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執筆者の写真napple

248 近所のモニュメント

更新日:2023年12月29日

2023/12/10


 街と一緒に誕生した不思議なモニュメントがある。「なんだろう」と思って30年、ようやく図書館で「都田テクノポリス修景彫刻ガイドブック」を見つけ「地域住民に親しまれ、愛されるまち」を目指して造られたことを知る。題名と作者のことばを見て再び「なんだろう」と首をひねる。モニュメントと付き合ううちに出来上がった妄想と作者の意図とのズレが新たな「なんだろう」となった。

 

No.1(1)題名:自然、技術/変容 製作者:横沢栄一/ブラット・G/真下賢一 1993.3

 都田テクノロードを北上すると都田総合公園の手前に大きな石が置かれている。次に縦に二つに割れた石が現れ、三つに切断された石、四角く整形された石、そして回路のような模様が施された石が並ぶ。実は今まで回路のような模様が施された石しか見ていなかった。それをみて門のようだと納得していた。しかし作者は自然石の岩が割れ加工され変容する姿を見て欲しかったはずだ。今まで見えていなかったものがたくさんあったのである。


No.2(17)題名:石のかたち 製作者:高橋正晴 1993.3 

 都田テクノポリス西の入り口に緩やかな曲線を描く石が並べられている。「石のかたち」と言うタイトルは何を言おうとしているのだろう。作者は「ゲートとしてのランドマーク的要素を意識しながら、自然との調和に重点・・・」と語っている。三方原台地の北西端に位置するこの場所から先は急勾配で下っている。車で通るとY字路の合流に気を取られ、植栽に隠れてたモニュメントに気が付かないかもしれない。しかしそこには要を守る竜のごときものがうずくまっている。


No.3(16)題名:インサイドアウトSFB-G 製作者:菅原二郎 1993.3 

 都田総合公園北の入り口付近のロータリーにあるモニュメント。赤い色の石が斜めにもたれかかり不安定な印象がある。直線で構成され、石を割る楔の跡らしき模様がリズムを作っている。隣に対をなすモニュメントNo.4がある。


No.4(16)題名:インサイドアウトFSB-RG 製作者:菅原二郎 1993.3 

 No.3と対をなすモニュメント。石は黒く平く重ねられNo.4に対して安定した印象。作者は「憩いのスペースを提供する」と語り、インサイドアウトと言う言葉について「周囲を変えるより、まず自分の内面を変える」などの概念が紹介されている。ここは都田テクノポリスの北西の行き止まりになっている場所であり、2基のモニュメントがマップに刺されたピンにも見え、端っこを抑える重石になっている様に思える。


No.5(15)題名:風佩(ふうはい) 製作者:中山進作 1993.3

 都田総合公園と企業区画をつなぐ間道の企業側入り口に、ステンドグラスと銅鐸をはめ込み太陽を見上げるように掲げられたモニュメントが5基置かれている。佇まいは風にたなびく凧のように見える。中田島の砂丘で上げられる大凧と近郊で発掘さた銅鐸の今と昔を併せ持つステンドグラスには何が映されるのだろう。作者は「五個のモニュメントは、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居といったものを意識させる連続性を表している」という。このモニュメントは多くのことを言いたげだ。ステンドグラスの模様が地面に投影されることを期待してしばし地面を見つめる。しかし何かが投影されるのを見たことはまだない。


No.6(15)銘板はなく風佩の一部

 都田総合公園と企業区画をつなぐ間道の中間にあるストーンヘンジを思わせるモニュメント。横になった角材に開いた穴はなんなのだろうと愚考する。隣のモニュメントNo.7と対の様にも見える。


No.7(15)銘板はなく風佩の一部

 都田総合公園と企業区画をつなぐ間道の公園側入り口に、修景彫刻の中で最も小さく平たい矢印の様なモニュメントが置かれている。腰掛けの様にも見え、西側のモニュメントNo.6を指さしている様にも見える。見た感じから別物だと思っていたが、ガイドブックによるとNo.6、7をNo.5「風佩」の構成要素として扱っている。No.6、7はストーンヘンジへの連想から西洋の古代文明をイメージし、対するNo.5「風佩」は銅鐸から日本の古代文明につながる。そうした古の文明を接点としているのかもしれない。脇道に入り森に囲まれた静かな空間は時が止まっている。


No.8(14)題名:前進する形態 製作者 マティアス・H/小原順 1993.3

 作者は「北の入口として、ハイテクノロジーの進歩とそれによって物質から精神へと統合されてゆくべき人類の発展を象徴的に表現している。・・・宇宙的精神、自然の深い謎を覗き込む・・・」と深遠なテーマを語る。題名から作者の意図としては前進を表しているのかなと思いつつ。見ようによっては亀の様にも見えるモニュメントは、鋭角な石の組み合わせがこの先急勾配の下となる三方原台地の北端に楔を打っている様だ。


