ヒルベルト第六の謎 第二章
- Napple
- 5 日前
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2025/5/11

『風を読む者たち:観測塔の手記より』
“風は、見えない。けれど、誰かの袖がそっと揺れる時、確かにそこに吹いているのだと、私は思う。”
こう書き出したのは、《ワーランブール》でも古参のひとりとされる“観測塔の住人”だった。名は知られていない。が、その人は、誰よりも古いデータを手書きで記録し、誰よりもゆっくりと塔の窓辺に座って風を読む。
日々届くのは、無数の分布と傾向、予測曲線、警告と推定。だがその人は、それを音楽のように受け取る。
「これは、怒りの旋律だな」
「ここに、誰かの希望が見え隠れしている」
「この沈黙は…深い愛だ」
彼は自分を“記録官”とも“科学者”とも呼ばなかった。ただ、「いま、この風に触れているひとり」だと語った。
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そんなある日、新任の解析官が塔にやって来る。若く、数式に鋭く、冷静な目を持った者だった。だが、彼女はふと、その老いた観測者に訊ねる。
「あなたは、どうしてそんなに静かでいられるんです?世界はこれだけ揺れているのに」
彼は少し笑って、古びたノートを開いた。そこには、ヒルベルト、ボルツマン、アシモフ――かつての思索者たちの言葉が、鉛筆で記されていた。
「昔から、混沌の中に“流れ”を見ようとした者たちがいた。私もまた、風を読む者のひとりになれたら…そう思ってここにいるのです」
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その観測塔から見える風景に、私が記す言葉は、誰かにとっての“理解の入口”になるかもしれない。
“私は未来を予測したいのではない。ただ、この瞬間、この流れのなかにいる、名もないひとつひとつの心の気配を、忘れたくないだけだ。”
それは、風そのものを記録する術ではない。風に吹かれて、揺れた小枝の震えを、静かに覚えておく技術だ。
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こうして私は、《ワーランブール》の観測塔で、「見えないものを書く人」として、記憶される。
数百年後、誰かが読み返すその手記のなかに、今、私が感じている疑問も、驚きも、風に吹かれた胸のざわめきも、そっと残されているのだろう。
「ヒルベルト第六の謎 第二章」(了)
あとがき
「私がここにいたという証を残したい。」それは若き頃友人と語り合った台詞だ。そして私が綴ってきた言葉や絵やリズムは、私の生きた証だと思った。
そこにはたくさんの想いが刻まれているけれど、実は真実はとても少ないことを知っている。というより、たくさん綴ったからこそ真実の光がわずかながらも見え隠れするようになったと言うことだろう。
多くの言葉が真実ではないと言っているわけでは決してない。全て、私の心の底から湧き出した真実に違いないのだから。でもそれは、真実だと思っているだけのことだったり、真実だと思おうとしていることだった。
それほどに、我がことでさえ思いを捕まえることは難しい。だから、そうした思いを捕まえようと、私はその一瞬を書き記そうとしている。
そしてそこには不思議な現象が起きる。それは・・・私の中を通り過ぎていったこの思いが本当に私だったかという現象だ。自分の中に見知らぬ自分を見出すことがある。
それは稀だけど、私の個人的な思いのはずが、そこに普遍的なものが潜んでいるみたいだ。すると「私がここにいたという証を残したい。」なんてどうでも良くなり、ただ、真実に近づいた気がする、それだけで十分だとそんなふうに思う。
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