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執筆者の写真napple

ウルトラQ

更新日:5月26日

2022/2/2


 1966年正月2日、祖父の家で従兄弟たちと「ウルトラQ」を見た。あの日、日本中の子供たちが怪獣の虜になったに違いない。半世紀の時を経てNHKの4Kリマスター版を堪能し感じる事多し。そこで怪獣の絵を描いたり、調べたり、思い出したりして妄想に浸る。

 制作当初は、アメリカのテレビドラマ「アウター・リミッツ」や「トワイライトゾーン」を意識した怪奇現象中心のドラマを作ろうとしていたらしい。ところが怪獣中心のドラマに変わってゆく。

制作スタッフ

脚本 金城哲夫 ほか 監督 円谷一 ほか 出演者 佐原健二、西條康彦、桜井浩子 ほか ナレーター 石坂浩二 オープニング 作曲:宮内國郎 制作 円谷プロダクション、TBS 放送期間 1966年1月2日 - 7月3日 放送時間 日曜 19:00 - 19:30 放送枠 タケダアワー 怪獣デザイン 井上泰幸、成田亨 ほか 着ぐるみ制作 高山良策、開米栄三、エキス・プロダクション ほか


 

第1話「ゴメスを倒せ!」

 記念すべき第一話は二大怪獣の戦いだった。てっきりこれから毎週怪獣の戦いが見られるのだと思い込みワクワクした。ところが怪獣同士の戦いは第一話だけ、怪獣が登場しない回はガッカリした。これは大勢の子供たちの思いだったに違いない。そんな声がテレビ局を動かし、怪獣中心へと圧力が高まり、ついに毎週怪獣と戦う「ウルトラマン」誕生となったのじゃないかと思う。

 東海弾丸道路・第三工区の地底から出現した「ゴメス」は新生代第3期に生息していた肉食性の原始哺乳類で変温動物だという。なんともめちゃくちゃな設定だ。準備稿では四足歩行だったが、「モスラ対ゴジラ」の「ゴジラ」を流用して作られたため二足歩行になったという。道理で「ゴメス」が「角付きゴジラ」に見えたはずだ。その後「ウルトラマン」の「ジラース」に改造され「襟巻きゴジラ」になる。

 「リトラ」は鳥類と爬虫類の中間生物で「シトロネラ酸」という強酸性の液体を吐いて「ゴメス」を倒し、折り重なるように倒れて目を閉じる。死んでしまったらしい。子供ながらやるせなかった。後に自分が吐いた液体で呼吸器が溶解して死んでしまったことを知る。制作側にしてみれば両者共倒れが後腐れないということだろう。液体を吐いたというより光線を吐いたように見えたし、子供の時はなぜ「リトラ」が倒れたのか分からなかった。さて「リトラ」は「ラドン」をもとに尻尾に孔雀の羽を使って作られた。つまり第一話は「ゴジラ」と「ラドン」の共演だったわけだ。豪華なはずだ。その後「リトラ」は「ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘」の「大コンドル」に改造される。


 

第2話「吾郎とゴロー」

 1話目が「ゴジラ」と「ラドン」と来れば、次が「キングコング」なのは至極当然な成り行きかもしれない。しかし1話目がてんこ盛りだっただけに、2話目はあっけない。「ゴロー」を眠らせて終わってしまった。

 「ゴロー」は「クモザル」が旧日本軍の体力増強剤「青葉くるみ」を大量に食べ巨大化したとされている。当時の物語は第二次世界大戦の影が色濃く漂っている。「海底軍艦」も「フランケンシュタイン」の心臓も戦時中の産物だった。「ゴロー」は「キングコング対ゴジラ」のキングコングを改造して作られ、その後「キングコングの逆襲」に使用される。


 

第3話「宇宙からの贈りもの」

 宇宙からやってきた怪獣は光る目の大ナメクジだった。宇宙怪獣の出現と、それがナメクジだったことが強烈で、ナメクジを見ると「ナメゴンだ」とつぶやく癖がついてしまった。2話目で落胆していたから、こういうのが見たかったんだと大いに喜んだ。終わり方も奮っている。庭で巨大化する「ナメゴン」を見て「一ノ谷博士」が”塩水を用意しなさい”と言って終わるのだ。「ナメゴン」は塩水で撃退できるとひと安心、そこへ”次に火星から送られてくる怪獣は、海水を飲んでますます巨大になり、強靭になる恐るべき怪物に違いない”とナレーションが追い打ちをかけ、人類が常に正しいとは限らないと警鐘を鳴らす。

