1980/11/2
10/28から飯豊山に秋合宿で出かけたCpartyが表層雪崩に見回れ、死者1名、重傷者1名の大事故が発生した。重傷者看病の為山形県小国町へ1週間滞在した。事故は簡単に起きるものではない。誰もが、事故に遭わないよう一生懸命戦っているからだ。しかし、山にゆく限り事故はいつもつきまとう。雪山は午前中に行動を終えるよう計画している。計画はそうでも、誰かが体調を崩すと一挙に計画通りにはいかなくなる。行程が遅れ、午後に雪のついた山腹をトラバース(山の斜面を横断)する事態になったのだ。事故は、自分がリーダーの頃の1年生がリーダーとなった時に起きた。自分たちが春合宿に屋久島を選んだために、雪山技術の継承が十分できなかったのかもしれない。山小屋建設を実現したのも彼らだった。通常の錬成・合宿をこなしながら山小屋建設の中心を担ったのだ。無理をさせただろうと思う。この時以来長く山にゆかなくなった。
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