2018年8月11日
MINIは私と同じ頃に誕生した車である。初めて乗れるようになった時、すでにクラッシックカーになっていた。案の定故障ばかりする車だった。ところが次に選んだ車もMINIだった。物の価値を決めるのは、性能とか、使いやすさとか、そういうものだけではないらしい。好きになると欠点が見えなくなる。というか目をつぶってしまう。人は理性では合理的なことを求めながら、感情は不合理を許容する。街角で見かけるMINIの走りっぷり、排気音、小粋なシルエットは、出会うたびに憧れを掻き立てた。輝かしい戦績も一役買っていただろう。勝手に自分の中でイメージを作り上げ膨らませてゆく。その期間が長いほど、憧れは強まった。ついにMINIを手に入れて、ハンドルを握った時、嬉しさがこみ上げて来た。アクセルを踏む。クイックな応答や、路面を感じる走行に笑みがこぼれる。MINIへの憧れは、所有できた満足感に満たされる。期待外れなことがあれば、熱も冷めそうなものだが、トラブルは想定していたことだったから、かえって乗り切るごとに愛着が増してゆく。当然、こうならいいのにと思うこともたくさん出てくるのだが、MINIとはこういうものだろうとひとり納得している。気がつくと2代目、3代目と乗り継いでいた。MINI以外の車に乗る時期があったおかげで、MINIの良さも再認識できた。こうしてMINIへの憧れという夢が覚めぬうちに、新型のMINIはやって来た。こうならいいのにと思っていたこと以上のことが実現されていた。まだまだ夢は覚めそうにない。
どうしてMINIなのだろうと、自問自答してみた結果、大した理由は見当たらなかった。何事も、大した理由などないのかもしれない。
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