1994/6/9
1994
ぶつけてしまったMINI1000、修理をするか、新車にするべきか。
これから乗るMINIに欲しいものを上げてみた。
アンダーガード
エアコン
ハイローキット
センターメーター
10インチホイールキャップ足回り
オーバーライダー、コーナーバー
ステアリング
カーステレオ、CDチェンジャー、SP
ナビシステム
アーモンドグリーンのMINI1300新車178万を見つけた。諸経費を入れて2,090,600。どうしよう。装備の概要
1300CC
ツインキャブ
ブラバムルーキーマフラー
タイヤ12インチ
右ステアリング
バケットシート
角形メーター
標準装備の3年車検車だ!ローバー・ミニ・メイフェア1.3的フェイス
さてルックスをどうしよう。MK-ⅡにするかMK-Ⅲにするか?
グリル、バックナンバー、テールライトをどうするか。
4月25日
240万払込む
4月26日
MINI納車
走行距離 18マイル(28.97km)
浜松59て46-69
車両本体価格 1,780,000
自動車税 31,600
自動車取得税 89,000
自動車重量税 37,800
自賠責保険料 43,800
車庫証明費用 20,000
検査登録費用 35,000
Tax(3%) 53,400
MINI1000下取り △90,600
合計 2,000,000
エアコンその他は後日とする。
5月8日
DINKYへオプションパーツを取り付けにゆく
エアコン
ハイローキット
アンダーガード
コーナーバー
ルーカスフロントミラー
アルミヘッドカバー
以上でちょうどとのこと
MINI1000のパーツをもらってくる
ハンドル
メーターなど
5月14日
MINIを受け取る
オプションパーツが付く
6ヶ月点検について、新車は不要とのこと1年点検でOK
自動車税の件、4月1日現在の確認をしているため旧MINIについては廃車証明を持って提示すること。
あとやりたいこと
オーディオ、CDチェンジャー
カーナビ
アンテナ
シルバーのワイパー
センターメーター
ウッドパネル
ウッドサイドパネル
モトリタウッドステアリング
5月20日
夕食を食いにテクノ都へ行く。入り口でマフラーがどこかに当たり外れてしまった。
5月21日
自力でつけようとしたがうまくいかずDINKYに来てもらう。元気が出ない。週中までかかるらしい。
5月28日
MINIを取りにゆく。修理代10,000円。レッカー料がいるけどIさんがいないからわからないということで、修理代のみ支払っておく。
5月30日
MINI1000抹消登録完了
6月9日
レッカー料10,000、都合の良い時に持っていくことにする旨TELにて連絡する。
青春の轍 その3(副題:新しい恋の始まり)
もうどのくらい前のことだろう、何もできないくせに何でもできると思っていた時代のこと。一人の青年が何時かするであろう何かに憧れながら、何もできない今を不思議そうに見つめていた。美しい娘に出会い、自分の夢物語を話した。娘は夢物語にうっとりし、この人と一緒にいれば素敵な何かが起こりそうなそんな予感がした。色々な所へ一緒に行き、沢山一緒の時間を過ごした。一年、二年、三年と月日が立つうちに少しずつ何かが違っているような気がしてきた。そう、青年はなかなか夢を叶えることができなかった、もう子供のように何もかもが叶うとは思わなかったけれど、少なくとも一つぐらいは叶うだろうと思っていたし、叶うべきだった。四年、五年、六年が過ぎた、何かとっても素敵な夢があったはずなのにそれが何であったか分からなくなっていた、そしてふと気がつくといつもそばにいた娘が他人を見る目で青年を見つめていた。婚約をして、結納を交わして、結婚式場まで決めたのに「あなたとは結婚しません」という手紙を残して娘は消え去ってしまった。そして人を好きになることが怖いまま十年があっという間に過ぎ去った。青年は人を好きになることはできなかったが十年の間に沢山の夢を叶えることができた。例えば技術者になることがそうだし、外国へ行くことや、MINIに乗ることや、ログハウスを建てること・・・世の中ってうまく行かない。
6月12日
全てを支払い終了 領収証を発行してもらう。
車両 2,000,000
エアコン
アンダーガード
ハイローキット
コーナーバー
オーバーラダー
フロントミラー
アルミヘッドカバー
工賃含み 400,000
合計 2,400,000(税込)
レッカー代 10,000の
工具セット 16,850
ミニフリーク 1,300x4冊=5,200
サイドブレーキグリップ 3,000
合計 36,100(税込)
それから右ワイパーブレードの調子が悪いため交換してもらう。
1995
6月2日(金曜日)
本日の夢は:I部長が出てきて「おう復帰したか、頑張れよ」、と言いM部長が「頑張ってくれているよ」と言いながら顔をしかめているシ−ンで目が覚めた。朝の5時半である、本日も何とすがすがしい天気なのだろう。ゴミを出しに行きながら、現実のI部長なら「おたくは頑張り過ぎるから、適当にやんなさい」と言うだろう、そして僕は「はい私は、最近仕事が完結しないのであります」と答えるだろうと、なんとも苦々しい気分である。とりあえず昨夜シャワ−をあびて、爪を切ってすっきりしたところなので、部屋を掃除して植木に水をやって、全体的にすっきりすることにした。今日はどんな日になるのだろう?。
・・・
午前11時:また昼まで寝てしまった。
・・・
