2024/12/29
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私は勝負事が苦手だ。勝ち負けのあることは、やっぱり勝ちたい。ところが大抵の場合負けるのである。それは面白くないわけだ。
だからだろうか、勝ち負けのあるスポーツは全般に苦手だ。興味がない。ましてや自分が参加するわけでもないスポーツを観戦して興ずる気持ちが分からない。その点山登りは性に合っている。
同様にゲームもどうにも勝ち負けにこだわってしまうらしく、嫌いではないがどこか苦手意識がある。勝てば嬉しいが負けると悔しい。ヒリヒリするその感情の起伏を味わうのがどうも苦手のようだ。
有名な選手が「ヒリヒリしたい」といった。なるほど世の中にはヒリヒリしたい人もいるのだ。私自身ヒリヒリしたい気持ちが全くないわけでもないのも確かだ。
ゲームは人を殺したり傷つけたりしないけれど、ゲーム盤上ではいとも容易く奪い合い殺し合う。それを目的に知略を競い合う。ヒリヒリするのだ。それは人間の本性なのかもしれない。
私は、喫茶店「1.9Lの魔法びん」を訪れた。三角屋根、鎧戸のアーチ窓、白熱電球、柱時計、ドライフラワー、洋酒瓶、灰皿など、時が止まったような空間だった。
マスターは私の話をじっと聞いていた。そしてぽつりとこう言った。「勝ち負けだけが答えじゃないさ。」
その言葉に私ははっとした。勝負は勝つ者と負ける者がいる。勝った者は喜び、負けた者は悔しがる、場合によっては命を失う。あまりにも極端な。何故人はそんな極端な事象に惹かれるのだろう。
本性と言って仕舞えばあまりにも簡単だが。そこにはもっと明確な理由があるような気がする。勝つために訓練をし、努力をし、知力を振り絞る。そこには向上心がある。
競い合うということが本質なのかもしれない。競い合いたいのだ。それは一人ではできない、競う相手があって初めて燃え上がる。向上心には好敵手があるといい。
ところが、そこにはとんでもない落とし穴がある。勝負事には必ず敗者が生まれる。どんなに努力して頑張っても、いずれかは負けるのだ。頑張った分敗者は悔しいし情けない。
おや?負けて落ち込んでダメになってしまうこともある。ところが、負けることで多くのことを知るのも事実だ。
人は勝ち負けを繰り返して多くのことを学び成長している。勝つのは嬉しいが負けたくないと勝負を避けることは、成長の機会を失っているのかもしれない。
マスターはコーヒーを差し出しながらこう言った。「負けることで強くなるんだよ。君はそれをもう知っているはずだ。」
やれやれ、そういうことか。内心わかっていたのだ。
「勝負」完
あとがき
私はゲームが好きだ。でも何だか違和感が常にそこにあった。その違和感の正体を突き止めたいと思った。そうして出来上がったのがこの物語だ。
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