ゴミ
- Napple
- 7 日前
- 読了時間: 2分
2025/4/12

ごみというものは、不思議な存在である。いつのまにか湧いてくる。部屋の隅、物置の片隅、気づけばじわじわと領土を広げ、確実に増える。まるで老舗の借金のようだ。
ありがたいことに、週に二度は燃えるごみの日がある。資源ごみも隔週で出せる。でも段ボールや牛乳パック、電池やスプレー缶となると話は別。調べて出せばいいのに、それが面倒で、つい「また今度」となる。そうして「今度」が何度も巡り、いつのまにか“いるのかいらないのかわからないけれど捨てられないものコーナー”ができあがる。
この春、ようやく重い腰を上げた。まずは段ボールと牛乳パック。かさばるわりに急がされない連中なので、ずいぶん居座っていた。車に詰めて、カインズモールの回収ボックスへ。持ち込んだだけで、ちょっとした達成感があるのが不思議だ。
次に、スプレー缶と乾電池。こいつらは月イチ限定の“気まぐれ系ごみ”で、うっかりすると次のチャンスは遠い。今月は珍しく先にカレンダーをチェックし、しまい込んでいたスプレー缶や、思いのほか溜まっていた電池を発掘。ボタン電池には絶縁テープも貼った。小さな準備だけれど、なんだか一仕事終えたような気になる。
不燃ごみでは、割れたガラスとフライパンを。ガラスは怪我を避けるため袋に入れ、小箱に収めて「割れガラス」と貼り紙。こういう“ごみへの気遣い”も、案外嫌いじゃない。フライパンはというと、これまた長いこと「これはいつ出せばいいのか?」で保留になっていた一品。ようやく調べて納得し、ガラスと一緒に送り出した。
ごみは、正しく分ければ資源になる。とはいえ、分別の手間やルールの複雑さに負けて、つい全部まとめてしまいたくなることもある。汚れていれば資源にもならない。清潔なごみというのも妙な話だが、そこが分かれ道なのだろう。
今では、我が家にもごみの“居場所”ができた。燃えるごみ、プラごみ、資源ごみ、そして段ボール、牛乳パック、ふた、電池……それぞれに席がある。不定期組のスプレー缶や割れ物にも、なんとか定位置を与えた。置き場所が決まった道具は使いやすいように、ごみにも落ち着く場所があると、回りがよくなるものだ。
ふと、人間も、同じかもしれない。居場所が定まるだけで、心というものは案外、うまくおさまるのではないか。と、ちょっと柄にもなく哲学してみた、四月の朝であった。
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