No.9(12)題名:空への柱 製作者:見崎泰中 1993.8

 都田テクノポリスの中央、都田テクノロードの交差点にある巨大なモニュメント。中央の黒い石に銀河が描かれ、囲む様にねじれた棒が空に向かって突き出している。広さといい高さといい一番大きく、まさにシンボルの中心という風貌がある。滑らかな曲線と耳の様だったりお尻の様なでっぱりが生き物をデフォルメしている様に感じた。作者は「人間と自然、あるいは文明の歪みも含めた人間の営みを有機的に表現する。」と語り、生き物を感じたのはあながち間違いではなかった。


No.10(13)題名:分水嶺1993 製作者:柳沢紀子 1993.8

 No.10の向かい側に置かれた楕円柱のオブジェクト。側面に色鮮やかなタイル絵が描かれている。その図案は木の根や鳥の羽らしきものなど離れると何かの形をしている様だが、近づいてよく見ると何を描いているかわからなくなる。分水嶺というタイトルは置かれた場所を言うのか、タイル絵の中に描かれているのか。模様を見ていると宇宙に飛び出そうとする何者かを感じる。モノトーンのモニュメントが多い中鮮やかな色彩が印象的だ。作者は「人間の営みと自然の摂理の接点をテーマに20万個の焼きガラスの小片を使い・・・」と語る。なるほどタイルと思ったのは色ガラスであった。


No.11(9)題名:構造(’93) 製作者:大栗克博 1993.3

 カインズモール東入り口付近のパズルのようなモニュメント。作者は「大・中・小の黒御影石の柱と二本の白御影石の梁のダイナミズムを表現している。」と語っている。なんと穴に通された石の棒はまっすぐではない。弓の様に反った芋羊羹の様な石が2本、3個の石柱の穴に通されている。そして2本が一緒に通された穴の端は石の楔で止められている。単純そうだがこれを組み立てるのは至難の業だったろうと推察される。是非組み立てるところを見たかった。


No.12(7)題名:風景記号 製作者:村井進吾 1993.3

 せせらぎの川の終点付近、サーラ音楽ホールの道路向かいにあるキューブ状のモニュメント。作者は「彫刻との対峙で生まれるエネルギーあるいは触覚性を大切にした」と言う。平らな石と凸凹の石が結合した四角い形状はボーグの宇宙船を思わせる。川の終点と噴水のある池の空間的な調和が辺り一体を記号化しているようだ。せせらぎの流れと噴水が蘇らんことを願う。


No.13(8)題名:コンビネーション・ブリッジ 製作者:岡野裕 1993.3

 サーラ音楽ホール入り口の交差点にある石のアーチ。このアーチは石の重みで開いてしまいそうだ。崩れた石が周りに散らばっている様にも見える。音楽ホールができるずっと前からあったモニュメントだが、あたかも音楽ホールができたことで新たな命を注がれたようだ。そうだ音符の様に見える。


No.14(8)題名:コンビネーション 製作者:岡野裕 1993.3

 新都田市民サービスセンター前の交差点にある石のアーチ。こちらは眼鏡橋の様に石の重みでバランスが取れている。重なり合う石の幅が微妙に不揃いなのが気になった。作者は「様々な知識と技術が詰まった形」という。


No.15(5)題名:朝と夕 製作者:吉村典幸 1993.3

 南東に位置する交差点に門のように立つモニュメント。崩れた遺跡の一部のようだ。図形が書かれていたりするあたり一層そんな感じがして完成した姿には思えない。複数の石を積み上げ直線と曲線を構成し、屋根ができているため門番部屋の跡のようだ。


No.16(5)題名:朝と夕 製作者:吉村典幸 1993.3

 No。15と対をなすモニュメント。共通する作り方だが屋根はなく、街に向かって盾を構えている様に見える。どちらが朝でどちらが夕なのだろう。草が茂ると一層遺跡の一部の様に見える。作者は「自然の中の人間の存在を確認し、新たな視点から空を眺めることにより、新たな宇宙を意識する」と語る。


No.17(2)題名:ベンチと少女(1) 製作者:高嶋文彦 1993.3

 南東に伸びる道路脇で長椅子に登り麦わら帽を脇に置いて佇む少女。数あるモニュメントの中で、ここにある2基は具体的だ。彼女は通り過ぎるものをずっと眺めている。なにかを探しているのだろうか。意味不明なモニュメントよりさらに謎深いかもしれない。