午後2時:またその後寝てしまった。
・・・
午後4時半:またその後寝てしまった。隣り合った2つのパラボラアンテナが恋をしていた。いつの日にか一つの大きなパラボラアンテナになりたいと願っていた。しかしある日ゲシュタポがやって来て、片方のパラボラアンテナを一つの陶器の壷にしてしまった。
<MINIについて>
始めてMINIの存在を知ったのは、大学1年の頃だった。友人の下宿でプラモデルのMINIを見て、パッケ−ジに書かれていたMINI神話を読んでいっぺんにMINIの信望者になった。それまでは、サ−キットの狼を読んで覚えた、ポルシェ・ランボルギ−ニカウンタック・ランチャ−ストラトス・フェラ−リなどの車がかっこいいと思っていた。また同時期にルパン3世に出てきたちょっとアンティ−クな名前も知らない車達が気になっていた。それらの車がMINIであったり、メッサ−シュミットKR200だったり、BMWイセッタ300だったり、シトロエン2CVだったり、同じくシトロエンT型トラックだったり、フィアット500だったりと言った車であることを大学生になるころ知った。その中でも小さな丸っこいボディ−でこ気味良く走るMINIを街角で見たり、往年のラリ−で幾多の優勝をした実力ある車だったことを知るにつれて、MINIに乗りたいと思った。学生時代は、MINIの本があれば買ってきてこれを読み、絵に書いたり、プラモデルを何台も何台も作った。IVYにキリリと決めて、彼女の大学前までMINIで迎えに行くというのが夢になった。六甲の坂道を行くMINIなんかを見ちゃうともうボ−ゼンとなっちゃって見取れていた。社会人になった、MINIは現代の車に比べるとずいぶん劣っていることメンテナンスが大変らしい事、扱いも大変らしい事を聞きながらも真黒のMINIを中古で買った。満足だった。初めてのMINIは1983年製のタイプ3に属する車種で、1年間誰かが乗ったものだった。前の持ち主はコンソ−ルだけをいじっていて木製コンソ−ルが取り付けられていた。僕はグリルをタイプ2に変え、バンパ−をクロ−ムメッキに変えオ−バ−ライダ−とコ−ナ−バ−を付け、フユエ−ルキャップをキ−付きに変え、ドアミラ−をル−カスタイプのフロントミラ−に変え、ステアリングをモトリタに変え、ハイロ−キットとアンダ−ガ−ドを付け、ル−フアンテナ、リアワイパ−を付け、アルパインのカ−ステレオ、BOSEのスピ−カ−を付け、ブラバムル−キ−マフラ−に交換し。ホイ−ルをミニマグタイプに変え、ライトをル−カスに変え、ウインカ−レンズをガラスに変えた。そして9年間このMINIに乗り続けた。10万キロを越えたところでメ−タ−が壊れてしまい修理をしなかったので全走行距離は分からない。まず初めのトラブルは、オイルプレッシャ−メ−タ−からオイルが漏れ始めたことから始まり、ブレ−キが効かなくなったりマフラ−がおっこちたり、お決まりのオ−バ−ヒ−トと、毎週のように修理のために購入したガレ−ジへ行ったものだった。セルモ−タ−が壊れたときはしばらく(1と月ぐらいかな)車の押しがけでエンジンスタ−トを行なったりもしたな。両親を乗せて名古屋へ墓参りに行っている最中にフットブレ−キが効かなくなり、何とかエンジンブレ−キとサイドブレ−キで走ったこともあった。最終的には、やはりフットブレ−キが効かなくなり友人の車へ後ろから激突して幕を閉じた。友人の車はちょっと傷ついた程度だったけれど僕のMINIは前面大破でもう廃車以外にない状態だった。そして今の車に変えた、もちろんMINIである。憧れの1300ツインキャブ、ア−モンドグリ−ンにタ−タンホワイトのル−フカラ−のMINIだ。ク−パ−にも触手が行ったが今のク−パ−はインジェクションタイプであることからSUキャブのノ−マルにすることにした。それにア−モンドグリ−ンのク−パ−はなかった。今度は新車だ。
そして・・・結局今日はただ寝ていただけだった。
9月23日(土曜日)
午後3時30分:今日目覚めたのはこんな時間だった。やっぱりショックというか、これからどうしてよいか分からず、ボケ−ットしてしまっている。そんなに眠いわけでもないけれど寝ることしかできないでいる。自分の悪いところを見つめるなんて奇特なことはもうできない、今がまさに最悪の状況である。
午後9時:「巡り合えたら」メグ・ライアン、トム・ハンクスの映画を見た。何だか泣けてきてしまう。あんな恋がしてみたい。この12年間僕はどうしてこんなに孤独だったのだろう。もし彼女と結婚していれば、MINIだってログハウスだってなかったかも知れないけれど、もっと幸福だったかも知れない。でも僕はこの映画で婚約破棄された男の立場だった。なぜ俺はこうなってしまうんだ。
10月25日(水曜日)
午前6時30分:目覚める。昨日は4時を記憶しているからほんの2時間半ほどしか寝ていないが、いつまで起きていられるだろう。今日は是が非でも税金や年金支払手続きをしなければ。そして車にオイルを補給してやらなければならない。不思議にもう眠くなかった。最近何もしない生活に慣れ始めてしまっている。いつでも眠ることができるから、いつでも起きることができる。かつて8時30分までに会社に行かなくてはならなかった日々は、切り切りまで眠れるだけ睡眠を貧っていた。今やいつまでにどこへ行かなくてはならないということがほとんどないと、かえって5時とか6時にパット目が覚め起きることができる。そして眠ければお昼だろうと寝てしまう。今日は風が強い台風のせいだろうか?
