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無口な男

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 2024年12月14日
  • 読了時間: 3分

2024/12/14

プロローグ


 薄曇りの午後、喫茶店「1.9ℓの魔法びん」には時間が止まったような静けさが広がっている。柱時計はすでに動きを止め、白熱電球がほのかな明かりを落としている。カウンターにはマスターが立ち、黙々とコーヒーを淹れている。カウンター席の端には、無口な男がいつものように座っている。彼は黒いハンチング帽に古びたコートを羽織り、じっと目の前の珈琲を見つめている。


第一章:訪れる者たち


 ある日、彩音(あやね)が飛び込むようにして喫茶店に駆け込んでくる。「もう、どうしていいか分かんない!」彼女は息を切らしながら言う。手には一通の封筒が握られている。どうやら、家族に関する深刻な問題を抱えているらしい。彩音の隣に座る陽翔(はると)が苦笑しながら言う。「ちょっと落ち着けよ。ここじゃ、叫び声は似合わないだろ」それでも彩音は泣きそうな顔で言う。「落ち着いてなんかいられないよ! 私がどうにかしなきゃ…」静寂が喫茶店を包み込む。マスターが「まあ、珈琲でも飲みなさい」と言ってコーヒーカップを差し出すが、彩音の心は依然として荒れている。無口な男は、ただ黙って座っている。その姿はまるで店の空気と同化しているかのようだ。


第二章:沈黙の言葉


 数日後、喫茶店に凪紗(なぎさ)が訪れる。彼女もまた、心に迷いを抱えていた。「私、誰かに何か言いたい。でも、言葉が見つからないんです」凪紗はマスターに弱々しく語る。だが、その時、無口な男が微かに動いた。彼は珈琲のカップをゆっくりとテーブルに置き、ポケットから古びたメモ帳を取り出す。喫茶店にいる誰もが、彼の動きを見つめる。彼はゆっくりと何かを書きつけ、そして凪紗の前にそのメモを置いた。


『沈黙は時に、何よりも雄弁だ』


 その一言に、凪紗は息を呑む。そして涙がこぼれた。「…ありがとう」彼女はそう呟く。無口な男は何も言わず、ただ再びカウンターに座り直す。


第三章:謎の男


 喫茶店に集う人々は、時折「無口な男」の存在に疑問を抱くようになる。「ねえ、あの人は一体誰なの?」と陽翔が小声でマスターに尋ねる。「さあね。ただの客だよ。だけど、必要な時にはそこにいる」「何だよ、それ…」と陽翔は苦笑するが、その日、彼自身が何かを感じることになる。仕事でミスをし、苛立ちと自己嫌悪を抱えて喫茶店に駆け込んだ陽翔に、無口な男はやはり何も言わない。だが、帰り際にふと目が合った瞬間、彼の目はこう語っていた――。


「お前はまだ立ち止まっていい。だが、立ち止まりすぎるな」


 何も語らない無口な男の存在は、まるで心の奥底に届く静かな響きのようだった。


第四章:静寂の背後


 ある時、街中に「怪人案単多裸亜(あんたんたらあ)」が現れたという噂が広がる。彼の不可解な言動は街に混乱と笑いを巻き起こすが、その日、無口な男が静かに喫茶店を出ていく姿を、彩音が目撃する。「ねえ、マスター。あの人は…」マスターは苦笑しながら言う。「人の心が騒がしい時、静けさを運ぶ者が必要だろう?」「それって…」「答えはないさ。ただ彼は、静寂を見つける男だ」


エピローグ:音のない救い


 ある春の夕暮れ、喫茶店「1.9ℓの魔法びん」の扉が開き、無口な男が入ってくる。カウンターに座り、何も言わずに珈琲を受け取る。店内には他の客の笑い声や小さな会話が飛び交うが、彼の周りには確かな静寂があった。


 彩音はカウンターの向こうから彼を見つめる。彼がいてくれるだけで、この場所は不思議と安心できるのだ。「ねえ、無口な男さん…」そう呟いた時、彼が初めて僅かに口角を上げる。


「お前たちは、もう大丈夫だ」


 その言葉は彼の心の中にだけ響いているのかもしれない。それでも、彼がこの場所にいる限り、「1.9ℓの魔法びん」は誰かの心を救い続けるだろう。



「無口な男」完

 

あとがき


 いくつかの物語を紡ぐと、自然に、独自なキャラクターが生まれるものらしい。無口な男は私にとってとても大切な登場人物だ。いつもは脇役だけど、ちょっと主役に立っていただいた。

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