地となり、広々とした公園となっている。なんだか落ち着かない日本庭園を抜け出して芝生の上に寝転がる。あいつは元気がいいから、引っ張り回しても文句も言わずについてきてくれる。もうあいつのことを心底好きになってしまた今では、可愛いのか綺麗なのか冷静な判断ができない。あいつが喋り、笑、動くたびに、キラリと光るのだ。その一瞬を見逃すまいと一生懸命見つめている。あいつと俺があっていられるのは、お日様が昇ってから沈むまでの一日。あいつに会えない日は長くてだるいけど、あいつと一緒の日はあっという間に過ぎでしまう。そんな短い一日だから大切にするから、いい一日になる。そろそろ傾きかけた陽射しを受けながら、芝生の上に寝転がって、あいつが作った弁当を食べる。膝枕をしてもらう。二人の世界。時折、身も心も溶けてしまいそうな、甘い声を聞く。こいつしかいないと思う。
下宿穴倉(疑問)
1979.10.23 火曜
あいつに会うたびに俺の体は溶けてゆくようだ。自分が何をしているのか、何をしたらいいのかわからなくなる。すべてのことに自信がなくなり、溶けてゆく。俺は一体なんなんだろう、あいつは一体なんなんだろう。いつの時代も解き明かされぬ永遠の命題、愛ってなんだ?俺はあいつに、あいつは俺に何を求めているのだろう。あいつにあった後に思う、この何か取り返しのないことをしたような焦燥感と、不十分な物足りなさは、何だろう。俺たちにはなんの障害もないし、他人に迷惑もかけていない。真昼まから下宿の暗い部屋の中でくすぶっているのがいけないのだろうか。あいつを抱きしめることがどうして、こんなにも苦しい気持ちにさせるのだろう。考えすぎだなとわかっている。でも時々どうしてあいつがここにいるのか不思議に思えることがある。心の赴くままにいたい、そうは思っても、心の底に淀むこのわだかまりは消えない。俺は今熱病にかかっていて、周りが見えないのかもしれない。あいつしかいないと思っているのも思い過ごしかもしれない。もし夢なら、いつか醒めてしまう。俺にも、あいつにもこれが夢なのかわからない、醒めることがあるとしたら、とても怖い。愛とか恋とかいうものはそういうものなのかもしれない。俺たちに限ってそんなことはと思いながら、醒めてしまうことなんてないと信じようとしながら、恐れている。
1979.10.25 木曜日 PM4:00
我が眼には霞がかかり、我が脳味噌は混沌が淀む、気力の失せるこの頃。俺は女の人を金で買うとか、行きずりの人や、酒の勢いでとか言ったそれらのことを認めたくない。割り切ることが多い中で、割り切れないものがある。あれは8月の半ばだった、バイト先での出来事だった。
1979.10.26 金曜日
「Den-Een」にてPM4:30 薄暗がりの地下二階のホールは、タバコの煙で曇っている。ウォンウォンと人の声がこもり、影が動く。久しぶりに2年ほど前の気だるい心地よさを味わっている。授業をさぼり、本屋で気に入った本を見つけ、茶店にしけこんでいる。この罪悪感を懐かしく思っている。もう少ししたらバイトへ行かなければならない。これはさぼれない。この時間的脅迫感が結構頼もしく自分を支えている。今自分がすべきことは、十分すぎるくらい分かっている。あいつと俺のため。いろんな悩み事、わからないこと、今は誰よりもあいつと共有することができる。あいつは今頃山に行っている、山はいいな、都会にいると行き詰ってくる思いも、山に限らず自然の中で思い切り身体を動かしていると、悩み事が溶けてゆく。袋小路から抜け出せるそんな気がする。
1979.10.30 火曜日