 「ゴジラ」「ラドン」「キングコング」とくれば次は「モスラ」だろう、確かに「ナメゴン」は「モスラの幼虫」が流用されている。しかし「ナメゴン」は「モスラの幼虫」とは似ても似つかぬ姿で、「ウルトラQ」オリジナルの怪獣が誕生した記念すべき回となった。


 

第4話「マンモスフラワー」

 毎回どんな怪獣が現れるのだろうとドキドキしていると、うねる根っこがあらわれた。今度はなんと植物だった。巨大な花が都会の空を覆い尽くすとんでもない映像は、しばし戸惑いとともに記憶の海を彷徨い、その後の「バルンガ」と合体して脳裏に刻まれる。道端で木の根が飛び出していると、ふと「マンモスフラワー」が現れるのではないか、何か異様なものが空を覆うのではないかと期待するようになった。

 劇中では「マンモスフラワー」と呼ばれ「ジュラン」とは一度も呼ばれていないし、資料を見るまで「ジュラン」という名前があることを知らなかった。やっぱりこいつは「マンモスフラワー」がしっくり来る。


 

第5話「ペギラが来た!」第14話「東京氷河期」

 南極というだけでもう気分はアンバランスゾーンへ飛び込み、新怪獣の登場に狂気した。吹雪の中に光る眠そうな目がたまらない。冷凍光線もすごいが、反重力現象はカッコ良すぎる。「ペギミンH」で迎撃され黒煙を吐いて飛び去ると安堵とともに笑いが漏れた。シリーズは期待通りの盛り上がりを見せこんな凄い怪獣を登場させてくれたことに感謝した。2度目に登場した時は旧友にあったみたいで嬉しかった。しかも「東京氷河期」とはなんとかっこいいタイトルだろう。

 「ペギラ」は核実験の放射能の影響でペンギンが突然変異したとされているが、顔はアザラシに似ており頭から角が生えていて、ペンギンが母体とは思えない。後に「チャンドラー」に改造され、「ペギラ」が兄「チャンドラー」が弟と言われたらしい。


 

第6話「育てよ!カメ」

 先週のカッコよさに比べ、今回の子供っぽい導入に戸惑う。ところがどっこい話が進むうちに妙にシュールな展開に唖然となり、ついについてゆけなくなった。

 「ガメラ」の登場かと思ったが「ガメロン」は浦島太郎少年が育て巨大化した銭亀である。劇中に「ガメロン」という呼称は登場せず、名前を知らなかった。どういう構造なのかよくわからないが、甲羅内にウインカーやスピードメーターが存在する。そもそも巨大化した理由もはっきりしない。

 唐突にミサイルに乗った少女が現れ、乗っていたミサイルがなぜか「竜」に変身する。「竜」は「海底軍艦」に登場した「マンダ」がそのまま流用された。「ガメラもどき」と「竜」の登場は喜ばしいが物語はちんぷんかんぷん。竜に乗った少女が乙姫だというのだが、どうも浦島少年が見た夢だったということらしい。でもそれも定かではない。


 

第7話「SOS富士山」

 岩山がパチっとつぶらな目を開く。石が怪獣になるという発想に驚いた。この日以来、石だって生きているのかもしれないと思うようになった。後に見る「怪獣王子」は野生児タケルが怪獣に飛び乗って戦うシーンとイメージがダブった。また旅行で「樹海」を訪れた時は、はぐれて迷い込み野生児になってしまうことを恐れた。

 「ゴルゴス」は古代に宇宙から降ってきた巨大岩石が、一旦爆破粉砕された後に寄り集まって誕生した怪獣である。破壊されても中心核が生きていれば破片が再び集まって蘇生する。一見手強そうだが中心核を壊せばやっつけられる。という事でなんとこの怪獣は人力で倒してしまった。岩が湖底から浮かび上がり空を飛ぶシーンにも驚いた。なんで岩が浮いて飛ぶの?実はあまり岩という感じがしなくて芋虫みたいだった。


 

第8話「甘い蜜の恐怖」

 小さなモグラも巨大化すると戦車もかなわない迫力のある怪獣になる。地中から巨大なモグラが登場するシーンは圧巻だった。子供時代モグラを見かけると「モングラー」だと指をさした。そういえばあの頃は頻繁にモグラを見かけ、特別な動物という感覚はなかったけれど最近はとんと見ない。彼らは今も身近な土中で生活しているのだろうか。

 「モングラー」はモグラが特殊肥料「ハニーゼリオン」の影響で巨大化した。劇中では「大モグラ」と呼ばれ「モングラー」の呼称は出てこない。ストーリーは怪獣ものというよりも、当時のアメリカ映画に多かった巨大生物ものを意識していたらしい。


