青色の音
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更新日:5 日前
2025/3/28

町の不思議
その町では、音に色がついていた。
鐘が鳴るとオレンジ色の波が広がり、風が吹くと青い光が揺れる。
少年はずっと思っていた。
「音に色がつくなんて、当たり前のことだ」
ある日、町のはずれで老人に出会った。
「君は鐘の音を何色に見ている?」と老人が尋ねる。
「オレンジ色に決まってるよ」
「そうか。でも、誰もがそうとは限らないぞ」
少年は「そんなはずはない」と笑った。
音の色は決まっている。
みんなが同じ世界を見ているはずだ。
青い鐘の音
次の日、少年は町外れの丘で、少女がカホンを叩いているのを見た。
「ねえ、この音、何色に見える?」と彼女は聞いた。
少年は目を閉じ、音を聴いた。
すると──青かった。
「え? 鐘の音はオレンジのはずなのに……」
「それはあなたの ‘決めつけ’ じゃない?」
少年は混乱した。
「でも、鐘の音はオレンジだとみんな言ってる」
少女は微笑んだ。
「それはみんなが ‘そう観測している’ からよ。でも、本当は音の色は決まっていないの」
選ばれる世界
少女は続けた。
「音の色はね、見る人によって変わるの。
でも、いったん ‘オレンジ’ だと決めたら、その人の世界ではそれが真実になるのよ」
「……まるで量子みたいだ」
「そうよ。量子の世界では、観測するまで ‘どちらでもある’ という状態が続くの」
少年は試しにカホンを叩いた。
最初は青だった。
でも、何度も叩くうちに、青にもオレンジにも見えた。
「どちらでもありうるってこと?」
「うん。でもね、大切なのは ‘自分が何を見るか’ を決めることなの」
主観の不思議
少年は考えた。
もし、僕がずっと青い鐘の音を信じたら、僕の世界は変わるのだろうか?
でも、オレンジ色の音を聴く人がいる限り、それもまた真実なのだろう。
少年はカホンを叩きながら、思った。
世界はひとつではない。
誰もが、自分の見たい世界を選んでいるのかもしれない。
その日から、少年は音に色を見ることをやめた。
いや、正確には、すべての色を見ることにしたのだった。
「青色の音」了
あとがき
「主観的」という概念を量子論的に説明すると、それは観測者によって現実が変化するという考え方と結びつく。そして、それに相反する「客観的な事実」の存在も同時に考慮しながら説明できる。
1. 主観性と量子論:観測者の役割
量子論では、観測するまで粒子の状態は確定せず、確率的に複数の可能性が共存している(シュレーディンガーの猫のパラドックス)。
これを主観性と結びつけると、「何を観測するか」「どのように観測するか」によって、観測者の認識する現実が変わることになる。
例えば、光は「波」としても「粒子」としても振る舞う(波動粒子二重性)。これは観測の方法に依存して決まる。同じ対象でも観測者の選択によって異なる結果を得るという点で、主観的な認識の影響を示唆している。
2. 相反する主観性:多世界解釈と相補性
量子論には「多世界解釈」という考え方がある。これは、量子の状態が一つに収束するのではなく、観測ごとに異なる世界が枝分かれして存在するというものだ。
この視点から見ると、「異なる主観が異なる現実を生み出している」とも言える。AとBが異なる認識を持つとき、それぞれの視点が異なる「現実の分岐」として存在する可能性がある。
また、量子力学には「相補性の原理」があり、一つの系において、ある性質を明確にすると、別の性質が不確定になる(例えば、位置を正確に測ると運動量が不確定になる)。
これは「主観的な視点を固定すると、他の側面が曖昧になる」ことに似ている。例えば、「ある音楽を明るいと感じる人」と「悲しいと感じる人」がいた場合、それぞれの主観にとってその音楽の性質は異なり、他の側面を捨象しているのと同じだ。
3. 主観と客観の重ね合わせ
ここで「主観的」と「客観的」が両立する可能性について考える。量子力学では、ある状態が観測されるまでは重ね合わせの状態(複数の可能性が同時に存在)にある。
これを主観と客観に適用すると、「ある物事が主観的であるかどうかも、観測(認識)によって決まる」と考えられる。
例えば、色の認識を考えてみる。
物理学的には、色は特定の波長の光が反射することで決まる(客観的事実)。しかし、実際に「青色」と認識するかどうかは、観測者の目や脳の処理に依存する(主観的認識)。
つまり、「色は物理的に存在する(客観的)一方で、その見え方は観測者ごとに異なる(主観的)」という重ね合わせの状態にあると言える。
4. 「主観は幻想か?」ボーム解釈の視点
デヴィッド・ボームのパイロット波理論では、量子の振る舞いには隠れた変数が存在し、実はすべての粒子の動きが決まっている(つまり、完全に客観的な現実がある)という立場をとる。
この視点からすると、主観的な認識の違いは単なる情報の受け取り方の違いに過ぎず、世界は本来ひとつの客観的な法則に支配されているとも考えられる。
しかし、これを逆に考えると、「すべてが客観的な現象であるなら、主観とは何なのか?」という問いが浮かぶ。
この視点では、「主観」というもの自体が幻想であり、すべては脳の中で生まれる確定した物理現象である、という見方もできる。
5. 結論:主観と客観は量子的に両立する
量子論的な視点で「主観的」を説明すると、以下のようにまとめられる。
1. 観測者が現実を決める(主観の影響)
量子力学では観測によって状態が決定するため、認識によって現実が異なるように見える。
2. 異なる主観が並行して存在しうる(多世界解釈)
人それぞれの主観が、異なる「現実」を生み出す可能性がある。
3. 主観と客観の境界は曖昧(重ね合わせの状態)
ある事象が主観的か客観的かは、観測の仕方によって決まる。
4. 主観そのものが幻想かもしれない(ボーム解釈)
もし完全な客観的世界が存在するなら、主観は単なる脳の情報処理に過ぎない。
このように、量子論的視点では「主観と客観は二項対立ではなく、ある条件のもとで共存するもの」と考えられる。それは、観測・選択・解釈によって決まる、まさに「量子的な」ものなのかもしれない。
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