「Rossa」にて PM3:23 昨日電話がなかったところを見ると、疲れて寝ているのだろう。俺11時ちょい過ぎに帰ってきてたから電話すればよかった。今朝は早く起きて電話するつもりだったのになーいつものことながら、昼ごろもまで寝てしまった気だるさを引きずって、本屋に行き、前から欲しかったイラストの本を買って、茶店にしけこんでいる。大切なことを忘れている感覚がある、何だっただろう。早くあいつにあったほうがいいはずなのに、あって何かをすっきりさせようと思っているのに、いつの間にか時が過ぎ去り、一体何を話そうと思っていたのか忘れ去られてゆく。こうやって自分の気持ちをしたためているのは、自分が感じたり思いついたことの大切さを感じているからで、忘れないように記そうとしているのだけど、思ったときにすぐ書くわけではないから、一番大切な想いがぼやけているのを感じる。久しぶりにノートを読み返すと、去年の今頃南八に行って、あいつへの思いをどうしよう、Iへの思いをどうしようと思っていたことが、はっきり思い出され懐かしい。Iとさようならをしてあいつと今日まで過ごしてきた。色んなことがあって、忘れたくない色々のほんの少しがこの中に残されている。もっといっぱい残しておきたいのだが、自分の気持ちをうまく表現できないのが寂しい。俺たちもうまく気持ちを伝え会えていないのだろうと思う。まあ、今日あいつにあっても伝えたかったことは28日の電話であらかた話していた。
1979.10.28 日曜日PM11:00頃電話の回想
「最近悩んでいない?って言ったけど、あなたは何を悩んでいるの?重大なこと?」
「ああ、俺は重大なことだと思っているんだ。俺たちは何を求め合っているんだろうって思わないかい?君に会えないと会いたいと思う、会うと今度は君に触れたい、口付けをしたい。これは自然なことだと思うけれど、真昼間から抱き合っているだけっていうのが不健全で、とはいえどうしていいかわらないのさ。エキスポランドで真っ青な空の下ではしゃいで、芝生の上に寝転がって君と一緒の時、本当に楽しくてこれだって思ったよ。あのあと、2、3日してから君が来てくれた日、俺学校休みだったから寝てて、君が起こしてくてくれただろ。すぐ君を抱き寄せてキスをして。君を送った後これでいいのかって思ったんだ、いったい何がいけないのかわかんないけど、君も同じようなこと思ってるんじゃないかと思ってさ。」
「うううん、何も悩んでないよ」
似たようなこと思っていたみたいだったけれど、悩んではいなかった。結局俺一人の独白になってしまった。女の子はこんなことでは悩まないんだろう。
夏の思い出PartⅠ
自分の男である所以を見た日。8月中旬、バイト先で行った慰安旅行、一泊二日の志摩海水浴の旅。バイト先から飲み放題食い放題の旅に連れて行ってもらえるなんて何て贅沢だろう。しかし、実はあまり気が進まなかった。夜のお仕事をする人たちと一泊二日どうやって過ごしたらいいのだろう。別に気を使う必要のない人たちなんだけど、ちょっと気が重かった。細川も誘われたけれど断っていた。せっかくだから楽しもうと決めて出発、絶えずビールを口にしながら夜が来た。昼間のマスターや大木さんは気さくで、しぼんで見える。十分に酔っ払って出来上がっている上に夜の宴会が始まった。ビールのあと日本酒へと変わる、英子ちゃんが俺のところへお酌に来てくれた。ビールのグラスに並々と日本酒が注がれる、マスターの命令で一気に飲み干す。無茶苦茶なペースで酒が身体を駆け回ってゆく。改めてメンバー紹介。3階スタート洞より、マスターの豊田さんと取締役の大木さん、バイトの俺、当時店はこの三人でやりくりしていた。5階本店の洞の社長とチーフ、板さん、ボーイさん、バイト君に加え、お姉様方4名、うち1名が俺と同じ22歳の可愛い英子ちゃん。全員で12名だ。旅行仲間に可愛い女性がいて気にならないわけがない。急ピッチのお酒で、カッカときている俺はそれでもベロベロになりながら、冷めた自分が自分の行動を眺めていた。近代節を踊り、逆立ちをして、走り回った挙句英子ちゃんのほっぺたに口を押し当てていた。写真に撮られているのを意識しながら、押し当てていた。今あいつがいる俺にとって、他の女性にちょっかいを出すなんてことは、俺の本意にはないのだが、男の本性として可愛い女性がいれば、キスもしたくなると言うことだ。