 

第9話「クモ男爵」

 「ウルトラQ」は毎回のように違うイメージを打ち出した。今回は洋画を見るような印象で夜の闇にうごめく恐怖を描いた。巨大な蜘蛛が主人公で怪獣は出てこない。暗闇に近づいてくる蜘蛛は恐ろしく、蜘蛛を見ると「タランチュラ」と叫ぶのだ。でもこうした巨大生物が登場する物語は、怪獣を知ってしまった子供には物足りなかった。

 90年前クモ愛好家の男爵と、彼が欧州から持ち帰った毒蜘蛛「タランチュラ」に刺されて命を落とした愛娘が、それぞれ「タランチュラ」に変貌したらしい。人間に戻りたい一心で人間を襲うというのだが、なぜあんなに巨大化したんだろう。最初は人間体の「クモ男爵」が計画されていたようだ。その後「怪獣島の決戦ゴジラの息子」で「クモンガ」というクモ型怪獣が登場するがこの「タランチュラ」とは別物らしい。


 

第10話「地底特急西へ」

 またしても子供っぽい演出に辟易とする。「地底特急いなずま号」の登場で機嫌を直していると突然不細工な怪獣?が現れる。気がつくとシュールな展開についてゆけなくなる。人工生命「M1」は不細工なくせに妙に心惹かれた。特撮に登場する「キングコング」とか「M1」のようなゴリラ系の怪物って、どうしてこんなに不細工なんだろう。

 竹書房の「ウルトラマンベストブック」60頁には、MはMan Made=マンメイド(人工的に創造された人類)の略として、「Man Made-01」あるいは「マンメイド1号」の名称が記述されている。彼は「さすらいのM1号」「続・さすらいのM1号」「新・さすらいのM1号」「M1号はつらいよ」「帰ってきたさすらいのM1号」「さすらいのM1号情熱編」「さすらいのM1号完結編」「名探偵M1号」と大活躍している。


 

第11話「バルンガ」

 シリアスなストーリーと大空に広がる「バルンガ」の映像は長く記憶に焼き付いた。それは「マンモスフラワー」とごっちゃになって都会の空を覆い尽くすとんでもない異物のイメージとなって幼心に刷り込まれた。大きくなってから再度物語を見た時、記憶とずいぶん違っていて驚いた。ほかの物語もいくつもの物語が合体融合して記憶されている。

 「バルンガ」は触手の生えた風船状の宇宙生命体で土星ロケットがつれてきてしまった。宇宙からやってきた生命体「ナメゴン」「ゴルゴス」「バルンガ」は誤って連れてきた的な現れ方だった。ところが後半に登場する「ガラモン」「セミ人間」「キール星人」「ボスタング」は、明らかに宇宙からの侵略者としてやってくる。人類の見方は「ルパーツ星人」のみであった。


 

第12話「鳥を見た」

 小さな文鳥が空腹になると巨大化するというのは子供ながら変だと思ったし、怪獣らしい怪獣が出てこないことが不満だった。

 突風による破壊シーンは「空の大怪獣ラドン」からの流用である。「三大怪獣地球最大の決闘」の「ラドン」を改造して「ランゲユウス」を作り、その後「リトラ」に改造したらしい。つまり撮影は「鳥を見た」の方が「ゴメスを倒せ!」より先に行われていたわけだ。


 怪獣は毎回だいたい撃退されるのだが、撃退されない怪獣もいる。話数が進むほど、そういった怪獣のことや、破壊された街のことが気になる。あの怪獣はどうしているのだろう、壊された街はいつ治されたのだろう・・・と。

 製作者は撮り溜めた物語を、どんな順で見せるかずいぶん思案したことだろう。シリーズを印象付ける1話目は「鳥を見た」より「ゴメスを倒せ!」の方がはるかにインパクトがあり、子供の心を掴む。また生き残った怪獣のその後や、壊れた街の復興を気にしていては話が進まないし煩雑になってしまう。でも見る方は気になる。見る順番が違っていたら、感じ方が変わっていたはずだ。


 

第13話「ガラダマ」第16話「ガラモンの逆襲」

 出ましたー!!、ついにとんでもない怪獣がやってきた。よくぞこんなデザインを考えたものだ。しかもロボットだという。ダムを破壊するシーンは何度見てもかっこいい。それにロボットのくせにヨダレを垂らす。おぞましいのに可愛い怪獣。「ゴジラ」の次に好きな怪獣である。「ペギラ」と共にシリーズ中2回登場するあたり人気があった所以だろう。

