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執筆者の写真napple

伊藤若冲

2023/3/2


 伊藤若冲を知ったのは最近だ。だからまだ彼の凄さがよくわからない。展覧会で実物を見ている可能性もあるが、記憶に残っていない。

 友人が若冲の一筆箋をくれた。「玄圃瑤華」という白黒の作品である。真っ黒な背景に白一色で描かれた絵は石摺と呼ばれる版画で、拓本と同じ方法でつくることから拓版画と呼ばれている。「玄圃瑤華」は構図が面白い。画面の切り取り方もさることながら、は葉っぱが虫食いだったりするあたりがいい感じを出してる。本来この白黒の対照が良いのだろうが、あろうことか、これに着色をするという暴挙をやってしまった。それは、なぜか白黒で模写したところ、本来の良さが失せてしまった気がしたのだ。

2016/7/10 伊藤若冲の玄圃瑤華「藤」模写

 友人に一筆箋をいただいた、母と「白地の紙に墨で描いたものだろうか、それとも黒字の紙に白い絵の具で描いたものだろうか」と不思議がる。拓版画というものであることを知りなるほどと思った。単純に模写したところ全然線が違う、ごまかすように着色する。友人に若冲が台無しだと叱られそうだが、あと一、二枚模写してみたいと思っている。作画意欲を燃やす燃料を補給してくれた友人に感謝。

2016/7/11 伊藤若冲の玄圃瑤「冬葵」模写

 若冲の模写を行いながら、不謹慎な思いにとらわれる。それは、自虐的な感覚で、破壊する楽しみとでもいうか、一線一線引きながら、「ああ〜違う、違う」と感じながら線を引き、絵を描いてゆく。絵を描くという行為は、創造的な行為だと思っていたが、実は破壊を伴う行為なのかもしれない。

2016/7/12 伊藤若冲の玄圃瑤華「大根」模写

 日曜美術館にて吉田博の版画を見た、その素晴らしさに驚き、気がついた。版画の手法がレイヤー分けした作画に似ていると思っていたが、肝心なところが違うのだ。今までの私のレイヤーは不透明レイヤーの積み重ねだった。版画は透明色のレイヤーを積み重ねることで、色の深みがうまれるということだった。奇しくも最近水彩をレイヤー分けして描いていたことで気がついた。つまり同じように透明色のレイヤーを重ねて深みを出すことができるのだ。吉田博の版画で到達した、水や空気の表現に強く惹かれる、川瀬巴水の版画を見たときの驚きを凌駕している。実物を見たいと切に思う。そう思いつつ、今回の若冲は油彩にした。「冬葵」は水彩で彩色したレイヤーを重ねていたのだが、何の深みも出せなかったからだ。見聞きしたことをすぐに試せば良いのに、寄り道をしてしまう。しばし腹の中で熟成する時間が必要なようだ。

 

 若冲をイメージした絵。

2016/5/4 先日歩いた金谷宿の川原では小さな鯉のぼりが、沢山川をまたいで泳いでいた。最近は大きな鯉のぼりを見かけない。伊藤若冲が描いた紅葉は、表と裏から彩色が施されていた。コンピューターは裏から描くことはできないが、不透明度を調整してレイヤーを重ねることで、彼が意図したような効果が得られないかしらと・・・。



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