2025/1/13
夜明け前の暗闇の中、散歩に出かける。
月が綺麗だ。満月は明日だが、もうまんまるい。
冷たい空気に触れながら
いろいろな思いが浮かんでは消えていく。
今日は寒肥をやる日だ。去年もそうだった。
そして現在過去未来についてふと思う。
心というものはなんて面白いのだろう。
不思議な気持ちが静かに胸に広がる。
散歩を終え、家の前を掃き清める。
それから部屋に戻り、温かいコーヒーを淹れる。
先ほど散歩中に浮かんだ思いを、静かに書き留める。
今日も素敵な一日が始まった。
寒肥
今日は寒肥をやる日だ。
母に教わり、それが習慣となった。
植木たちに肥料をやりながら、
『また花を咲かせておくれ』と声をかける。
葉も茎も落とし、根だけになっても、
春になれば新しい芽を出し、花を咲かせる。
その植物の逞しさに、毎年のように驚かされる。
目に見えるものがなくなっても、
再び花を咲かせるという奇跡のような出来事を、
こうして毎年見届けることができる。
それを知って、
この時期の寒肥を欠かさなくなった。
けれど、その奇跡は、
太陽の光と水があってこそ叶うものだ。
日々のささやかな積み重ねがあって、
はじめて奇跡は花開く。
そんな取りとめのないことを思いながら、
植木たちに肥料をやり、
気づけば、自分の心にも肥やしを与えている
そんな気がした。
現在過去未来
かつて、先のことばかり考えていた時期があった。
そのたびに、ふと不安に襲われた。
最近は、未来のことをあまり考えなくなった。
代わりに、ふとした瞬間に過去のことを思い返すようになった。
普段は意識しても思い出せないのに、
懐かしい音楽や匂い、風景に触れると、
記憶がそっと蘇ってくる。
その記憶に身を委ね、ゆっくりと踏み込んでいく。
日記を開いてみると、大したことは書いていない。
天気や時刻、出会った人、やったこと――
そんな些細な断片を読み進めるうちに、
あの頃の記憶が、辛かったことも嬉しかったことも、
鮮やかに甦ってくる。
過去の出来事に浸りながら、また今へと戻ってくる。
そして、今ここにいることが、なんだか幸せに思える。
変わったなと感じることもあれば、
何も変わっていないと思うこともある。
そのすべてが積み重なって、今がある。
それは、まるで奇跡のようだ。
だからこそ、この奇跡のような「今」を、静かに噛み締める。
心
心を捉えることは、実に興味深い。
先日、久しぶりに本屋へ立ち寄ったときのことだ。ふと、こんなふうに思った。
「昔のように書店でときめくことが少なくなった。歳をとったということかもしれない。」
しかし、しばらくして考えが変わった。
「いや、書店に立ち寄るだけで胸が高鳴る感覚は、歳を重ねても変わらない。」
まるで正反対のように見える。だが、不思議とどちらも間違いではない気がする。
どうやら、喜びや悲しみ、怒りといった感情は、互いに独立したものではないらしい。むしろ、それらは同時に、重なり合いながら存在しているのだろう。強弱の差こそあれ、さまざまな思いが同時に心の中に渦巻いている。
悲しみを感じたと思っても、どこか違和感があることがある。それは、そこに微かな喜びが含まれていたのかもしれない。もしかすると、悲しみではなく喜びを選び取った方が、そのときの自分の心には正しかったのかもしれない。
結局、どの感情を選ぶかは、その人自身の選択だ。
そう気づいたとき、辛い思いも、嬉しい思いも、自分で選び取ることができるのだと知る。
それは、ただの誤魔化しかもしれない。あるいは、真実かもしれない。
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