 「ガラモン」は宇宙怪人「セミ人間」によって作られたロボット怪獣である。「チルソナイト」という未知の物質で作られた電子頭脳から誘導電波で操られるのだが、石の塊が電子頭脳だというのはなんとも驚きだった。「ガラモンの逆襲」では二体登場し胸元に識別マークが描かれ、これがまた洒落ていた。「ガラモン」は「ガラダマモンスター」の略で、顔のイメージはカサゴである。後に「ウルトラマン」の第8話「怪獣無法地帯」に「ピグモン」という姿形は同じだが随分小さくなった「友好珍獣」が登場する。「ピグモン」は「ガラモン」に似ているが他人の空似だそうだ。


 

第15話「カネゴンの繭」

 この日「ウルトラQ」はまたしてもとんでもない作品を発表した。ある日突然コイン怪獣「カネゴン」に変身した少年と、異形の存在を許容する人々が当たり前のように描かれる。オリジナルキャストの「ゆりちゃん」たちが登場しないため突然別の話が始まったようにも感じた。子供っぽい展開だがとんでもなくシュールな映像。苦労して元の子供に戻ると家族がカネゴンになっていたというショッキングなオチ。「カネゴン」の造形も素晴らしく、可愛らしく、おぞましい。子供心にお金への執着心が湧くと「カネゴン」になっちゃわないか心配した。

 頭にあるトゲトゲは相手に馬鹿にされないために強く見せかけるためのものだという。等身大の「カネゴン」が都会の人ごみの中を歩くシーンが面白いということで、「快獣ブースカ」が誕生した。


 

第16話「ガラモンの逆襲」

 「カネゴン」にカルチャーショックを感じ、どこかへ行ってしまった物語に戸惑っていたところ、再度「ガラモン」が登場して狂喜した。怖いけどなぜか「カネゴン」より安心して見ることができる。「ゆりちゃん」たちも登場して物語が戻ってきたと安心した。「ガラモン」は怪獣らしく街を破壊しまくる。”いいぞー!!東京タワーなんか壊しちゃえ”。街が破壊されるシーンを見たくて仕方がない。そのくせ「セミ人間」は悪者のはずなのに燃えてしまう姿が可哀想なのだ。

 「セミ人間」は「チルソニア遊星」から地球侵略にやってきた「チルソニア遊星人」で、ロボット怪獣「ガラモン」を操る黒幕である。「蝋人形のような白い顔は中性的で、人間離れしたゾクっとするほどの美人」とあり、イメージキャストは「美輪明宏」だったらしい。実際に演じたのは、新劇の役者「義那道夫(ぎなみちお)」でイメージ通りだった。「セミ人間」の頭部マスクの造形は素晴らしく、後に「バルタン星人」に改造される。


 

第17話「1/8計画」

 「ガラモン」に破壊された東京は1週間で復興を遂げたようだ。人々は何事もなかったように暮らし、今回は怪獣サイズの人間が街を彷徨うが、怪獣は出てこない。物語は「ゆりちゃん」が小人になったまま終わり、翌週小さくなったことなどなかったように普通の「ゆりちゃん」が登場したので、子供ながら「おいおい、どうなってんだ」と思った。

 「1/8計画」とは人口増加対策の一つとして、衣食住全てが安く上がる1/8サイズに縮小された人間が、「S13地区」と呼ばれる1/8に作られた町で生活するというもの。「S13地区」の人間は仕事や税金を免除されるが、名前の代わりに市民番号が付けられ、通常の世界から厳重に隔離される。実は、全ては駅の人混みの中で転倒して気を失った「ゆりちゃん」が見た夢だったということなのだが。幼かったため、夢オチということが分からなかったようだ。だからなんだか腑に落ちないまま翌週を迎えることになったのだろう。


 

第18話「虹の卵」

 先週の結末が気になって、小さくなったはずの「ゆりちゃん」のことばかり考えながら見ていた。「ウルトラQ」は一話完結の物語で、ほとんど繋がりはないのだが、子供にはつながっているはずだという思い込みがあって、毎回のドラマを先週の続きとして見ていた。ところが物語は先週のことには一切触れずに「ゆりちゃん」は元の大きさで登場して、今週の事件と立ち向かっている。物語の半ばでようやくその事実に降参して、本来の事件に気持ちを向ける。子供の頃はこんなことがよくあった。なんだかんだと難癖をつけ抵抗するのだが、結局物語に脳は支配され、今でも竹の花を見ると不安になり、虹を見ると綺麗だと思いつつ不穏な感情が顔を出す。

