2025/3/13

楽器を手にすると、音楽はただ聴くものではなくなる。自分の指先から音が生まれ、それが空気を震わせる。その感触が面白くて、いくつもの楽器を試した。叩くと響くもの、擦ると鳴るもの、わずかな息遣いで音が変わるもの。触れるたびに、その楽器が持つ「音のかたち」を知る。
音を鳴らす方法は一つではない。決められた奏法があっても、それをなぞるだけでは物足りない。楽器が生み出す響きを探り、音を「出す」のではなく「引き出す」ような感覚を覚えた。すると、ふと気づく。これは単に音を鳴らすことではなく、自分の内側にある何かを探る行為なのかもしれない。
それは音楽に限らなかった。絵を描くこと、物語を紡ぐこと、それらもまた「自分の中にあるもの」を見つけるための手段だった。けれど、そこにはいつも「独自性」という言葉がついて回る。なぜ人は「自分だけのもの」を求めるのだろう。
誰もやっていないことをすれば、それで独自と言えるのか。それとも、世界の中で「自分はこう感じる」と言えることが独自性なのか。考えれば考えるほど、独自であることと、世界をどう認識するかという問題が重なっていく。
そんなことを考えていた頃、色の見え方が人によって違うことを知った。音の聞こえ方もまた、人によって異なるという。ある人には青く見えるものが、別の人には紫がかって見える。ある人には高く聞こえる音が、別の人には少し低く聞こえているかもしれない。
量子の世界では、観測することで結果が決まるという。もしそうなら、私たちが見ている世界は、私たち自身が観測したものにすぎないのではないか。世界は一つではなく、人の数だけ世界があるのではないか。
楽器を叩けば音が響く。確かにそこにあるはずなのに、それがどんなふうに聞こえているのかは、誰にもわからない。私が鳴らす音と、あなたが聴く音は、本当に同じものなのだろうか。
それでも、音楽は響く。たとえ違って聞こえていたとしても、そこに何かが伝わるのなら、それでいいのかもしれない。
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