MY ESSAY Lovely
BETUKAN
OKAZAKI & OUSAKA
プロローグ・十九歳の終わり
■何がなにやらの岡崎・浪人時代■(1976年春)
3月12日
愛とか恋とかなんてわからない、でも、今感じているものがそれならば、とても素晴らしいものだ。素晴らしいのだが、何を見ても聞いても感動する私、でも一度見たもの聞いたものは、再び見聞きしても以前と同じ感動を感じない。新鮮な感動が欲しい。限りない欲望、持続性のない感動。
3月13日
夕方友人に手紙を出したついでに、小学生以来ご無沙汰していた駄菓子屋に寄った。小さな玩具がたくさんある。面子を10円買って帰った。風の強い日だった。
3月14日
地震だ。僕は漫画を読んでいた。怖い。ゆらゆら、ガタガタ、シーン、ガタガタ、ゆら、ペタピト、チンチン。僕は焦ってストーブのスイッチを切って、スタンドを消してまたつけて、布団の上に立って、スリッパを履いたままなので慌てて、降りて、スリッパを脱ぐつもりがパンツを脱いでしまって、びっくりして、パンツを抱えて両親の寝室に行くと、親父さんも同じ格好をしていた。
3月15日
僕は絶対タバコは吸わないぞ。格好をつけたり暇を持て余した時はタバコなんか吸わずに、手製の知恵の輪をやろう。
3月16日
夕方風も強く、陽も陰り夕焼け色のカーテンがかかる頃、城が見たくなった。川伝いに下って行く、矢作川はきれいな川だ。水がきれいなわけではなく、風景が美しいわけでもないのに、見ていると、懐かしさが漂っている。鉄橋を貨物列車が通り、ガッタンゴットンと音を川面に落として行く。水の流れは、夕日を照らしてキラキラと輝き、砂を汲み取る船がぽっかり光の中に浮かんでいる。河原には車がポツリポツリ、アベックがいるのだろう。僕は独りきりだったけれど寂しくはなかった。むしろ人というものが煩わしく思え、この川がとても親しく思われ、おしっこをプレゼントした。
ただ今二十歳
■ある若者の秋■(1977年秋)
彼は今年大学に入ったばかりである。憧れの一人暮らし、彼は青春のど真ん中にいる。大阪駅から10分ほどの所に下宿があった。彼の部屋には、小さな三段の本箱が二つとギターが一つ、後にも先にも家具と言えるものは一つもない。やけに広く感じる四畳半。、壁にはいっぱい釘を打ち付け、服や鏡をぶら下げ、ポスターが貼ってあった。タバコの焦げ跡のある畳の上に大の字になって寝転び「ふーっ」と大きなあくびをした。彼が許可したわけでもないのに、無断で侵入したゴキブリが、我が物顔で、炊事場のあたりをこそこそ這い回っている。以前なら、ゴキブリを怖がり、その存在を許さなかったはずの彼も、ワンダーフォーゲル部で度々山にゆき、今まで味わったことのない苦しさと、汚さを味わい、神経が図太くなったのか、あまり気にもせず、ゴキブリ君と仲良く四畳半に同居しているのだった。
「傷だらけの天使」に憧れていた彼は、水中眼鏡と安物のヘッドホンをかけて寝る。ステレオなどないのにヘッドホーンだけ持っていた。音楽は聞こえないけど、雑音も聞こえないし、彼は満足だった。朝、一晩中付けていたヘッドホンのせいで、蒸れて痛いのを我慢して起き上がる。彼の心は弾んでいる。ぺらぺらの布団をはねのけ口笛を吹いて、窓を開け、危うく窓を外に落としそうになりながらもお日様に挨拶して、冷蔵庫から、500mlの牛乳と、パンを取り出す。無茶苦茶な食い方をして「あー」「青春だなー」と一人ニャリとする。
「男おいどん」を知っているだろうか。ガニ股で、四畳半に住み、トリとネコを飼い、インキン虫とタムシを飼い、押し入れには、シマシマのパンツを蓄え、おまけにその蒸れたパンツの中でサルマタケを養い、食ってしまうという、我ら四畳半下宿人の鏡とされた、とてつもなく格好の悪いメガネザルのことだ。彼は、また、この「男おいどん」の暮らし方、女からの振られ方も学んでいた。もちろん、トリもネコも飼っていないが、メガネもかけてはいないのだが、重い荷物を背負って山を歩くせいで、ガニ股の猿のようになってきていたし。インキンタムシも先輩にうつされ飼い始めていたのだ。押入れの中は、汗臭くなったパンツや靴下が押し込んであってムーッとした臭気がする。その中には先輩からかっぱらってきたシマシマパンツなどもあったが、いまだに、サルマタケは生えていないようだった。彼が「おいどん」から学んだのは、「おいどん」の気性と「おいどん」のようになってはいかんということであったが、最近、彼は、どうも自分の姿が「おいどん」にダブっているような気がして仕方がない。春に襲われたインキンタムシも、水虫の薬でなんとかおとなしくしている。一人暮らしは、自由で最高だけど、洗濯や、飯炊がうっとおしいのと、男一人はどうも汚くていけない、彼は掃除、洗濯、美味しいご飯を作ってくれる、優しい女の子を求め始めていた。