 「パゴス」は1950年に北京郊外に出現した原始動物で、「ネオニュートロン液」を搭載したミサイルを撃ち込まれ粉砕された。本編は4種類の台本が確認されており、第1、2稿では「ゴメス」が登場することになっていた。ところが「ゴメス」のスーツが返却され「ゴジラ」に戻されていたため、「フランケンシュタイン対地底怪獣」の「バラゴン」が改造され「パゴス」になった。その後「ネロンガ」→「マグラー」→「ガボラ」と改造される。「ゴメス」は本来「ゴジラ」より「バラゴン」と同族の四足歩行獣だったのだ。


 

第19話「2020年の挑戦」

 突然人が消えてゆく。とんでもないことが起きている。まさにアンバランスゾーンが大きな口を開けて飲み込もうとしている。そして奇妙な「ケムール人」との戦いが始まった。ストーリーとしても映像としてもシリーズで1番好きな作品である。「ケムール人」のデザイン、生態は群を抜いて突飛だったし”フォッフォッフォッ”と不気味に走る姿は強烈だ。2020年「ケムール人」は現れなかったが人類は新型コロナに襲われた。

 「ケムール人」は人類の未来の姿であるとも言われるが定かではない。「神田博士」の発明した「Kミニオード」から発生する「Xチャンネル光波」を東京タワーから浴びせられ悶絶、頭頂部の管から鼻水のように滴る「消去エネルギー源」を浴びて消滅してしまった。「成田亨」は「ケムール人」と「ラゴン」を演じた「古谷」のプロポーションに惚れ込み「ウルトラマン」のデザインを着想したという。声は「怪物マタンゴ」「バルタン星人」と同じである。頭部は「ゼットン星人」に流用された。


 

第20話「海底原人ラゴン」

 闇に光る目、突き出された両手、窓の外に現れた異形の半魚人。”ギヤーッ”。恐怖映画の「ミイラ男」を思い出した。怖かった。でも赤ん坊を返すと静かに去ってゆく「ラゴン」は我々と同族のような気がした。そして、沈みゆく島。物語には深みと余韻があった。シリーズで2番目に好きな作品である。

 1973年「小松左京」が「日本沈没」を発表するはるか前に「石井博士」が大規模な地殻変動により日本列島のほとんどが海面下に没するという学説を発表していた。時を同じくして2億年前に地球を支配していた爬虫類から進化した海底原人「ラゴン」が現れる。制作側は物語が「大アマゾンの半魚人」にならないよう「フランケンシュタイン」を意識したホラーに日本的な母子のメロドラマを加味したそうだが、原人の登場と日本沈没という壮大な物語は見応えがあった。鳴き声は「キングコング」や「バラゴン」を加工している。かくしてシリーズは絶好調であった。


 

第21話「宇宙指令M774」

 エイのような何かが遠くで跳ねる。よく見えない。大きいのか小さいのかもわからない。怪獣の姿も攻撃してきた宇宙人や危険を知らせる宇宙人の姿もわからないまま物語は終わる。最後に「あなたの隣の方、その人も宇宙人かもしれませんよ」というナレーションにハッとする。この物語は「三大怪獣地球最大の決戦」で金星人が「キングギドラ」の襲来を予言するプロットに似ている。それにしても怪獣の姿も宇宙人の姿もよくわからんまま物語を終わらせるとは大胆な構成だ。やっぱり、怪獣の姿はしっかり見たい。

 破壊活動のために「ボスタング」を送り込んだのが「キール星人」。このことを人類に告げようとするのが「ルパーツ星人」である。「ボスタング」は「キール星」の言葉で「不滅の生命」を意味し、ウルトラQ未使用のシナリオ「Oil S•O•S」に登場予定だった「怪獣クラプトン」を改造している。「キール星人」はあらゆる情報が一切不明な謎の宇宙人で姿も現わさない。「ルパーツ星人」は地球人と同じ姿をしていた。お金をかけずに壮大な物語に取り組んだ、その証にタイトルが凝っている。


 

第22話「変身」

 恋人たちの物語が登場した。残念ながら子供には、好いた惚れたは、なんだかバツが悪い。ただただ「巨人」になってしまうという蝶々の鱗粉が怖かった。そして人が巨大化しただけの映像は物足りないのであった。

 「モルフォ蝶」の猛毒性の鱗粉を浴び巨人に変身した青年は「一ノ谷博士」の開発した「熱原子X線」を浴びて人間に戻る。この兵器は「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」に登場する「メーサー殺獣光線」のようだ。そして巨人となった青年が山間に現れるシーンは「サンダ対ガイラ」を見ているようだった。


