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  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 6 日前
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更新日:1 日前

2025/4/11



 チャップリンの『独裁者』を観た。ラストの演説が、静かに、けれど確かに胸に沁みてきた。あれは誰かに向けた言葉というよりも、人間というもの全体に投げかけられた、魂のひだを震わせる祈りのようだった。


 チャップリンを初めて観たのは高校時代。『モダン・タイムス』のリバイバル上映だった。無声映画なのに、なぜか音が聞こえるような不思議さ――。それからというもの、『街の灯』や『独裁者』が名古屋で上映されるたび、岡崎から足を運んだ。あの頃の私は、映画のなかの光と影に、自分の中の何かを見つけてドキドキしたのだった。


 そうして私は、ある日。「ナップリン・ユキ・チャカミレ」をペネームにした――。自分の名前にチャップリンを合わせた、小さな遊び。それがやがてアップルコンピューターとの出会いも重なって、「napple」という名に育っていった。敬愛するものたちが、ひとつの名前のなかで息をするようになった。


 創作をするとき、ふとした記録を残すとき、私は今もこの名前を使っている。「napple」――それは、記憶と想いと、ほんの少しの洒落っ気が織り込まれた、もうひとつの私だ。


 チャップリンの映画の魅力は数えきれない。けれど、やはり音楽がいちばんの魔法だと思う。浜松のアクトホールで、生のオーケストラとともに観た『街の灯』のことを、今でもときどき思い出す。音が映像のなかを泳ぐように走り、スクリーンの光が、それにそっと影を寄せるようだった。


 懐かしいのに、古びない――。そんな映画を思いながら、この名前に親しんできた。チャップリンの演説の最後に彼は言っていた。「私たちは、すべての人を幸せにし、自由にし、人生を美しくしようとする力を持っているのです。その力を、私たちは使いましょう。」と。僕もこの言葉を胸に、自分の心の声を忘れぬように描き続けたい。



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