2018年3月21日
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真空管アンプの電源を入れるのが楽しみだ。電源を切るときちょっと切ない。
真空管アンプの音に聞きなれると、今まで満足していたはずの車での音が、物足りなく感じる。車はBluetoothでiPhoneと接続されているので、若干音の劣化があるのかもしれない。特に低音の響きが違う。
6Wといたってパワーの小さなシステムだが、狭い空間で聞くため、十分な出力を得ている。現在アンプのボリュームは9時、10時を超えると大きすぎる感がある。チルアウト・ジャズとエレクトロなクラシックをよく聞くようになった。ジャズとクラシックの境目は無くなってしまったようだ。メローなピアノが心地いい。
自分にとって、定位はさほど重要ではない。気持ちよさは音像にあるようだ。音が溢れてきて周辺を包み込んでいく。その空間が気持ちいい。演奏者の位置関係などはさして重要に感じない。豊かに広がる音が気持ちいい。このシステムは適当なところで聞いても、豊かな音像が溢れてくる。ロフトから1階へ階段を下りながら、音像の変化を楽しむことができる。1階では降ってくる音を楽しむことができる。
良い音を人と共有することは果たしてできるのだろうか。主観的な好み。経験からくる思い込み。体験からくる個々の感性。それらは、同じ時を多く過ごすほどに、共通項を増やすかもしれないけれど、一致するとは限らない。良い音と感じるものは人それぞれ。そもそも同じ音を聞いているのかさえ疑わしい。
スマートスピーカーなどの登場でより身近で音楽が楽しめるようになってきた。気持ち良い音の空間を作り出してくれる。ここに至って、ステレオサウンドにこだわる必要は無くなってきた感じがする。
そもそも、自然界においてステレオなどはない。様々な位置の音源から発生する音の空間があるだけだ。左右の耳があるおかげで音の方向を感知することができる我々が、これを擬似的に再現しようとした一つの方式がステレオサウンドだ。