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ギター

執筆者の写真: NappleNapple

更新日:2月2日

2025/1/28

 少年だったあの日、エレキギターというものに初めて出会ったとき、胸の奥で小さな火が灯った。テレビの中のスターがジャカジャカと弾くその姿に、憧れが渦を巻く。「これだ、俺もこれがほしい」と思った。けれど、手に入れる術などどこにもなかった。


 そこで彼は、手近にあった厚紙でギターを作った。針金を弦に見立てて張り、小脇に抱えてはジャカジャカと弾く真似をした。それだけで嬉しかった。自分があのテレビの中のスターになった気分だった。だが、紙のギターは脆く、すぐにネックが曲がり、バラバラになってしまった。それでも、何かを奏でるという歓びは、その小さな手の中に確かに生まれていた。


 中学生になったとき、彼の友人が古いギターを「やるよ」と言ってくれた。木目が傷だらけのクラシックギターだった。彼は無邪気にそれを受け取ったが、家に帰ると父が難しい顔をした。「簡単にもらうものじゃない」と。翌日、父は小箱から切手を選び、それを友人に渡すよう彼に言った。子供心にも「物を受け取る」という意味を教わった気がする。


 高校生になると、彼は初めてアルバイトをしてフォークギターを買った。あの時の喜びは、今でも鮮やかだ。ギターの弦を爪弾きながら、サイモンとガーファンクルや陽水、拓郎を歌った。思春期の葛藤も、胸の内の小さな恋も、すべてがギターの音とともに流れ出た。だが、音楽の道に一歩踏み出すほどの技術はない、ただ、弾いて歌うことで、何かが満たされていた。


 次に手に入れたのは、バイオリンベースだった。おばあちゃんがくれたお年玉で購入したその楽器を抱えて、ポール・マッカートニーを気取った。けれど、ベースは簡単ではなかった。音がどうしても彼の思い通りにならない。それでも何度も練習を重ねたが、結局「上手く弾けない」という思いだけが残った。


 社会人になってからも、彼の生活には音楽が寄り添っていた。職場の音楽祭に誘われ、ベースギターを抱えて舞台に立った。練習場へ向かうときには、50ccのバイクにギターをくくりつけて走った。それがミュージシャンぽくって、妙に嬉しかった。技術は相変わらずだったが、「音楽をやっている」という実感が彼を満たしていた。


 いつしか彼の家にはギターが4本も集まっていた。友人から譲られたギターシンセサイザーも加わり、彼は気ままにそれらを弾いていた。だが、結婚を機に、それらのギターをすべて手放すことになった。「場所を取るし、もう使わないでしょう?」という妻の言葉に逆らえなかった。それでも、中学生の頃にもらったあの傷だらけのクラシックギターだけは手放せなかった。


 年月が過ぎ、気づけば半世紀が経っていた。そのギターは今や、オンボロと呼ぶのも憚られるほどだった。フレットはすり減り、タングが指板からはみ出し、ネックは痩せ細り、音を出すたびに指先が痛む。それでも、そのギターには愛着以上のものがあった。


 ある日、彼は「このギターを甦らせよう」と、古びた弦を外し、埃を払い、ネックやボディの汚れを拭き取る。タングのはみ出した部分を目立てヤスリで削るとき、ギターとともに過ごした記憶が流れるように蘇った。高校時代の練習の音、初めてステージに立ったときの震える指、そして何気ない夜の弾き語り。それらが一つの旋律となり、彼の胸を満たしていった。


 耐水ペーパーで表面を整え、キムワイプにオレンジオイルを染み込ませてボディに塗り込む。ほんのり甘い香りが立ち上り、部屋に優しい空気が満ちる。最後に新しい弦を張り、チューニングしたギターを抱えたとき、なんとも言えない気持ちが込み上げた。


 彼は弦を軽く弾いた。その音には半世紀分の人生が刻まれているようだ。ボロンと奏でるたびに、少年の頃の自分と、今の自分が重なり合っていく。音楽とは、ただ音を出すことではない。過ぎ去った日々と、これからの未来をつなぐ、大切な記憶そのものなのだと気づいた。


 彼の中で、ギターはただの楽器ではなく、人生の証そのもののようだった。



 

あとがき


 楽器に愛を、音楽よ来れ。

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