top of page

すれ違いの温度 第2話

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 5月6日
  • 読了時間: 2分

2025/5/6



「聞こえない手紙」

 彼はよく、何かを仕掛けてくる人だった。文庫本を開けたら中に小さな手紙。冷蔵庫の野菜室の奥に、折り鶴に包まれたメッセージ。玄関の靴箱の上、ふわっと置かれた一枚の紙。――「好きだ」と、ただそれだけの言葉を、遠回りに。回り道に、回り道を重ねて。


 私は、それらをひとつずつ、ちゃんと受け取っていた。そのたびに、少しだけ胸が苦しくなった。どうして、こんなにたくさん、言葉にしなければならないんだろう。どうして、こんなに丁寧に、まるで爆発物を扱うように、愛を差し出すのだろう。


 私には、そのまま伝えてくれてもよかったのに。私には、もっと簡単なことで十分だったのに。


 でも、そういう人だった。彼は、まっすぐなふりをして、不器用な人だった。「これが僕のやり方だ」と言いたげに、紙に頼ってばかりいた。


 私は笑っていた。彼が喜ぶ顔が見たかったから。けれど、その笑顔の下には、うまく言えない戸惑いが、少しずつ溜まっていた。言葉の洪水のなかで、私の気持ちは少しずつ、声を失っていった。


 そして気づくと、私は、彼の「最後の手紙」にも、なにも言えなかった。それが終わりの合図だったとは、気づかぬふりをした。


 あの人は、愛することで、自分のすべてを表そうとした。私は、それを受け止めることができなかったわけではない。ただ、「応え方」がわからなかったのだ。


 今でも、時々思う。あの文庫本、あの折り紙。ひとつひとつ、ちゃんと残しておけばよかったなと。


 あの人は、自分の愛が独りよがりだったと思っているかもしれない。でも――私から見た彼は、たしかに、誰よりも愛することを恐れずにいた人だった。めんどくさいほどに、真剣だった人だった。


 私は、あの時の沈黙を、ずっと心の中で謝っている。いまさら言っても仕方がないけれど、でも――静かだった私は、ずっと返事をしていたのだ。「ありがとう」と。「大丈夫」と。「ちゃんと届いてた」と。


 声にはならなかったけれど。それでも、私のなかには、たしかに彼が生きていた。



すれ違いの温度 第2話「聞こえない手紙」(了)

Comments


bottom of page