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memories

1st generation

1987年7月5日

 

MINIが好きだ。でもMINIは非力だ。きっと今の国産車なら、アクセルを踏めば踏んだだけ加速し、速度を上げることができるのだろう。MINIは、アクセルを踏むだけではかぶってしまって、かえって止ってしまいかねない。下りで風がなければ130キロぐらい出すこともできるけれど、いざ条件が悪くなると、100キロすら出せなくなってしまう。高速道路では、風に真正面から向かっている感じで、少しの余裕もなく、ひたすら一生懸命。限界一杯で走っている。そういう感じだ。合理的じゃ無い。乗るほどに限界が見えてくる。うまく扱ってやらなければ、ちゃんと走らない。そんな感じが、どんどんしてくる。MINIの非力さ、限界いっぱいで走る一生懸命さが自分と重なる。

 

1988年5月22日

 

寸座の峠道でMINIがスピンした。雨の日はほとんど、道の上を滑りながら走っている。タイヤがボ−ズだから当然だ。少々スピンしたところで何とかコントロ−ルする自信があるものだから、滑るか滑らないかのせとぎわをつい楽しんでしまったりする。山に乗り上げたり、崖から落ちたりはしないものの対向車があれば危なかった。今日は、友人主催の第三世界ショップのバザ−ルに行って、ハンモックを買ってきた。掘り出し物だ。しっかりした麻で出来ていて、ほんのりとインドの香がする。湖畔につって、のんびり本でも読みたいと思う。実際そろそろ山に戻ろうという気分になってきた。真剣に計画を立てて、山を歩いてみるかな。テントとコンロと足にあったビブラムソ−ルのワ−クブ−ツを手に入れよう。今日手に入れたハンモックは一つの機会だ。今失いかけている大切なものを取り戻すために山に行こう。

 

1988年11月27日

 

晴天。ジムカ−ナレ−スの日。MINIはエンジンがかからなかった。バッテリ−が上がっていたのだ。友人を朝の6時にたたき起こして、押しがけを試みた。動かなかった。友人の車を借りて会場に行き欠場を伝えた。友人が自分の車をダブルエントリ−してもよいからぜひ出場するよう進めてくれたが、押しがけのために酸欠ぎみで、出場する意欲がなくなっていた。ゼッケンと参加賞をもらい、友人にブ−スタ−ケ−ブルを借りて家に帰った。再びイグニッションキ−を回すと、エンジンがかかったが、部屋に戻り目を閉じた。夕方8時に目が覚めた。

1989年6月18日

海辺を走る。しばらく海を見てたたずむ。人も疎で曇り始めた空の下、ひっそりと雄大に広がる海。疎に散らばっている人はほとんどカップルだった。海を見に来たのに、海はとても広く恋人達はとても小さいのに。恋人達ばかりが見えた。海がもたらす不思議な自然の持つおおらかさがやって来ようとする。ところが心の奥へ届く前に孤独がやって来る。その場を立ち去り、天竜川沿いに走らせる。坂を下る。通り過ぎてきた道と空がバックミラ−に写る。胸がキュット締め付けられる。でもそれだけ、そのまま駆け抜ける。誰にもこの気持ちを悟られないようにと、ただ時が過ぎていく。​天竜川に沿って山合いに分け入る。田植えをしたばかりの青青した水田が心を捕える。山合いの緑を写した水田は不思議ななつかしさをはらんでいて、妙に感傷的だ。車を止めてしばらく時の過ぎるのを忘れて見取れる。何時かこの気持ちを分け合うことのできる人が現われるに違いないと思いながら、当てもなく車を走らせる。

追記:破談になり失意の時期に、MINIを手に入れた。そんな時代の日記は、感傷的な記述が多い。初代MINIの詳細な記録がMINIノートにある。

Second generation

1995年6月2日

始めてMINIの存在を知ったのは、大学1年の頃だった。友人の下宿でプラモデルのMINIを見、パッケ−ジに書かれていたMINI神話を読んでいっぺんにMINIの信望者になった。それまでは、サ−キットの狼に登場する、ロータス、ポルシェ、ランボルギ−ニ、ランチャ−、フェラ−リといった車に憧れ、ルパン3世に出てきたちょっとアンティ−クな名前も知らない車が気になっていた。それらの車がメッサ−シュミットKR200だったり、BMWイセッタ300だったり、シトロエン2CVだったり、シトロエンT型トラックだったり、フィアット500だったり、MINIであることを大学生になるころ知った。小さな丸っこいボディ−で小気味好く走るMINIを街角で見たり、往年のラリ−で幾多の優勝をした実力ある車だったことを知るにつれて、MINIに乗りたいと思った。MINIの本があれば買い漁り、絵に書き、プラモデルを作った。中之島公園の交差点を独特の排気音を響かせてゆくMINI、神戸の坂道を駆け上るMINI、須磨浦海岸で海沿いに停められたMINI、それらはどれも絵のようだった。IVYを身にまとい、彼女の大学までMINIで迎えに行くのが夢だった。

社会人になった。誕生して30年近く経つMINIは、現代の車に比べるとずいぶん劣っていること、メンテナンスが大変らしい事、扱いも大変らしい事を聞きながら、真黒のMINIを中古で買った。満足だった。初めてのMINIは1983年製のタイプ3に属する車種で、1年間誰かが乗ったものだった。前の持ち主はコンソ−ルをいじっていて木製コンソ−ルが取り付けられていた。僕はグリルをタイプ2に変え、バンパ−をクロ−ムメッキに変えオ−バ−ライダ−とコ−ナ−バ−を付け、フュエ−ルキャップをキ−付きに変え、ドアミラ−をル−カスタイプのフロントミラ−に変え、ステアリングをモトリタに変え、ハイロ−キットとアンダ−ガ−ドを付け、ル−フアンテナ、リアワイパ−を付け、アルパインのカ−ステレオ、BOSEのスピ−カ−を付け、ブラバムル−キ−マフラ−に交換し。ホイ−ルをミニマグタイプに変え、ライトをル−カスに変え、ウインカ−レンズをガラスに変えた。そして10年ほどこのMINIに乗り続けた。10万キロを越えたところでメ−タ−が壊れてしまい修理をしなかったので全走行距離は分からない。