 

第23話「南海の怒り」

 怪獣映画にはよく「大ダコ」が登場した。でもタコだけということはなかった。今回は「キングコング」や「ゴジラ」の登場を予感しながら「キングコング」も「ゴジラ」も登場しない。「海底原人ラゴン」が素晴らしかったから、それ以降登場する怪獣たちの怪獣感の低迷を嘆いた。

 「スダール」の由来は酢蛸である。「フランケンシュタイン対地底怪獣」で製作された「大ダコ」が流用され、島民が「スダール」と戦うシーンは「キングコング対ゴジラ」の映像を流用していた。返却後「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」で使用される。


 

第24話「ゴーガの像」

 今回はスパイ映画のようで面白い。「ゴーガ」は「ナメゴン」を思い出さずにはいられない怪獣である。今見ればずいぶん違うのだが、子供時代は簡単に見比べたりできないから、ヌメヌメして目がウニュウニュする姿は殻を背負った「ナメゴン」に見えた。しばらくサザエのことを「ゴーガ」と呼び、仏像を見ると怪獣が潜んでいるのではないかと疑った。

 「ゴーガ」はサザエの殻のような貝殻とカタツムリのような体を持つ怪獣で、目から溶解液を発して人間を溶かし、貝殻の後尾をドリルのように回転させ、地中を移動する。資料には溶解液とあるのだが、目から発射されるのは光線に見える。


 

第25話「悪魔ッ子」

 これはまた今までとは随分毛色が違う。怪獣は出てこず、幽体離脱した少女の物語は、個人的にはウルトラQの記憶から欠落してしいて、その後誕生した「怪奇大作戦」的物語だ。

 「悪魔ッ子」は電気信号であるシナプスがプラズマ現象に似た作用で実体化し、「リリー」本人の意思とは関係なく彷徨うようになり殺人を犯し、自らの肉体も抹殺しようとした。危ういところを「一ノ谷博士」の開発した「人体電気操作機・超短波ジアテルミー」によって肉体と精神が融合しシナプスの破壊現象は収まった。笑い声は「マタンゴ」の声を流用している。なんだか変な感じになってきたシリーズに戸惑う。


 

第26話「燃える栄光」

 ボクサーと怪獣という取り合わせがピンとこないままボーッと見た。「ウルトラQ」を見逃すまいという気持ちとは裏腹に、僕が見たい「ウルトラQ」はこんなんじゃないんだけどなーという回が続く。

 「ピーター」は気圧や水圧の変化で体の大きさが変わり、水中では小さいが、上陸すると人間ほどの大きさになる。落雷で発生した山火事で数十メートルまで巨大化した。後に「ウルトラマン」に登場する「ゲスラ」に改造された。


 

第27話「206便消滅す」

 四次元世界が口を開け飛行機を飲み込んでしまう。その四次元世界は雲の中のような世界で怪獣が住んでいるという、なんだか付け足したような設定に子供ながら違和感を覚えた。ただただ四次元という魅惑的な言葉がこの物語を受け入れさせていた。27本の不思議な物語を見聞きして、子供ながらに蘊蓄が言えそうな気分になっていた。

 「トドラ」は四次元空間に住むアザラシに似た怪獣である。この回も4種類の台本が確認されていて第1、2稿に怪獣は登場しない。第3稿からTBSの意向を汲んで怪獣を登場させた。急遽怪獣を登場させることになったため「妖星ゴラス」に登場した南極怪獣「マグマ」に髭を追加して改造している。劇中では「トドラ」の名称は使われず「巨大なアザラシ」と呼ばれる。名前は「トドラ」なのにアザラシなんだ・・・。


 

第28話「あけてくれ!」最終回

 怪獣も登場しない、人も巨大化しない、幽体もいない、かなり特殊な回。現実世界の無常と別世界への逃避が描かれた。深夜の電車に乗ると異次元に行ってしまうんじゃないかとたまに思う。今見るとなかなかシリアスで大人ウケする物語だが、永遠に怪獣が見られると思い込んでいた子供にとって、最終回と聞かされ、しかも怪獣が登場しないことにすごくショックを感じた。最近の回に物足りなさを感じていたからなおさらで、”え〜っ!終わっちゃうの?怪獣はどこー?「ゴロー」はどうなったの?日本は沈没しないのー?”と、その未消化な顛末と、大切なものが終わってしまう喪失感に狼狽えた。