彼は、クラブ活動を通じて一人の女子大生と出会った。彼女は非常に整った顔で、日本人離れした美人だった。山へばかり行っているようでは、女の子と知り合う暇もないだろうと思っていたが、彼女に引き合わせてくれたのは山だった。ワンゲルの活動は、山登りだけではなく、他のワンダラーとの活動があった。大学のクラブは野郎ばかりのところもあれば、女の子ばかりのところもある。一緒に山に行き、お互いの親睦を深め合ったり、技術交換などをするのである。彼女はそんな中の一人だった。彼女は整いすぎた美人の持つ、一種の冷たさを持っていた。
山に出かける時はたいてい梅田駅始発の夜行列車に乗る。出発の日は山で知り合った仲間が、見送ったり、見送られたりするのが常だった。彼も一度会ったきりだが、彼女に見送りに来て欲しいと思う。クールな気配の彼女に気後れしながら、先輩の取り次ぎで教えてもらった電話番号を探した。「ハイ私です、アッ、あのときの」明るくハキハキと弾けるような声が彼の耳に飛び込んできた。クールな印象からは想像できないような朗らかな、気さくな話し方だった。ためらいながらも、見送りに来て欲しいことを話すと、彼女は、あっさり承知してくれた。狐につままれたような気持ちがした。
彼女に見送りに来てもらって以来、よく会うようになった。いつ見ても彼女は美しく、そしてクールな雰囲気を漂わせていた。彼女の姿を見つめては失礼かなと思いつつ、知らず知らずのうちに彼女の方へ目がいってしまう。すらりと伸びた脚はスリムのジーンズとハイヒールがよく似合う。中央で分け軽いウェイブのかかった長い髪。くっきりと大きく見開かれた目と、細く真っ直ぐに伸びた眉。鼻筋が通っていて、うっすらと桃色の可愛い唇がある。山女のイメージはない。彼が今まで知り合った女性とは全く異なっていた。彼女にはどこか近寄り難いものがあると彼は思うのだった。
会う回数が増えるに連れ、彼女も彼に視線を投げかけるようになり、近くに寄ってくるようになった。そんなある日、彼女たちの山行きを見送りに行った彼は、ハッとした。彼女は髪をシートカットにして、可愛らしくカールをかけている。今までのクールな感じが薄らぎ、とても可愛らしい。彼は本当に「これはいかれてしまいそうだ」と思った。登山服の彼女は、意外にぽっちゃりしていて、やけに大きな登山靴を履いて飛び跳ねていた。彼は明るくて活発な女性が大好きだった。彼はそんな彼女に見惚れていた。ところが、彼女を見送りにきたのは彼一人ではなく、赤いブレザーで身を固めた男が彼女に付き纏って何やら話をしていた。彼女も満更ではないらしく、楽しそうに話をして、素敵な笑顔を送っていた。今までの彼なら、嫉妬に駆られながら萎縮していたところだが、最近の彼は違っていた。どんなにいかした男が好きな女性のそばにいようが、そんな男は目ではない。自分はそんな男にはない魅力を持っている。それが何であるか正直なところわかっていないのに、なんとなくそんな自信のようなものを持ち始めていた。だから、もしこの魅力に彼女が気付いてくれたら、きっと彼の方に来てくれるだろう、もし気が付かないような人なら、こちらから願い下げだとさえ思うようになっていた。
彼が山へ行くようになってから知り合った女の子は一人ではなかった。彼女と同じ大学の女子とも気軽に話せるようになっていたし。他の大学の女子とも知り合うようになった。手紙なども、ちょくちょくいろんなところから来るようになっていた。今彼が、なんとなく心を寄せる女の子は、とてもたくさんいたのだ。
