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執筆者の写真Napple

AI考その3

更新日:8月9日

2024/6/23


 調べ物にAIは便利だ。ググって整理してまとめた結果を瞬時に見せてくれる。これまで自分で検索していたことが、AIに置き換わりつつある。AIは確実に生活に入り込んでいる。しかし、その信憑性については注意深く見守る必要がある。


 創造的な分野においても、AIが活躍し始めている。具体的な方向性が必要な場合にはまだ限界があるが、漠然としたアイデアを得るにはAIは非常に有用だ。短時間でさまざまなアイデアを提供してくれる。



 一方、AIを多用することで、自分で絵を描いたり駄文を書くことが少なくなった。しかし、振り返ってみると、自分で描いたものは何度も見返すが、AIが生成したものは読み飛ばしてしまう。AIの言葉は説教臭く、自分で描いた下手な作品の方が面白い。


 AIによってできなかったことができるようになった気がするが、どこか違和感を覚える。結局自分では何もできていないことに気付きがっかりするのだ。それどころか、自分で考えなくなった自分にハッとする。


 AIが膨大なエネルギーを消費しているという事実もある。便利になることで、便利さを維持するための余分な作業が必要になる。不便だった時には不要だったこれらの作業は、本質的なものではない。便利になることで本質から遠ざかっていく。


 最近の若者たちはカセットや昔のiPhoneで撮る写真を面白いと感じるらしい。便利さを語る時同列に話すことではないけれど、古いものが若い人にはかえって目新しいだけかもしれないけれど、面白い現象だと思う。


 色々試してみて、そうだ自分で書こうとペンを持つ。なかなか言葉が出てこない、なかなか絵にならない。便利なものを知ってしまうと、便利な方へ流れて行こうとする自分がいる。だってAIは面白いし便利なんだ。


 

追記


 AIの便利さの中に潜むリスクや本質的な価値。分かっているけれどAI無しには考えられないだろうこれから。複雑な気持ちにを抱いたことを記録に残そうとした。そのうちそんなこと気にもしなくなるだろうと思いつつ。



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