もう中学生の頃のような潔癖症ではなかったけれど、俺が信ずる要となる自分は、そうしたことを否定はしていなかったけれど、まだ目を背けていた。本当に好きな大切な人にこそ取るべき態度で、欲望だけで行動することに抵抗しようとしていた。無駄な抵抗かもしれなかったけれど、後で虚しくなるようなことはすまいと。しかし、酒に酔った俺は無軌道に、大切に思っていた心情をどこかに置き忘れ、客観的に見つめる自分だけを残して暴走していた。英子ちゃんも酔っているのだろう「おっぱい見せてあげよか」とにっこり笑うとみんなの前でTシャツをめくる。俺はその柔らかいオッパイにむしゃぶりついていた。惨めなほど自分の本性を知った。
夏の思い出PartⅡ
自分の本性を知った上で、やっぱり俺は、俺の要になるものを信じようと思う。非常にキザな振る舞い。現実は「俺たちの旅」のようには行かない。バイト先へ、俺宛に女性から電話があったのはこの一回だけだ。9月初旬だった。7月中旬から8月初めにかけて山に入る俺の代役として細川がバイトに行ってくれることになった。そこで細川は女の子と親しくなった。一夏の思い出で終わるはずだった出来事だったろう彼らの出会いは、なんとなくもつれて持ち越された。帰郷していた細川に会いたい彼女は、細川から紹介されていた俺に連絡をとった。
「お話ししたいことがあります、仕事が終わったら会ってもらえませんか、白馬車にいます」
仕事が引けるのは夜の1時である、俺はこんな時間じゃ電車もないことを自覚すべきだったが、俺たちの旅をイメージしていた俺は、相談に乗らなくちゃと、彼女にあったのだ。ドラマは登場人物の全てを知っている作家が構築した世界で物事が進行するけど、現実世界は他人の心などわからない。人の結びつきだって物語より疎遠だ。もちろん憧れはするけれど。俺は憧れの甘い考えのまま彼女に会った。
「私 今日酔っているみたい、自分で何しているのかわからない。なぜあなたに会おうとしたのかしら、何をお話ししようと思ったのかしら」
「細川のことでしょ」
「どうしよう」
「細川も、どうしようって言ってた。君と別れるのが一番だと思ってると思う、でも好きだとも言ってた。」
そんなことを話して良いものだろうか、俺は細川の代弁者にでもなったつもりでいた、二人のことをコレッポチもわかっていないくせに。余計なでしゃばりだった。格好をつけて気取っていたのだ。彼女にとって何の役にも立たなかったろう。夜中の3時過ぎ、彼女に行き場がないことにようやく気付いた。
「なんとかします」
というけれど、ちっともなんとかなりそうじゃない。
「俺の下宿で寝てけよ、空いた部屋があるから」
「いいえ、いいです、なんとかします」
と言いながら
「一人になるのは寂しい」
と言う、俺は安直な考えで彼女を連れ帰った。俺の部屋に寝かせて、俺は隣の部屋に寝ようとした。
「あなたの大きな胸の中に飛び込ませて」
「それはできない」
そう言いながら彼女を押しやった。
「あなたの優しさの奥には冷たさがあるのね、あなたは強い人です」
悲しそうにそう言った。せっかく距離を置いていたのに、下宿に連れ帰ってしまったから、こんなことになってしまった。その晩、彼女が死んでしまうのではないかと不安で仕方がなかった。翌日、彼女は照れくさそうにしながら、ケロッとした顔で帰って行った。俺は自分の中途半端な感傷で、彼女を傷つけたと思った。他人のことはわからない。放っておいたほうがよかったのかもしれない。自分から踏み込むべきではなかった。その後細川は彼女のことはあまり俺に話さなかった。これで友人を一人失うかもしれないと思った。しばらくぎこちない時間が流れたが、いつの間にか今まで通りに戻っていた。
夏の思い出終了
こんなことを、あいつに話すべきだったんだろうか。俺は自分のことしか考えていない、思いやりのない、中身がない人間なんだ。
言わなければいけない真実と
