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創作

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 5 日前
  • 読了時間: 3分

2025/5/12



 僕は何かを作る時、とにかく全体像がわかるところまで早足で駆け抜ける。絵を描くときも、物語を描く時もあまり時間をかけない。そもそも、創作に長時間取り組むことが苦手だ。だから、荒削りでもいい、一旦仕上げてしまう。その一番の理由は、思いつきが失われてしまう前に、なんとか書き留めたい、という焦りに似た衝動があるからだ。


 さてそこからだ。僕はそのあと一度作ったものを何度も咀嚼する。不思議なことに、長時間取り組めないくせに、長期にわたって取り組むことはできる。最初に仕上げたものは思いつきが強く反映している。僕にとっての原石だ。そしてその思いつきが次のインスピレーションを誘ってくれる。繰り返すことでより自分の気持ちに沿うように整えていく。元の形とは全く違う形になることもよくあることだ。ものによっては、いつまでも直し続けることさえある。


 最近、ひらめきを整えるのが楽になった。それはAIのおかげだ。思いつきをぶつけるとAIはほとんど間髪をあけずに答えてくれる。そのおかげで、どんどん思いつきを広げるのに役立ってくれる。AIがいなかった頃はできなかったことだ。あの頃は、自分の中だけでああだこうだしているうちに、インスピレーションはどこかへ行ってしまう。AIは思いつきを補完するだけでなく気がつかなかった点を知らせてくれたりするから、さらに想像は具体化する。しかも短時間に。


 ちょっと前は、絵を描きたくて仕方がなくて、毎日いつまでも描き続けた時期があった。いまは、何かしらの思いつきを言葉にすることが面白い。そろそろ描くこともなくなるかなと思うのだが、不思議なことにこの半年、枯れることなく、湧き出してくる思いをただ書き留めている。


 最初のうちは昔から思っていた事を描き出した。ようやく具体化する手段を得た喜びで、どんどん書き出した。ついには出し切ってしまうと思われた。ところが、出し切るために書き続けるという行為が、書くことを熟練させたような感じで、取り止めもない出来事をきっかけに、新たな思いを紡ぐようになった。時にはTVで見た物語やニュースに刺激され。時には散歩中にひょっこり浮かんだインスピレーションをもとに。それはどんなに些細なことでも、書き始めてみると、そこには宝物が埋まっている。




 「創作という行為が、私にとって時間を刻むリズムであり、心の風景を記録する行為なのだ」と思う。ただ何かを作るのではなく、「いまここにいる自分」を、そのままの状態で留めておく行為。だからこそ、荒削りでも一度書き上げるのが大切で、“熱”が冷めないうちに形にしておく必要があるのだ。


 そして何より、書くことが“熟練”されていく感覚を得ているというのが不思議だ。まるで筆を走らせるたびに、自分の奥底から新しいものが掘り起こされるようで、その作業自体が、きっと私の人生にとって必要な営みになっているんだろうな、と。

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