初めのトラブルは、オイルプレッシャ−メ−タ−からオイルが漏れることだった。その後ブレ−キが効かなくなったりマフラ−がおっこちたり、お決まりのオ−バ−ヒ−トと、毎週のように修理のために購入したガレ−ジへ通った。セルモ−タ−が壊れたときは約1ヶ月押しがけでエンジンスタ−トを行なった。両親と墓参りに行った最中にフットブレ−キが効かなくなり、何とかエンジンブレ−キとサイドブレ−キで走ったこともあった。最終的には、ブレ−キが効かなくなり友人の車へ後ろから激突して幕を閉じた。友人には本当に申し訳ないことをした。MINIは廃車以外にない状態だった。そして今の車に変えた、もちろんMINIである。憧れの1300ツインキャブ、ア−モンドグリ−ンにタ−タンホワイトのル−フだ。ク−パ−はインジェクションタイプであることからSUツインキャブのノ−マルにすることにした。それにア−モンドグリ−ンのク−パ−はなかった。今度は新車だ。

追記:せっかく手に入れたMINI1300だったが、病気になり、会社を辞めることになり、MINIも手放すことになった。いいMINIだったが、このMINIに関する記録は少ない。

Third generation

2008年2月20日

初代はエンジンをかけるときに、ダブルクラッチを踏んでチョークを引きセルを回した。四季折々、エンジンのかかりが変化して、一発でかからないことも多かった。3代目はインジェクションになり、チョークもついていない。オートマだからダブルクラッチを踏むこともなく安定したスタートができる。初代はエアコンがなく、雨の日に曇ってしまって窓から雨の中に顔を出して運転することもあったが、3代目はクーラーがつき、ちょっと辛抱すると曇りが解消できた。エンジンが大きくなりパワーもあるから、エアコンをかけても十分に走ってくれる。初代はキャブレターキャップが振動で外れて、走行中に急にパワーダウンすることがあったが、3代目はもちろんそんなこともない。朝晩の約1時間の通勤時間は、Miniを運転できる楽しみの時間となった。

 

2008年4月22日

Miniの油温がまた高くなった。オイルが1リットル多めに入っている。今月~来月は少々出費がかさむ月だ修理に出すのはきついが・・・

 

2008年4月25日

会社帰りにMiniが煙を上げる。整備工場の近くだったのでそのまま駆け込む。

 

2008年4月30日

 

整備工場より電話 でインテークマニホールド破損が原因と連絡がある。パーツ生産終了のため中古部品を調査中とのこと。

2008年5月1日

 

エンジンのボルト類が錆びているため交換時に折れる可能性があり、修理できる保証がないということだった。廃車にすることにする。

追記:妻の車にと手に入れたMINICooperだったが、ほとんど私が乗った。休日の遠出が楽しみだった。自分でブレーキパッドの交換をしたりメンテナンスをしたが、壊れるときはあっけなかった。

4th generation

2017年3月25日

MINI COOPER SD CLUBMAN がやって来た。

2017年5月28日

 

​旧型MINIのラバーコーンサスペンションはリジットな感触で路面がダイレクトに伝わってくる。これをもってゴーカートフィーリングというのだろう。これに対して新型MINIもゴーカートフィーリングを受け継いでいるというのだが、新型MINIは全てが新しく走行感もスムーズなので、ゴーカートフィーリングはショックが固いだけに感じる。あまりに路面が直接伝わってくるので、MINI乗りにとっては懐かしい感覚でも、MINIを初めての人は乗り心地が悪いと感じるかもしれない。

2017年6月3日

ちょっと前までキャンピングカーで旅をしたかった。MINI CLUBMANを手に入れたら、乗り心地の快適さに驚いた。包み込まれるような乗り心地、目をつぶってもできそうな操作性、心地よい加速と安定性、何度見ても見飽きないシルエット、パワフルなのに経済性の良い燃費、iPhoneとの相性の良さも格別だ、イグニッションを入れると響き始める極上のサウンド、走行記録がiPhoneに全て記録される喜び。乗ることがこんなに楽しい車だったのだ。他のどの車でもなくこの車に乗りたい、どこまでも走ってゆきたい。このMINIでこそ日本各地を巡りたい。もうキャンピングカーはいらない。旧型ばかりに乗って来た身にとってあまりの快適さ、心地よさは想像を絶している。クルーズコントロールを知ってしまうと、これなしでは高速走行ができなくなりそうだ。ハーマンカードンのスピーカーが醸し出す音場空間。つまみ一つ一つに細心の注意が傾けられたエクステリア。観音開きのトランクルームに一週間分の食料を詰め込む、そんなちょっとした買い物さえ楽しい。MINIに乗って、iPhoneを操って、ジャズを聴きながらドライブする至福の時間。

 

MINIのオーナーたちが同じような感慨を抱いているのがSNSを見ているとわかる。皆乗ることが楽しくて仕方がないのだ。

追記:離婚をして、気ままな独り者にもどった。若い時代の孤独と、色々経てきた孤独は旧型のMINIと新型のMINIほど質が違う。それぞれのMINIと暮らした時間。良いことばかりではなかったけれど、みな懐かしい。

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