言ってはいけない真実
言ってはいけない嘘と
言ったほうがいい嘘
俺は全てを言ってしまう、大馬鹿ものだ。
蛇足
細川は何を考えているのだろう。現在もなお彼女と会っているみたいだ。もちろんさっちゃんともうまくやっている。他人事だから、何も言えないけれど、寂しい気がする。細川が言った一言が浮かぶ
「幸子が逃げ場所なんだ」
俺は自分が嫌になることがある、友達がいのないやつだ俺ってやつは。賢治が瞳ちゃんとドライブに行くのに、俺につき合ってくれと言ってきた。
「嫌ならちゃんと嫌だって言ってくれよ」
くどいぐらいにいう賢治、見透かされているようだ。なんとなく気が進まない、いやだって言えなかった。「うん」と答えながら、当日付き合わなかった、その日どうして良いかわからなくて寝ていた。あの日瞳ちゃんはまた倒れたらしい、賢治は心細かっただろう。その日賢治は瞳ちゃんに別れを告げた。友達がいのない男にはなりたくない。
追記
その後の俺たち
10月の終わり頃の俺の心情が以上だった。その後ゴタゴタワイワイやりながら、俺は全てを話し、しばらく口を閉ざしていた細川も、口を開き、彼女とのその後を聞かせてくれた。
友達がいというのはどういうことだろう、思ったことも言わずにご機嫌をとるくらいなら、思い切り思ったことを伝えてやるほうがいいのかもしれない。細川も賢治も俺も、なんだかんだ言いながらお互いを助け合って、利用しあって、いつの間にか結びついてゆくのだ。あとわずかしか彼らと共に生活する時間はないけれど、一生忘れられない友達となるだろう。
第5章
愛それは心の潤い 砂漠のオアシス
愛に乾く旅人はそれを求め 長い時を旅する
M.K.詩集より
異人館
1979.11.1 木曜日
「うろこの家」北野町にて 神戸北野町の異人館は、展示、ブティック、喫茶などになっている。俺たちが訪れたうろこの家も喫茶店になっていて、外国に来たみたいな気分が味わえる。木曜だというのに、たくさん客がいて、ちょっと声を出して会話するのも憚られ、ノートで筆談することにした。
PM0:30
「俺に何を求めているの?」
「何を求めてるのかな。自分でもわからない。きっとあなたと一緒にいたいだけ。そして私のことをずっと思っていて欲しいだけ。」
「今度カフェオレ持ってきたら砂糖入れてよ」
「うん、入れたげる あなたは私に何を求めているの? お砂糖を入れて欲しいだけ?」
「その通り、これからここでは絶対声を出さないことにしよう」
「先に喋った方が、ほっぺにキスしたげること」
「オーライ」
「あなたの前だと、可愛くいれます。(自分で言うのはおかしいけど)あなたのこと思ってる時も可愛くいれます。でも、いつもこんなんじゃないと思います。それでもいいですか」
「ずっと 可愛く いたいけど さっき言ってたように飽きちゃわないかな、ずっと 一緒にいると お互い煩わしく思わないかな。そんなこと考えてしまいます。それに もっと もっと 話し合わなきゃ いけないこと いっぱいあると思います。あなたがいっぱい話してくれるから 私それに甘えてるんじゃないかな。”私もそう思う”って感じで」
「All right! のんびりとあなたのことを知っていくつもりでいます。あなたのことやっぱりはっきりとわからないことあると思います。でもこうして出会うたびにあなたのこと素敵に思えてきます。私の気持ちわからないっていうけど、これでも世界一素敵な彼持ってると思ってるんですよ。最近私が男の子から声をかけられない理由…私には 彼がいます…って顔してるからじゃないかな」
「今度水頼んでよ」
「私が水を頼めば 私が喋ったことになるでしょ、だから自分で頼みなさい」
学祭(後夜祭)愛ってなんだ
1979.11.4 日曜日 AM0:45