No.18(4)題名:雲のかたち 製作者:登坂秀雄 1993.3

 No。17の道路斜向かいにある曲線が美しく、雲の様な、まゆの様な、イグルーの様なモニュメント。奥に何かが潜んでいそうで覗くのに一瞬躊躇う。作者は「テクノポリスシティ構想の趣旨と街の形状とを鑑み、「雲」を象徴した・・・」と語り、中に入れる構造は「子どもの触覚性を生かした遊空間」だという。


No.19(3)題名:ベンチと少女(2) 製作者:高嶋文彦 1993.3

 長椅子に靴を脱いで寝そべる少女。慌てて靴を脱いだ様な感じが笑みを誘う。作者は「街角の1コマ」(そこは、メルヘンの世界への入り口)と語る。なるほど、こんなところに異空間への入り口を作ろうとしていたのか。そう言えばこのNo.17、18とも長椅子に人が座っているのを見たことがない。


No.20(11)題名:TOKIENO KIROKU 製作者:田畑進 1993.3

 都田テクノ北東端の行き止まりに異世界に繋がっていそうな門がある。行き止まりの重しとなりながら、異界への口を開けているのか。修景彫刻群の中では二番目に大きく、柱と柱の間をステンレスの板が塞いでいる。ということは異界への口を閉ざし守っているのかもしれない。などと夢想したのだが、作者によると「古代から徐々に積み重ねてきた技術に対する人間の営みの歴史を表現している」のであり「ステンレスの鏡面を用いて、刻々と移り変わる自然の動きを取り込むことで、時間を意識させるようにする」と言うことであった。


No.21(10)題名:光陰 製作者:藤本春紀/内藤文男 1993.3

 唯一住宅区画に置かれたモニュメント。古い都田テクノポリス修景彫刻MAPには記載されていない。Y字路の三角地帯が小さな公園のようになり、その中に複数のオブジェクトが連なっている。女・髑髏・突き出す長丸い石・バンザイ・ダンス・顔・3段舞台・丸・横たわる人・両足の間の顔と握る手・爆弾の様なオブジェクトと、情景は多岐に渡り少し不気味だ。舞台の地面は小石が並び歩くと痛い。作者は「悠久の時間の流れの中で、ある時、ある場所で営まれる人間の営為の記憶の刻印」と言う。面白いのは「長丸い石は真ん中で切断されており、下部にはモニュメントを作る際の記録がタイムカプセルに収められている」ということだ。


No.22(18)題名:北都橋 製作者:オリエンタル建設株式会社/株式会社土屋建設/有限会社小久保組 1993.2

 夜間に空高くスポットライトが虚空を照らした都田テクノポリスの象徴。街灯や歩道に北都橋をモチーフにしたデザインが随所にマークとなって見られる。その形がバッファローの角の様に感じられて、どうして牛の角をデザインしたのだろうと思っていたら「マニピュレータの指先をイメージしたデザインで先端技術を象徴している」という。全くなってこったビックリである。


No.23 この池に銘はない

 かつては天辺から水が流れていたが今は枯れ池の岩山になっている。銘板もなく昔の資料では修景彫刻に含められていない。しかし独特な造形は面白く「都田川の源流を表し、ここから流れる水の流れが浜名湖へと広がっていく様子がこの狭いエリアの中に表現されている」と2022年版のガイドブックに写真と解説が載せられている。また水が流れる池になるといいなと思う。


 どのモニュメントも制作には苦労しただろう。石を削るのに苦労して、組み立てるときにさらに苦労したのじゃないだろうか。モニュメントは何かの記号の様にも見える。見るものにとって色々なことを夢想させてくれる。


 番号の順番やグループ化が時代で異なり、各写真の前に記載されたNo.の最初の数字が旧「都田テクノポリス修景彫刻MAP」で振られたナンバリング。()内の数字が2022年版ガイドブックに振られたナンバリングである。題名・製作者の後の数字は設置年月。

 

都田テクノポリス修景彫刻MAP(旧)

 火の鳥が翼を広げているような複雑な形の街に「修景彫刻」は門の様に配置されていたり、道の終端や、基幹道路沿いに置かれている。門に該当するのは南に1ヶ所、北に1ヶ所、西に1ヶ所、まるで南の「朱雀」、北の「玄武」、西の「白虎」の様だ。そうなると東の「蒼龍」はどこだろう。開発当時東に抜ける道は行き止まり状態だったことと、すでにモニュメントの様なサージタンクがその役を果たしているとしたのかもしれない。あるいは南東に延びる道を東の門と見たのかもしれない。テクノポリスは東西南北に整然と区画整理されてはいないから無理はあるものの、四神に守られていると想像するのは楽しい。


