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中にあるもの

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 3月13日
  • 読了時間: 2分

2025/3/13


 物語や音楽が心の中で巡ることがある。それらは自然と浮かび上がる。こういうことが起きて、こう言って、こうなる——そんなふうに思い描きながら、映像や音が伴わってくる。それはこれからの準備だったり、過去の整理でだったり、単に楽しむ方法だったりする。


 音楽が頭の中を巡ることも多い。さっき聞いたメロディが残っていることもあれば、なんとはなしに浮かんだフレーズが繰り返されることもある。多くは身体の内側にとどまっているが、気分が乗れば、ハミングになったり、口笛に変わったりする。


 言葉、映像、音楽——それらは不可分のようでいて、時にはどれかに意識が傾くこともある。言葉に集中すれば音楽が遠のき、音楽に没頭すれば映像が薄れる。そして、どれもが思考の色彩となり、形となる。ときには映像のほうが鮮やかに浮かび、それに気持ちを持っていかれることもある。


 しかし、心にあるものを形にしようとすると、思い通りにはいかない。言葉にしても、絵にしても、音にしても、いざ外に出そうとすれば何かが違う。だから、何度も繰り返し、少しずつ調整する。最も思いに近いものを選び取っていく——その作業を重ねても、「これだ」と確信を持つことは難しい。伝えたいことを、ぴたりと表現するのは、どこまでも遠い。


 そもそも、自分のことは本当に自分が一番わかっているのだろうか。多くの人はそう思っているだろうが、ふと、自分が何を考えているのかわからなくなることがある。だからこそ、うまく表現できたときは嬉しいし、思い通りにいかないと苛立つ。それは誰にでもあることだろう。


 それでも、人は何かを形にしようとする。自分の中にあるもの——その本当の形や色、匂いを確かめたくて、絵を描き、物語を綴り、音楽を奏でる。自分自身の輪郭を掴みたくて、言葉を探し、音を紡ぐ。


 この世で最も未知なものは、自分自身なのかもしれない。だから人は、自分を探しに行くのだろう。誰かの真似ではない、自分だけの何かを見つけたくて。

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