top of page

カホン

執筆者の写真: NappleNapple

2025/2/17

 音に満ちた街がある。朝は鳥のさえずりと風のざわめき、昼は市場の喧騒と靴音、夜は遠くの波の響きと、灯りがともる音さえ聞こえる。時間の流れは曖昧で、音が記憶を刻む場所。



 少年は名前を忘れていた。言葉も失い、何も話せなかった。

ただ、手にしたカホンだけが、彼の思いを音にしてくれる。


 最初は戸惑った。けれど、叩けば響く。それだけで十分だった。

「ダン」と叩くと、胸の奥にあった感情が形になった気がした。

「タン」と軽く触れると、心のどこかに残っていた景色が浮かび上がるようだった。


 街の人々は不思議そうに見つめたが、誰も少年を邪魔しなかった。むしろ、耳を澄ませた。


そして、いつの間にか彼の前に現れる者たちがいた。



 最初に現れたのは無口な男だった。

少年と同じく多くを語らない。だが、彼はカリンバを奏でた。


 透明な音が、少年のカホンのリズムに寄り添う。

カホンの響きが「問い」なら、カリンバの音色は「答え」のようだった。

すると、ふと景色が揺らぎ、少年は何かを思い出しそうになる——しかし、掴めない。



 次に現れたのは、怪人——案単多裸亜(あんたんたらあ)。

「あんたんたらあ!お前の音には、まだ何もない!」

そう言って奇妙に笑う。


「まだ何もない」——それは、無ではなく、無限だった。

「音は思いだ。だが、思いは時に嘘をつく。お前の音はどこへ行く?」

そう言い残し、ふわりと消えた。



 少年は道を歩き続けた。音に導かれるように。


 辿り着いたのは、ワーランブールと呼ばれる場所だった。

そこでは、音が生まれ、失われ、巡るという。


 そこにいたのは、長い管のような楽器を吹く者——ディジュリドゥの奏者だった。

「お前の音を、風に変えよう」

彼の奏でる音は大地の響き。少年のカホンがそれに応える。


その瞬間、少年の記憶が飛翔する。



 そこにモシカモシカがいた。

まるで最初からいたかのように。


 鴨の頭に鹿の角を持つ、奇妙な存在。

彼は何も言わない。ただ、少年の音を聞いていた。


すると、不思議なことが起こった。


 音が形になり、言葉になった。

少年の手は、次第に言葉のリズムを刻み始める。


「——」

気づけば、少年の口から、音がこぼれた。



 言葉を話すのではなく、音で語る。

それがこの街の本当の在り方だったのかもしれない。


少年のカホンは、今日も街のどこかで響いている。



「カホン」了

 

あとがき


 カホンを言葉を話すように叩けるような気がした。そんな思いから生まれた物語。


閲覧数:24回0件のコメント

最新記事

すべて表示
音階

音階

Comments


bottom of page