 愛知県人だったので「異次元列車」は名鉄のパノラマカーだと思っていたが、正しくは「小田急3100形電車」ロマンスカーの4両編成である。ミニチュアは第10話「地底特急西へ」でも使用された。どこまでも下っていくエレベーターで別世界に到達したSF作家の「友野健二」は、幸せな生活を送っている。ところが、我々の住むここは逃げ出したくなるような世界だという訳だ。怪獣は出てこないが「異次元列車」の車掌が怪獣として異次元に住む人であったという、こじつけのような設定になっている。


 こうして「ウルトラQ」は終わってしまった。長い間「ウルトラQ」の終わり方に不満を抱いていたことを昨日のことのように思い出した。「ウルトラQ」が終わってしまったことが悲しくて、次回から「ウルトラマン」が始まると聞かされても納得できず、巨大化した人が怪獣と戦うなんてピンとこない。でも1週間後、「ウルトラマン」にどっぷりハマることになる。


 

ウルトラQ総論


 定型となるパターンを探しつつ作品ごとに毛色が違う実験的でシュールな作品が多かった。制作側がやりたかったことを試しながら、視聴者の反応を確認する実験場だったのだろう。毎回怪獣が現れるとは限らず、まして超人も現れない「ウルトラQ」は子供には不満足だったが、その後のウルトラシリーズがこれでもかというぐらいの怪獣を登場させ子供たちの夢を叶えてくれる。しかし今振り返ると自由になんでもできた別格の物語で、そうした実験的模索は子供の想像力を大いに掻き立ててくれた。

時代の変遷

1953年「テレビ放送」が開始されテレビ時代が始まる。

1954年「初代ゴジラ」が上映され怪獣映画時代が始まる。

1959年「皇太子ご成婚」を機にテレビが一般に普及開始。

1963年「鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」が始まりアニメ時代開幕。

1964年「東京オリンピック」が開催されテレビの普及が促進される。

1966年「ビートルズ来日」「隠密剣士」から「ウルトラQ」に世代交代。

 半世紀前、毎週お茶の間に怪獣が届けられるという大事件が起きた。このうねりは50年経っても消滅することなく続き、今も新たな「ウルトラシリーズ」が誕生している。怪獣好きな子供に混ざって、怪獣好きな老人が大勢いることだろう。


 

博士の存在


 「ウルトラQ」の「一ノ谷博士」、「初代ゴジラ」の「山根博士」と「芹沢博士」、「鉄腕アトム」は「お茶の水博士」と「天馬博士」、「鉄人28号」は「敷島博士」、「エイトマン」は「谷博士」、「マジンガーZ」は「兜博士」等々、博士はなんでも知っていて万能だった。ありそうでなさそうな兵器や薬品も魅力的だ。子供時代「お茶の水博士」になりたかった。

 ノーベル賞を受賞する博士はいるけれど「一ノ谷博士」や「お茶の水博士」のような博士はいるのだろうか。

 

音楽とナレーション


 「ウルトラQ」は音楽を「宮内国郎」という人が作っていたことを知った。音楽と映像が固く結びついて、これ以外の組み合わせは考えられない。ノコギリやフルート、オルガンの音色が一気に時代を遡る。

 「石坂浩二」の低くつぶやくような”これから30分、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入っていくのです”というナレーションもたまらない。

 

おまけ


ゴジラ

 「初代ゴジラ」を見たのは大学生になってからだった。子ども時代に見たのは「キングコング対ゴジラ」からで初代とは趣が違う。その後「ゴジラ」はどんどん子供の味方になりお茶目になってゆく。こちらは大人になり見なくなっていった。全ての「ゴジラ映画」を見たのは随分年を取ってからだ。どれも不思議な魅力があり、何度も繰り返して見た。怪獣の中でも特別な存在であることは間違いない。


 「ゴジラ映画」全てに「伊福部」さんが関わっていたわけではなかったが「伊福部」さんが生み出す音楽にはゴジラが住んでしまったようだ。「伊福部」さんが音楽担当した「忠臣蔵」は、画面を見ずに音楽だけを聴いていると「ゴジラ映画」になる。