最近知り合った女の子から見送りを頼まれた。その子の山行きの翌日、彼も山へ行くことになっていた。まだその子のことを意識していなかった彼は出発時間を忘れていて、危うくすっぽかすところだった。彼女を見送る際「明日は俺も穂高へ行くんだけど君には見送ってもらえないな」というと、彼女は「ごめんね、明日見送れないけど、頑張ってきてね、これ差し入れ」と言って、一つの袋を手に渡してくれた。彼が何気なくセブンスターを吸うと、彼女は「アッ、セブンスター吸ってるの?」と聞いた。彼はただ「うん」と答えただけだった。彼女はしきりと「ありがとう」と言って電車が出てからも窓から身を乗り出して手を振っていた。彼はなんとなくウキウキした気持ちで下宿に戻ると、さっきもらった紙袋を開けた。中には「お月様を見ながら食べてね」という但し書きのある饅頭と、飴と、いつも怪我ばかりしていると言っているせいか、バンドエイドとセブンスターが3箱入っていた。今彼は青春のど真ん中にいた。
■ある若者の秋 終■
■ある若者の春■(1978年二十歳の春)
「未だ女を知らず・俺は男だ 女のことなど知ってたまるか」編
2月1日火曜日
10:00京橋で待ち合わせに10:00にちょうどに京橋に着いた俺は、彼女がまだ来ていないのでうどんを食いに行った。大急ぎでうどんを食べて帰ってくると彼女は来ていた。「待った?」と聞くと「今来たところ」とにっこり笑い彼女は切符を買う。すでに俺は切符を買っていた。「アッ、さっきから来ていたの?」と驚く彼女「へへへ」と笑う俺。
ゴッホの絵を見終わり、平安神宮から南禅寺へ下り、円山公園を通って三年坂に出た。古風な茶店に入り、囲炉裏のそばに腰掛ける。2月の京都は寒い。彼女はコートの前をはだけたままで「私寒いのに強いの」とぽつりという。俺は葛餅を彼女はお汁粉を頼む。彼女は仕切りと占いの話をした。「あなたは信じる?」と彼女「俺は信じない」とそっけない俺。「そう」と言いながら彼女は、しきりと俺の名前や生年月日で占ってくれた。彼女のお父さんは占いのおかげで命が助かったことがあるとか、自分は占いによるとこんな女だとか。ふと二人の会話が途切れた。西の空がうっすらと夕焼け色に染まり始めていた。
「私の今の父は、本当はおじいさんなんです」と彼女「エッ?」っと俺。突然訳のわからない言葉が彼女の口から飛び出した。「私の父は、わけがあって、私が生まれてから母の元を離れ、父のお父さん、つまり私のおじいさんのところへ、私や、兄、弟を連れて引き取られたんです。私は小さい時からおじいさんをお父さんと呼んで育ちました。私の兄弟は、一番上に姉がいて、次に兄、姉、私、弟がいるんです。一番上の姉は私たちとは違うお父さんとの間にできた娘で、私もそんな姉がいることを去年知ったんです。そして兄と姉、私があの人、あの、つまり本当のあの今のお父さん、おじいさんなんだけど、その人の息子との間にできて、弟がおじいさんとの間にできたんです。私の学費なんかは、あの人が出してくれてるんです・・・」彼女は落ち着いた調子で、静かにさりげなく言った。俺は彼女の家庭の複雑さを聞かされ戸惑った。なんて返事をすればいいんだ。彼女は微笑んでいたけど、一生懸命微笑んでいるのだと思う。なまじっか同情するのは彼女を傷つけそうだし、俺は平気な顔を作って「フーン」というのが精一杯だった。
2月25日金曜日
俺は天王寺でタバコを吸っていた。もうかれこれ30分ほど経つのに彼女は来ない。どだい女というものは時間にルーズなものなのだろうか。30分くらい待つのは当たり前なのだろうか。待ち合わせ時間より早く来てしまっていた俺は、なんだか自分が馬鹿みたいに思えて、もう帰ってしまおうかと、くるりと後ろを振り向いた時、彼女が駆けてくるのが見えた。
バルビゾン派の画家たちの絵を見終わって、奈良公園へ行った。鹿が人懐っこそうに寄ってくる。雨が降ってきた。二人とも傘を持っている。俺たちの前をアベックが、一つのコートを傘にして雨を避けて走ってゆく。俺は「傘を忘れてくればよかった」というと「ウフフ」と笑う彼女。雨の奈良もおつなものだが、どこへ行っていいかわからない、二人で座るベンチはもう雨に占領されている。「お酒飲もうか」と言うと「飲みたい」と彼女が答える。俺は彼女を連れて梅田に出ることにした。
駅を出るともう雨は晴れ上がっていた。水溜りが、行き交う人々を映している。なんて都会は人が多いんだ。人混みを押し分けるようにして阪急東商店街へ入っていった。さりげなく、彼女を人混みから庇うように自分の方に寄せようとしたが、肩に手をやることはできなかった。チャーリーブラウンはちょっとイカしたお店だった。西部劇に出てくるみたいなお店の作りで、小さな銀行風のカウンターでお金をコインに替えて、コイン何枚かで水割りとか、おつまみとかを買う仕組みになっていた。俺は水割り、彼女はフィズを頼んだ。小さなステージでは、生バンドが大声でカントリー曲を歌っている。あまりうるさいので、俺が何か話すと彼女が耳を寄せてきた。彼女の髪の毛がサラサラと俺の鼻元をくすぐる。そして彼女が話をするときは俺の耳に口をつけそうになる。なんとも言えないときめきのひととき。しばらくすると、しきりに「ねむいワ」と言う彼女。どうしたものか。俺の下宿はすぐ近くなのだ。彼女も近くだと言うことぐらいは知っている。
