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150 富士山の宝永山を登る

2015年10月5日月曜日

富士の宝永山に行ってきた。6時半頃友人一家が迎えに来てくれた。昨日22歳の誕生日を迎えた娘さんが一緒だ。昨日はジョブズの命日でもあった。もうお母さんよりも大きい。さあ今日は予てから念願の富士山宝永山周遊の日だ。浜松インターのETCゲートから新東名に入り一路東を目指す。朝日がさして眩しい。静岡市に入っても新東名からは富士が見えない。清水に入ると道路前方に富士が見えた。雪はなく、雲は麓にあるだけだが、次第に登ってくるのだろう。右肩に宝永山が見える。今日はあそこへ行くのだ。ずいぶん高度がある。ほとんど車で間近まで行くことができるのだが不思議な感じがする。新富士で高速を降り一般道を北上する。しばらくなだらかかな傾斜を進み次第に道が葛折りになり傾斜が増した。先ほど見えていた麓の雲の中に入って行くと一挙に気温が下がる。雲も上昇していて車との競争だ。標高千メートルを超えると紅葉が見れるようになる。予定通り9時ごろ表富士宮口五合目駐車場(標高2500m)に着く。雲が一面を覆っていて視界が利かない。ザックを背負って富士宮口新六合目へ向かう。すぐに森林限界を超え這松の間を進むと宝永山荘がある。溶岩がむき出しの斜面は細かな砂利が敷き詰められ砂地のようだ。雲がスーッと切れる、青空が覗き、眼下に雲海が広がる、下界は見えない。宝永第一火口縁までは苦労せずに着くことができた。視界も良くなり、これから向かう宝永山が良く見える。一旦下りそれから上り坂となる。一層砂地のようになった斜面を登り始める。次第に友人のペースについて行けなくなる。血の気が引き吐き気がしてくる。年をとったこの程度の登りにもうへばっている。友人一家は元気だ、遅れながらついて行く。何度か休憩してようやく馬の背にたどり着く。雲海の切れ間に北東の風景が見える。西側に富士がそびえ、東側に宝永山のピークが見える。宝永山ピークは馬の背より若干下っているようだ。高速道路のように広い稜線を通って、11時ごろ宝永山(標高2693m)に着く。日差しが暖かい。炊き出しのコーヒーを入れる。5人分(ピークに居合わせた登山者が一人)を入れたので、随分薄いコーヒーとなった。気持ちがいい。一頻り宝永山を噛み締め元来たルートを辿って戻り始める。続々と登山者がやって来る。宝永第一火口縁から少し下った鞍部には小学生の集団がいた。第二火口縁を回るか来た道を戻るか相談。まだ体力は十分あるけれど戻ることにする。11時半ごろ富士宮新六合目の山荘で昼食をとる。友人夫妻は富士宮焼きそば。娘さんは山菜うどん。私はおでん定食を食べた。山小屋の若い方は毎日麓から通い、お年寄りは泊まり込みしているらしい。雷のような音は富士演習場の砲撃の音だと教えてくれた。明日で店をしまう予定だという。今日来れてよかった。天気もいいし。前回だと駐車場までも来れなかったはずだし。などと大いに気を良くして食事を終え駐車場へ戻り始めた。もう今日の行動は終わったような気分でいた。不覚にも下りでよろけた。左足を捻挫し、右手の姉さん指を切ってしまった。友人にポールを借り奥さんにバンドエイドをもらいようやくの思いで駐車場へ降りた。大した怪我ではなかったけれど心配させてしまった油断だった。富士宮の温泉「天母の湯」にて一風呂浴び再び高速に乗った。浜松は雨が降ったようだった。友人に往復の車の運転をお願いしたので助かった。帰宅するとくるみが窓から見ている。ドアを開けると飛びついてきた。早速散歩に出かける。捻挫した左足と溶岩で切った右指が痛む。くるみの食事を用意して、自分もパスタを作り、早めに床についた。昨日に続き今日も日本人がノーベル賞を受賞した。万事が良き日であった。

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