午前10時:9時から1時間ほどまた寝ていたようだ。シャワ−を浴び出かける。まずMINIのオイルを約1リットル補給(約2,000円)、大和銀行にて、市民税・県民税第3期(10月~11月分)と国民年金保険料9月10月分を支払い(合計63,600円)、以降を自動引き落とし手続きを取る。ガン保険自動引き落とし依頼、年賀状60枚購入予約を行なう。久しぶりに牛ドンを食べる。そして食料と本を買い出して帰ってくる。午後2時であった。風が非常に強いが天気はすこぶる良い。
午後11時30分:大阪のSさんから電話がある。「おい、どうしてるんよ、会社や辞めたんだって。俺は地獄耳だよ。11月は嫁さんが出産で実家に帰ってるからいつでも来いよ。Tが23日に走るから見に行ってやれよ、どうせ暇なんだろ、その足で一緒に遊びに来いよ」と言うことだった。また一人僕を気使ってくれる人がいた。Sさんは大学を辞めようとしたときに止めてくれた先輩でもあった。
麻原被告は、弁護士を解任して、公判日程を引き伸ばした。最後の最後まであがいているようで見苦しい。
11月24日(金曜日)
午前8時:起床、パンとコ−ヒ−で朝食。Sさんの車の後について、Sさんの会社へ行く。立体駐車場に入れようとしてマフラ−が当たり外れてしまった。マフラ−かどこかに穴が空いたり破損しているのではないかと心配だが別の駐車場に車をおいてT君の家へ行く。T君と千日前で映画「スピ−シ−ズ」を見る。どきどきする映画で僕にはあまりあっていないようだった。約束どおり梅田へ出てスカイ大阪へ行く。でも車が気になったので本屋で大阪のMINIのショップを探して直してもらうことにした。鳳駅の近くのお店で直してもらう。管が外れただけだった。気のいいお店で修理代はいらないということだった。しかししばらく走ると又はずれてしまった。
午後5時:N君のお店へ行く。Sさん・Oさん・Oさん・T君・T君・K君、そしてOさんの会社のBさんが来た。僕は特に何も話さなかったが、懐かしい皆が色々なことを話し、学生時代の思い出話に花が咲いてとても楽しかった。そのまま夜走って帰るつもりだったがOさんの家へ泊めてもらうことになった。バリバリ音を立てながら奈良県香芝へ向かった。途中車の中で、卒業してからの出来事やこれからのことを話した。久しぶりにOさんの奥さんのKさんにあった。僕の書いたエッセイなどを夫婦で見てくれた。風呂に入って眠った。
11月25日(土曜日)
午前8時:起床、ピザト−ストで朝食。Oさんの子供のYちゃん(中学1年)とD君(小学生)に僕の絵を見せた。Oさんの家のそばのMINIのショップへ連れていってもらって修理してもらった。やっぱり又はずれていた。アイドリングが不安定なので一緒に見てもらった。うそのように安定した。今まで1年半ぐらい調子の悪いままで乗っていたことが分かりがくぜんとする。いずれにしろMINIはとても快調になった。修理が終わるまで近所の公園を二人でぶらぶらした。馬見ケ丘古墳群、竹取り公園。Oさんの女性体験は面白かった。
通勤電車でいつも同じところに乗ってきた女性と目があった、しばらくするうちに近づいてきて、いつも一緒に黙ったまま通勤する日がつずいた。ある日電話番号を教えられ一緒に飲みに行った。引越してそのまま会わなくなった。そんな女性が2~3人いたという。
会社で付き会いのある会社の人とのみに行った。可愛い女性がいたが飲んでいるときは話もしなかった。店を出るとき会社の人が支払っているとき、店の外でその女性とOさん二人きりになった、するとその女性が突然Oさんにキスをしたという。会社の人に見られたら、「O何をしている」というところだが見られていなかったので、もう一回キスをした。
やれやれ、もてる人は違うなと思った。いずれにしろOさんは幸せそうな家庭を築いていた。昼食に寿司をおごってもらって別れた。せっかくの休みを僕に付き会ってくれた、有り難いと思う。帰りは西名阪・東名阪と帰った。途中関のトンネルが渋滞して名古屋に出るまでに3時間もかかった。名古屋から浜松までは1時間で帰れた。帰宅して夕飯を食ってから町内会に出席した。
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