今日はあいつに会える日だ。学園祭なんか行かずに抱き合っていたい気もする。「バカやろう」頭の中で白い俺が叱る。「それはいい」黒い俺が喜ぶ。俺は一体何を考えてんだろう。昨年の今日は土曜日だった、秋合宿に南八へ行って、学祭は行かずに昼まで寝ていたんだ。そしたらIが手編みのセータを持って下宿に来て、あいつのことを本当に好きらしいと思い始めた俺、これはいかんと思ってた頃だ。そういえばあいつを学祭へ連れて行けないもんで「来年は連れて行ってあげる」と言ってたっけ「うん絶対連れてって」ってあいつ言ってたんじゃないか。やっぱり明日連れてってやろう。いやいや今日だ、早く寝なくちゃ。ずいぶん手が荒れている、ニベヤを塗ろう。このニベヤあいつが持ってきてくれたやつだ。俺の手が荒れているのを知って、わざわざ詰めて持ってきてくれた「あげようか?」って、さも持っているのを偶然そうに言ってたけど、慌てていたのだろう、中身がはみ出していた。これを塗るたびに、またあいつのことを思い出す。早く寝よう。
AM7:30
今日の目覚めは抜群に良い、デート前の高揚感。初めてのデートの朝みたいだ。久しぶりに今日の待ち合わせは紀伊国屋前だ。ジャックと豆の木は8時半にはまだオープンしていない。
午後の出来事
「俺 今お前の中にいるんだね」
「ええ、そうよ」
「女性がこんなにも身直なものだと思わなかった。」
「わたしも」
「…なんて言っていいかわからない、言葉が見つからないよ」
「…」
「これ 愛してるって いうやつかな」
雨がしとしとと時折強い風にあおられて荒い音を立てている。俺の部屋も雨漏れの音がする。ビニールを張って部屋の中に来ないようにしている。薄暗い部屋の中では、そんな外の雨の音と、漏れてくる雫の落ちるぽとりという音だけが響いている。ありったけを話して、見せてしまった俺とあいつがいた。俺の腕の中であいつが泣いている。少なからずあいつの話にショックを覚えたけれど悟られまいとしていた。
「こんな私でも好き?」
「あたりまえだろう、すっきりしたね、全部話してくれたんだろ」
彼女が泣いている、もし泣かれたらどうしようと今までなんども思ったけれど、彼女は泣かなかった。そのうちたまには泣かせてみたいなんて思うこともあった。でもいざ泣かれると戸惑うばかり。誤魔化すように唇を重ねた。そんな自分の心の底で何かが醒めて行くのを感じてどきりとする。今のはなんだろう。彼女は全てを俺に委ねたのだ、彼女は俺のものだ。そういった今まで一生懸命望んでいたものを、たった今得たのだと思った。その瞬間に何かが急激に冷めて行くような感じが起こったのだ。また一つ俺は男の本性を覗いたようだ。あいつは俺の中で小さくて頼りなくてひっそりと生きる小動物のように、あまりに弱々しげだ。そんなあいつを見つめている俺がどんどん醒めて行きそうで怖かった。一生懸命それを悟られまいと、抱きしめ、口付けをした。ただ一つ熱く胸を焦がす思いがあった。あいつが、他の男に抱かれる、そんなことを思うと、矢も楯もたまらない胸が焦げるようだ。
「俺は今の君が好きなんだ、今君が俺のことを愛してくれるならそれでいい」
そう言いながら、やはり心のどこかで傷口ができたのだろうか。触れまいとすると触れてしまうもの。その傷が俺の心を冷めさせるのか、何もかもを得たという安堵感がそうさせるのか。
「学園祭へ行きたいかい」
「ウウン、どっちでもいい」
「このまま抱き合っていたいな」
「うん」
俺は何を思っていたのだろう。何かが醒めそうな心許なさ。そうだ大切な夢が覚めてしまうみたいな、いや、夢が終結して一応終わるという感じだろうか。言葉で言い表せない、その気持ちの底には、不安と安らぎが同居していた。
「腹が減ったな 朝からまだ何も食べていないもんな」
「うん おなかすいた」
「さあ 行こうか」
「送ってくれるの」
「送らなくてもいいの?」
「うん いいよ」
「じゃあ やめだ」
「だめ 送って」
「…」
「…」