店を出ると、すでに世界は薄暗い夕闇に包まれていた。彼女は意外としっかりとした足取りで俺のそばをついてくる。何気なく肩に手をかけたつもりだったが、ぎこちなかった。妙に力が入って冷や汗が垂れる。「アッ!」と言う彼女「どうした?」と間抜けなことを聞く俺。「あなたらしくないワ」と彼女に言われ、急に体から力が抜けて、彼女の肩にかけている手がだるくなってきた。「ダルイからおろす」と言いながら手を下ろす俺。惨めな気がして、なにもする気がしなくなった。扇町公園へ抜ける道はもう人気も車もないので道の真ん中を歩いていた。すでに俺の下宿は通り過ぎている。と、一台の車がやってくる、俺は彼女の手を取るか肩を抱いてリードしてやればよかったのだが、焦っていたし、さっきのこともあって、きまりが悪く、彼女の方へ小走りに寄った。彼女は彼女で俺の方へ向かったらしく、二人は道の真ん中でぶつかって、よろよろと、道の両脇へ分かれた。車が去って、さらに暗くなった道の両端で、二人はショボンとしていた。扇町公園の上にはスモッグで霞んだ月が冴えない顔をしていた。
■ある若者の春 終■
エピローグ
■あれから2年■(1978年春)
部屋は広くなったけれど、置くものが増えて、なんか狭っ苦しくて昼でも真っ暗なのだ。
本箱二つとギターだけと言う、ほんのわずかな家具で生活をしていた彼も、2年の間に5畳の部屋に変わり、ステレオやらテーブルやら、こたつやら、山の道具やらを仕入れ、先輩と呼ばれるこの頃である。最近彼はこれと言って付き合っている女性はいないが、なぜか、強いて彼女が欲しいとも思わなかった。ただひたすら勉強をサボって山にゆき、やたらと本を読み漁っていた。今彼の胸の内で訳のわからない何かが熱くなっていた「何かをしなければいけない」。
彼は自分を知ろうとしていた。「おもしろきことなきこの世を面白く生きるは心なり」と高杉晋作が言い残した。龍馬は俺の年の頃、ごろごろとねころんだり剣術ばかりに打ち込んでいた。そんな龍馬を周りの人間は非難するけど、龍馬は「今は何もわからない、わからない俺になにができる、なにもできない。しかし、いつまでもなにもわからないままでいるつもりではない。わかるまで、俺はなにもせぬのだ。いまにみていろ、そのうち俺を必要とする時代がやってくる。」と信じ、自分を叱咤していた。俺も、今はその時期だ。いつかなにかやってやる。だから自分がなんであるか、なにができるかを知りたいと思うのである。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「国盗り物語」にすごく感動した。彼は自分の考え方や、行動を、竜馬や道三、信長、光秀などと照らし合わせる癖がついた。何をやっても映画や小説のようにはいかない。それでも彼は少しずつ自分が成長している気がしていた。
今彼は思う。世のために何ができるか、全く見当が付かない。ならばそんなことは考えまい。まず、小さい時からの望みであった空を飛ぶことを、なんとか実現させよう。彼はそのことを必死に考え始めているのだった。
A Longing for the sky the birdman.
彼のアルカディア号はいつ大空を飛ぶのだろうか・・・?
ふろーく
■あとがき■
これを書き出したのは、試験中だった。今日も微分方程式を解きながら、自分の思考曲線の微分係数を求め出したものだから、解なんだかわからないこんなものが出来上がってしまった。
思ったことの半分も書き表せないことに歯痒さを感じている。
筆者プロフィール
身長 172cm
体重 62kg
所属 近畿大学体育会ワンダーフォーゲル部
性格 不明
自称 NAPLIN YUKI CHAKAMIRE/怪人案単多裸亜
発行所 大阪市北区万歳町2-25 シルバーランドサファイアの間
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