 ゴジラを描いた法則で別の怪獣を描き始めたのが今回のシリーズとなった。


バルタン星人

 「ゴジラ」の次に描いたのが「バルタン星人」だった。

 「バルタン星人は」「ウルトラマン」第2話「侵略者を撃て」に登場する。セミに似た顔、ザリガニのような大きいハサミ状の両手を持ち、高度な知能を備えた直立二足歩行の異星人で、”フォッフォッフォッ”と表記される独特の音声を発する。発狂した科学者の核実験で「バルタン星」が壊滅し20億3000万の「バルタン星人」が放浪者となった。地球を訪れた最初の目的は侵略ではなく、故障した宇宙船の修理のためだった。ところが「ハヤタ隊員」の忠告を無視して侵略を開始する。「ウルトラマン」第16話「科特隊宇宙へ」第33話「禁じられた言葉」で再度登場し「ウルトラ戦士」の最大のライバルとして幅広い層から認知された。「バルタン星人」の名前は、ヨーロッパの火薬庫と言われて紛争の絶えなかったバルカン半島に由来する。「シルヴィ・ヴァルタン」から取ったという説もあるが命名者「飯島」は否定している。「宇宙大作戦」の「バルカン星人」とはなんの関わりもない。


 数ある宇宙人の中で「バルタン星人」に人気があるのは、2話目というまだ物語が始まったばかりのところで登場したことと、かつて「ウルトラQ」に登場した「セミ人間」に似ており「ケムール人」のような声を発するという強烈な印象が、何一つ見逃さないように、嬉々として画面を見つめていた子供の心に突き刺さったに違いない。その後も何度も登場することで必然的に特別な存在になったのである。


 

記憶と資料の狭間で


 子供時代はその時限りに見聞きしたことが全てだった。今や何度でも見返すことが可能だし、ネットで検索すると知り得なかったことまで知ることができる。調べれば調べるほど記憶が呼び覚まされる気になるが本当の記憶なのか定かではない。昔もお菓子や雑誌の記事で情報が補われ、記憶が改竄されていく。なぜなら放送時に使われなかった怪獣の名前をなぜか知っていたりする。調べたことで思い出した気になっているが、初めて見た時に感じたことなのか、後付けで感じたことなのかわからない。記憶とは不確かなもので、しかも半世紀も前となればあてにならない。ただ最初に造成された記憶が時をかけて醸造され今がある。今の感情はかつての感情無くしてはあり得ない。調べたことで思い出した気になっていることも含めて、今の感情を楽しむとしよう。資料はWikipediaを主に参照した。


 

かつて描いたモチーフを怪獣で描く

 「ゴメス」に水をくださいと懇願する「ガラモン」とこれを見守る「バルンガ」に乗った「バルタン星人」。


 この絵は高校時代に描いたモチーフで「迷える子羊」というタイトルがついている。添書きに「かんかん照りの砂漠で水は僕の水筒の中のほんの少しだけ、ふと見ると僕の前に水を欲しがって喉をかきむしって横になっている人がいる。僕は今喉が渇いていて水筒の水を飲みたい。でも僕が飲めば水は無くなってしまう。そんな少しの水。僕はその場に立ちすくむ・・・」とある。


 

追記


 飛行機やヘリコプターを乗りこなし、愛用車はオープンカー。かたやカメラ片手の女性記者と、言葉にするとかっこいい登場人物であるが、金持ちのボンボンという感じはサラサラなく、いたって庶民的だった。アメリカに憧れ背伸びをしていた。


 「ウルトラQ」から「ウルトラマン」に変わった時、純ちゃんや一平くんがいなくなってしまったが、ゆりちゃんが出てきてとても救われた気がした。


 ウルトラ一族と怪獣の戦いは取っ組み合い、どつきあい、投げあいだ。当時プロレスが流行り人々は「力道山」の「空手チョップ」に熱狂した。「ウルトラシリーズ」は怪獣とプロレスのドッキングだ。


 人類へ警鐘を鳴らす物語もいくつかあるが、地球人とウルトラ一族は正しくて、悪者怪獣や宇宙人をやっつけるのが基本パターン。当時そのことに疑問を感じなかった。しかし今見ると疑問だらけ。「えー!それはまずいでしょ」ということもしばし。子供時代と今では価値観が随分違う。

 なぜ街を破壊したり殺し合うことをこんなにも面白がるのだろう。この感覚は時代が変わっても変わらない。災害や犯罪を恐れ平和を願うのに、スクリーンの中ならどんなに破壊や殺戮がエスカレートしても喝采する。理性を働かせばこれほど不思議なことはない。ところが本性ではなんの不思議もないことのようだ。


 時代劇が好きな母。時代劇はチャンバラが付き物だ。たいてい人が殺される怖い物語が多い。なのに好んでそういう物語を見て、夢にうなされ寝言で悲鳴をあげる。「滅びの美学」とか「カタストロフィー」を面白がる人間。人間ってわかんない。人間て恐ろしい。人間て面白い。



おわり

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