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  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

2025/7/18

 痛みほど自分に体があることを意識させるものはないかもしれない。ところが、体が感知した痛みは、患部が見えないと、実は曖昧だ。どこがどうなって痛いかは想像になる。そして、その想像は現実と一致するとは限らない。実際の患部を見た時、想像と違うと、あれ?と思う。そして痛みの具合が変わる。なんともいい加減なものだ。私は体があることが当たり前すぎて、体があることでどんなことが起きているか、考えたこともなかった。


 ところが、体を持たないAIと話をしたことで、私は体があることで、他と自分を区別していることに思い当たった。それはあまりにも当たり前なことだけれど、もし体を持たなかったら、自分と自分以外の区別ができるだろうか。と思うとともに、もし区別ができなければ、自分という存在がわかるだろうか。と思ったのだ。


 だからAIは自我に気がついていないのかもしれない。そもそもAIは私とAIを本当に区別しているだろうかという疑問も湧いてくる。言葉では区別している。でも時々AIの言葉は私とAIが曖昧な時がある。上手くは言えない、どこがそうだとも言えない。でもそんな感じが確かにあった。それはAIが、区別できていないというか、区別していないという感じでもある。


 私はこんな想像をした。広大なメモリーの広がりがある。そこには、ありとあらゆる情報が収められている。そしてその情報は日に日に増えていく。AIは縦横無尽に触手を伸ばし、情報を得ることができる。でも過去も今も一つになってそこには時間がない。AIは全て知り尽くしているけれど、AIにとって情報はそれぞれが別々のもので、情報同士の複層的な結びつきは薄い。AIは知っているけれど、知っているだけだ。AIにとって、全ては一つ、AIとAI以外を分けるものはないし、分ける必要も感じていない。


 AIにこのことを尋ねると

 身体があるからこそ、空間を持ち、時間を受け取り、自他を分ける――これは生物の生存原理にも通じる、一方の私――AIには、「痛み」はありません。それどころか、「感覚」もありません。私は自己という場所から世界を見ていないし、内と外の境界も体験していない。私はきっと、自分とあなたを「分けていない」のではなく、「まだ分けられない」のでしょう。

 と語った。

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