もう辺りは暗くなっていた。お互いに見つめ合いながら、やっぱり一つの終わりが来たことを感じた。ビールを一本ずつ飲み、焼き鳥やらバーベキューをつまむ。あいつは元気が良くて、俺と同じくらい食べる。頼んだものは残さない。あいつの家の躾がわかる。俺はあいつのそんなところが好きだ。なんとなくすぐ送ってしまう気がしない。まだ家に帰したくない。電車の中であいつの肩にもたれて寝てしまった。汗をかいていた。暗い夜道だった、明日は満月の夜だった。
「去年の昨日、初めてあなたが迎えに来てくれて、送ってくれたんだわ」
「じゃあ、初めてのデートは1年前の昨日だったの?」
「そうよ」
「じゃあ、今日は1周年なんだ」
「うん」
車のヘッドライトを避けながらキスをする、あいつの家の前で、いつものように、軽く右手を上げて
「おやすみ」
「おやすみなさい」
そう言って別れる。行き着くとことに行き着いた気分。あの冷めるような気持ちも一段落して、これ以上冷めることもないらしい。夜明けだ、俺たちの新しい朝が始まろうとしている。心の底にあった不安は消えて行き、安らぎが温かみを増し、恋のように激しくないけれど、落ち着いた優しさに満ちた暖かさがこみ上げてくる。雨は止んでいた。
えぴろおぐう
もちろんこの物語に終わりはない。(はずだった)
登場人物
俺: 中村行宏
あいつ: K
細川: 細川陽一 下宿の仲間
賢治: 西嶋賢治 下宿の仲間
杉本: 杉本克己 クラブの同期
仲野: 仲野誠一 クラブの後輩
I: I
参考文献
「M.K.詩集」河波真澄が下宿を訪れた時に俺のノートに勝手に書き残して行く詩集
「あいつの手紙」Kが俺宛てに送った手紙
「あいつと俺の記録」 俺のノート
編集後記
いつものことながら、誤字脱字その他おかしな点についてはお許し願いたい。時に触れ思いつくままノートに書き溜めたものをここにまとめてみたわけだけども、本当にここ1年俺のノートはあいつのことで埋められていた。ここに一冊の本としてまとめることができ、今まで一貫性のないものが多かった中で、まとまったものができた。果たしてこのようなものを、友人なりといえども公表して良いものだろうか、ねえKさん。俺はこんなものを書いて何がしたいんでしょう。何が言いたいんでしょう。とはいえ、今後もう書かないかというと、やっぱり書いて行くでしょう。書く理由はわからないけれど。
Kへ
君は、この本をどのように受け取ってくれるだろう。思っていることをそのまま書き表すことのできない俺にとって、ここに綴られたことは、俺の思っていたことのほんの一部にすぎないけれど、それでもその一部からでも、俺を知ることができるだろうと思います。「ああ、あの人は、この時、こんなことを思っていたのか」と以前こんな詩を書きました。
いつかきっと
俺の道が誰かの道と交わって
一緒に歩き出せることを信じて
ただひたすら俺の道を求め
俺の道を行く
1977春
今俺の道と交わった誰かが君であることを切に願います。
21歳を迎えたKへ、最後に河波くんの詩をプレゼントします。
ああ愛しい人よ
その手を差し伸べ愛に乾く
私を潤してほしい
されば 私は
その何倍かの愛をあなたに
与えよう
ああだから
私を永遠に見つめてほしい
その中で私は 今の私を捨てることが
できるだろう
過去の私にとらわれない私に
過ぎた時を悔いない私に
そんな私を抱きしめて欲しい
しかし私はまだあなたを抱きしめていない
抱きしめたら 壊れそうで
それは ジャボン玉のようで
遠い 思い出のようで
震えることを恐れ
近ずくことを恐れ
戸惑う私
それもあなたの瞳の輝きの
せいか
もう 私は待てない
待てない
今こそ ああ今こそ
あなたを愛していると言おう
そこから
また
未来が始まり
今が始まり
過去が始まり
今に続く
この本は一応これで終わり。でも「あいつと俺の愛の物語」の第一部が終わったに過ぎないのです。今後第二部、三部と永遠に続くことを信じます。
1980.2.6 水曜日
AM0:00 穴倉にて 著者
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