 

番外 モニュメントの様なサージタンク

 正式名称:静岡県企業局須部系導水管サージタンク。水道負荷の変動やバルブ開閉の水圧変動を抑えるためのもらしい。サージタンクを検索して見つかる画像はどれも塔状だが、このサージタンクの様に捻った意匠のものは見当たらない。サージタンクであることを知るまでは何かのモニュメントだとばかり思っていた。天に登ろうとする「蒼龍」ならぬ「白龍」みたいだ。

 

気になること


2019/9/30

 中日新聞に、市は「モニュメントを全て撤去する方針」と言う記事が掲載されていた。該当するのは浜松市中区高丘葵地区の歩道にある石造りの七基のモニュメントで、ブロック塀の倒壊事故をきっかけに安全性を優先したとある。


2023/12/10

 浜松市のホームページを見ると「高岡地区モニュメント関連事業」に「高丘葵土地区画整理事業により歩道内に設置したモニュメントについて、地震等災害時の安全性を確保するために、適切な維持管理手法を検討する。」とある。撤去するにも維持するにも費用がかかることでもあり結論は出ていない。これは都田のモニュメントにも共通することだけど、そうした話は聞かないがどうなっているだろう。


 地震の不安から管理する側としては撤去すれば心配の種はなくなる。しかしそう簡単に片付くものでもない。モニュメントは「市民文化創造と芸術に親しむまちづくり」という理念からつくられたという。時が経てば立つほど倒壊の危険性は増すけれど、住民の愛着も増す。市内各所にあるモニュメントや、管轄は違うが神社の鳥居や灯篭なども同じ問題を抱えている。幸い今まで地震で倒壊することはなかった、だからこれからも大丈夫とは言えないけれど、新たなガイドブックが作られた事実からも確実にモニュメントを大切に思っている人々がいる。モニュメントのことを調べ我が身の内にも確かな愛着が存在する。さまざまな思いが込められたモニュメントたちには、時を超えてそこにあり続けてほしいと願う。


 

追記


 概して意味不明なモニュメントはともすれば無用の長物的危うさがある。しかし意図して作られたモニュメントはトマソンとは全く別の次元のものだ。膨大な時間と手間と情熱が注がれて生み出される。それらは見るものに問いかけけてくる。これはなんだろう。どうしてここにあるのだろうと。すぐには分からないところに「酒船石」の様な神秘性が宿る。何千年何万年と経ってこれらに出会う知性はそこに何を見出すだろう。


 

謝辞


 資料を探したところ昨年制作されたガイドブックに出会ったことはちょっとした驚きだった。30数年前に作られたモニュメントの資料を作ろうと思い立った方々の気持ちがなんとなく察せられる。


 「都田テクノポリス修景彫刻 ガイドブック」浜松北地域まちづくり協議会2022年刊より題名・製作者・制作年・作者のことばを参照させていただいた。モニュメントの制作及び資料を制作された多くの方々に敬意と感謝の意を表すとともに、勝手な解釈をしたこと笑って許していただけると幸いである。


閲覧数:174回2件のコメント

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2 Comments


napple
napple
Mar 04

2024/3/4


 「第二回 新都田修景施設歩道化に関する説明会の開催について」という回覧が回ってきた。市道横尾線の新都田修景施設(ミニ浜名湖、せせらぎ水路)歩道化に関する説明会だという。

  1. 日時 令和6年3月21日午後7時から

  2. 場所 新都田コミュニテーホール

 第二回というからすでに第一回があったわけだが気が付かなかった。詳しくは書かれていないが、ミニ浜名湖、せせらぎ水路がなくなってしまうのだろうか。

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napple
napple
Dec 18, 2023

2023/12/18


 浜松市のモニュメント。

浜松駅周辺

  1. カリヨンの鐘

  2. ショパン像

  3. 水の流れるモニュメント

  4. バスターミナル

  5. 日本最初の旅客機モニュメント

浜松城

  1. 徳川家康公像

  2. 豊臣秀吉公像

五社公演

  1. 石碑

佐鳴湖

  1. 佐鳴八景歌碑

高丘葵地区

  1. モニュメント7基

神田町

  1. SWEET BANK

都田テクノポリス

  1. 都田テクノポリス修景彫刻


 浜松市のモニュメントで検索した結果見つかったものを列挙したが、供養塔・〇〇跡・発祥の地・記念碑・慰霊碑・句碑などを探したらキリがないほどありそうなので、今回はこれまで。

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